「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

「うのん」の気象歳時記ブログの新着ブログ記事

  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #正倉院の概要 3 聖語蔵の気象観測 外部資料 正倉院宝庫では人が入って実験観をすることは許されない。それで、同じ校倉造りの聖語蔵について宮内庁の許可を得て昭和25年(1950)6月5日までの期間に実験観測を行った。 この期間中は庫内数か所に週巻きの自記温度計と湿度計を設置し、また6月16日、7月... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #正倉院の概要 ② 外部資料 勅封と曝涼  宝庫がいつから勅封となたかは詳かではないが、宝庫の開閉は当初から頗る厳重であって、勅許を必要どし、事実は勅封である。 都が平安京に遷る頃から宝庫の曝涼と開検、つまり通風と点検が始められたが、その都度勅使が立てられている。 宝庫の品々は櫃に納めて伝世せられ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #正倉院の概要 ⓵ 外部資料 外部資 正倉院は、奈良東大寺の北西にあり、宮内庁に属する正倉院事務所が管理している。 正倉院については 多くの出版物があるが、宮内庁書陵部から昭和23年10月に発行された「正倉院棚別目録」を参考にしている 1,「正倉院小引」抄録 宝庫  宝庫は南北109尺(33m)、... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #正倉院の気象 先日から 大和の宝庫内の管理について ブログしました その中でも 正倉院に内容を中心にしました その 元になっている資料をご紹介していきます。 外部資料 内容は昭和24年から34年(1949から1959年)までの10年以上の調査結果です。 正倉院宝庫は1200年にわたり各種の品物が... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から 霜月のお知らせ

    今月のお勧めの本 奈良は日本の始まり 歴史書にない 歴史が豊富に あります。 いろいろ 歴史に思いを巡らせてください。 今月のお休み予定 1日(火) 7日(月)8日(火) 14日(月)15日(火) 20日(日)21日(月)22日(火) 28日(月)29日(火)

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #校倉構造のなぞ   外部資料 正倉院の倉 の中は もととも気温変化が小であるから、湿度変化も小なのは当然であって、気象学理上からも不思議ではない。一方、湿度の年変化を考えると、6月から9月ごろまでのいわゆる湿潤期には70%以上になっているが、その他の期間には65%前後に下がり、強いて最低湿度の期... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の古文化財と気象 校倉造りのなぞ 外部資料 正倉院に限らず一般に宝庫は三角財の積み重ねのような恰好をしたものが多い。この特殊な建築構造に対して、後世の人々は、防湿建築法だと言い伝え今日大部分の人々はそれを信じている。 湿度観測の結果、正倉院聖語蔵(校倉構造)内でも、また現宝庫内でも、さらに校倉... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の古文化財と気象 気流 気温の一年間の変化の方は、日変化とは大分様子が違っていて、庫内でもかなり顕著な年変化を示している。すなわち庫内でも、八月ごろには30度前後の最高気温を示し、1月下旬から2月上旬にかけて0度近くの最低気温になる。ただ、わずかに庫外より最高気温は低く最低気温は高いだけで、そ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の古文化財と気象② 外部資料 庫内に宝物を保存しているが どうのような状態か? 庫内の気温日変化は非常に小さい。普通の気温は一日中でも最高気温と最低気温との差は相当大で、天気がよければ15度以上にもなることは珍しくない。ところが宝庫内では2度程度に減少する。これは庫外の気温変化の状態がそれほど... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    古文化財と気象 大和は歴史の国であるので、古文化財が至ところにあり、その宝庫であるといえる。これらは古文化させ財は永久保存さるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度に結びついるのか? 一般に物資を保存する館内の気象のうち、保存に関係するのは気象と湿度だといわれている。しかし保存する物資の種... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    外部資料 お天気 #ことわざ お子様も楽しめることわざです。 ①梅雨明け後 10日は良い天気 ②消えない飛行機雲は24時間以内に雨 ③夕焼けの翌日は晴れ 朝焼けの日は天気くずれる。 ④東の雷 雨ふらず ⑤冬 雷の大ひびきあれば、大雪のまえぶれ ⑥朝虹は雨 夕虹は晴 ⑦南東からの雲は 24時間以内に... 続きをみる

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  • 仏様たちの家の住み心地

    外部資料  仏様たちの家 お堂は一体おのような住み心地の状況なのか  日本は非常に湿度が高い国。特に夏の多湿は世界的にも有名なぐらいである。もちろん大和も湿度は高い。 しかし お堂のなかは温度は低い。湿度がは温度と逆で、温度が低いほど湿度が上がる。したがって大和のお堂の中は湿度が高い。なかにはびっ... 続きをみる

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  • #正倉院 校倉の秘密

    正倉院展今年は 10月29日から11月14日です 毎年素晴らしい宝物をみることが 楽しみです そこで 以前にも正倉院のことはブログしましたが 再度ブログしてます。 大和の古文化財と気象 だれがいいだしたのか「校倉は積重ねてある三角の校木(あぜぎ)が空気の乾いている時はちぢんで校木の間にスキ間ができ... 続きをみる

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  • #吉野杉

    吉野の美林 外部資料 外部資料 長い歴史を持ち 杉の美林で全国に知られている吉野美林の特徴は密植にある。ふつう一町歩あたり3,000から4,000本の苗をうえるが、吉野では一万本以上植え付ける。そして植え付け後、10年たったころから、間伐を繰り返し、100年以上におよぶ長期にわたって育成していくの... 続きをみる

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  • 吉野の水

    奈良県は日本最初の国造りの地 それには 稲作による支配階級が設立し 国の形が出来てきた。 その中で稲作には水が必要 しかし、奈良は雨量が少ないため ため池が多く奈良にはある 昭和22年からは十津川紀の川総合開発事業計画がすすめられ 25年から奈良和歌山で協定が成立し、猿谷ダムの建設がはじまった。 ... 続きをみる

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  • #石標奈良県

    外部資料 二月堂 外部資料 外部資料 奈良町 外部資料 奈良には今も石標が残っています。石の道標です。それぞれの方向をしめしてくれてます。 外部資料 珍しいものとして東吉野村鷲家には 江戸を示しているものがある。 ■住所630‐8053奈良県奈良市七条1丁目11‐14 ■℡0742‐43‐8152... 続きをみる

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  • #魚梁船「やなふね)

    奈良県の発展には交通網を整備する必要がある。 とりわけ鉄道の敷設は悲願とでもいえるものであった。 奈良盆地の水を集めて流れる大和川は、江戸時代から水運が発達し、下流の河内側は剣先船(けんさきぶね)が、か亀の瀬から上流の大和側には魚梁船が通っていた。 外部資料 魚梁船は小型で底が浅く、九枚のむしろで... 続きをみる

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  • #奈良県庁舎

    一昨日と同様のものです 建物についてふれたい たくみに和風の様式を取り入れ、画期的な洋風建築のこころみともいえる新庁舎を設計された。設計にあたっては、「奈良県の地は我美術の粋」であり、「本邦建築の優点を探るべし」という注文がつけられた。 外部が純日本風。正面しびのあがった入母屋造り。そこからまるで... 続きをみる

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  • ♯奈良県開庁式

    外部資料 奈良県は堺県に併合され 堺県が大阪府に併合された過去があるが、明治20年(1887)奈良県が独立した。 奈良県庁式が明治20年12月1日に挙行された。 新県庁舎にあてられたのは奈良公園内の旧寧楽書院である。 開庁式当日は、奈良の町では、家ごとに日の丸の旗をかかげ 県庁周辺では提灯をつるし... 続きをみる

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  • #大和売薬

    外部資料 -大和の売薬は富山県とならんで名高い。古くから「陀羅尼助」(だらにすけ)「豊心丹」(ほうしんたん)「真土膏」(まつちこう)などが知られているが、これは薬草栽培が盛んだったためである。 大和では18世紀ごろ御所を中心に売薬業が成立したといわれている。文政年間(1818~30)に畿内での行商... 続きをみる

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  • #奈良漆器

      外部資料 大和の工芸品のなかで奈良漆器の歴史は新しく明治20年代に入ってからである。 第一次奈良良博覧会に出品された正倉院宝物の精妙さに着目した奈良博覧会社では、県内の漆工 金工 木地師 彫刻家を集めて宝物の摸造・模写事業をおこした。 作家たちの技術を高め、伝統工芸の販路に乗せて商工業の振興を... 続きをみる

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  • #筆と墨

    大和の伝統工芸品の「筆と墨」 外部資料 社寺を中心に栄えた大和では、古くから筆や墨がつくられ、江戸時代になると特産品として全国にその名を知られるようになった。社寺参拝のために大和を訪れた人々が、みやげものとしてもとめ各地に広まったと思われる。 明治になってペン インクが入ってきたが 学校教育に習字... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から 神無月のお知らせ

    今月お薦めの本 花の名所 バラ   霊山寺 松尾寺 コスモス 喜光寺 正暦寺 般若寺 萩    新薬師寺 百毫寺 元興寺 唐招提寺 円成寺                            般若寺 薬師寺 西大寺 秋篠寺  ススキ  奈良公園 佐保路 正暦寺 曽爾高原 紅葉   正暦寺 滝坂道... 続きをみる

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  • #奈良公園と鹿

    外部資料 奈良公園を歩いてみると、樹林が密生しているところも、比較的遠くまで見通しがきくことに気がつく。下層の植物や樹木の下の方の枝がすっきりとないのである。だいたい2メートルぐらいまではきれいに刈りとられているが、これは鹿の仕業である。Dear Line (鹿摂食線)というそうでる。奈良公園のよ... 続きをみる

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  • #奈良公園

    外部資料 奈良公園は街の中に公園 公園の中に街と広大な公園であり 範囲がわからない。 明治9年に民間人有志が14人が興福寺の境内外を向こう10年間拝借し風景を整へ観光に力を入れ奈良への来客を増やしたいといいう内容の願書を 当時堺県に提出した(当時堺に併合されていた)興福寺も荒れていてこのままでは良... 続きをみる

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  • #明治天皇の大和巡行

    外部資料 たびたびの巡行で全国で知られる明治が、この大和の地にはじめて足を踏み入れたのは、明治十年(1877)2月のことである。畝傍陵参拝がそのおもな目的であった。 5日間の滞在とはいえ、奈良の人々にとって大変な出来事であった。 天皇のお供には150人が選ばれた。 天皇一行を乗せた高雄丸は鳥羽港に... 続きをみる

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  • 明治の #シルクロード博

    正倉院は管理が厳重で、天皇の許しがないと扉を開けることのできない勅封の倉である。そのため、一般の人の目に宝物が触れる機会はまったくなかった。 したがって奈良博覧会大会に正倉院の宝物が展示され公開されたことは、まさに史上初の画期的なことであった。大会に訪れた人々は、遠くシルクロードを通って選ばれてき... 続きをみる

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  • #奈良博覧会 開催

    外部資料 第一次博覧会は明治8年(1875)春、80日間にわたって開かれた。会場は東大寺で、東西の両回廊に社寺や旧家の書画・道具類・県内の名産品が陳列された。また大仏殿内には宮内省の許可を得て正倉院宝物を展示した。第一次大会は17万人をこえる観客を集め、盛況のうちに終えることができた。 明治10年... 続きをみる

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  • 統一 奈良県

    明治2年(1869)版籍奉還ののち 藩政の改革に成功した藩もあったが、河内国狭山藩などのように、藩の財政が極端に悪化したために廃藩を願い出て、近くの府県に合併されたものも少なくない。 この時期、府・藩・県が入り混じって存在し、その行政区域の広さもまちまちで、なかには飛び地もあり、ともすれば中央政府... 続きをみる

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  • 悲劇の #柳生藩

    外部資料 外部資料 柳生藩と聞く 柳生十兵衛 柳生宗矩など 徳川家将軍の剣術指南役として有名である。また 代々藩主が参勤交代をしない大名だった。 そのため、幕末のぎりぎりまで江戸を離れることができず、幕府の指示にしたがって江戸周辺の警備などにあたっていた。しかし、王政復古令が出されて各藩主が京都に... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #五條県 明治3年(1870)2月27日 奈良県のうち 宇智 吉野両郡および堺県のうち錦部・石川両郡をあわせて五條県が成立した。ついで、堺県の管轄のもとに置かれていた高野山領の紀伊国伊都・那賀領郡の村が五條県に編入され さらにその範囲は大きくなった。県庁には  #旧五条代官所 があてられた。 外部... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #南都県 or #奈良県 or #奈良府 江戸時代から明治にかわるめまぐるうしいなか 慶応4年(1868年)に大和国鎮撫総督府をあらためて奈良県が置かれることになった。もっとも当初は「南都県」という名前も考えていたらしい。 投書旗本領や社寺領を府や県で管理するようにと命じたため、神保氏などの旗本領... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #奈良 「なら」とは草木を踏みならし、平にするという意味からきたと考えられている。「日本書紀」崇神天皇十年の記事に「進みて #那羅山(ならやま)に登りて軍(いくさ)す」とみえるのが最初である。 古代以来、楢 寧楽 乃楽 奈羅 平城などの文字があてられてきた。 県名の由来は、平安時代から鎌倉時代にか... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    外部資料 (他の廃校) 小学校をつくろう 明治5年(1872)8月3日、「かならず,邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんこと」を目標に、近代化で最初のまとまった教育制度として、学制が制定された。 すべての子どもを学校に 平群郡八条村では、明治7年(1874)3月6日に鎮守の境内にあったあ北の... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    ♯神仏分離 笛吹神社 (葛木坐火雷神社) 外部資料 今の新庄町に笛吹神社がある。この神社に江戸時代の終わりごろ上之坊恵証(かみのぼうえしょう)という社僧がいたが、神仏分離の騒動のなか、明治3年(1870)ごろに神社をおわれ、行方不明となってしまった。 その後しばらくして 笛吹神社に近い北花内村にひ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    #お月見 昨日のお疲れ様です。 山影から出てきたところです。 薬師寺の双塔とともに 中央のゴルフネットが邪魔してます。 ■住所630‐8053奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡0742‐43‐8152

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    神仏分離 まぼろしの寺 #永久寺 外部資料 天理教本部から2キロメートルほど東南に入った山の中に、神仏分離のころまで永久寺という大きな寺院があった。平安時代の終わりごろ、当時の天皇の命令によって、建てられた由緒深い寺院である。 この寺では、慶応4年(1868)9月に僧侶全員が寺を離れ、隣の石上神社... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    外部資料 神仏分離 吉野 金峯山寺 蔵王権現の信仰や山伏で有名な吉野山の金峯山寺では、新政府から蔵王権現は仏ではなく神だと決めつけられ、寺を神社にあらため、僧侶全員が神官になることを命じられた。金峯山寺では、民衆のあいだに蔵王権現への根強い信仰があることを知っていた五條県からの助けを受け、蔵王権現... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    神仏分離 興福寺 外部資料 私が好きな光景                         その興福寺五重の塔と猿沢池 古代から神社や寺院の勢力が非常に強かった大和国では、神仏分離には言い尽くせられないほどはげしいものになった。 興福寺では、すでに慶応4年(1868)3月下旬には寺を離れようとする... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    神仏分離 日本人の不思議な信仰 江戸時代から明治に変わる騒動のなかで 興福寺 外部資料 江戸時代までの日本人の信仰は、社寺と寺院を同じ場所に建てたり、神も仏もあわせて信仰するなどという不思議なものであった。この習慣を神仏習合といい、仏教がひろがっていった奈良時代の終わりから平安時代のはじめにかけて... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    天誅組 2 天誅組は統幕からそんのうへの先駆けと思われる。それを奈良の五条で起こり失敗に終わっている ならでもこのことを知る人々は少なくなっていいるが 日本中に影響を与えた事件であった。 外部資料 そこで 「残念さん」信仰 天誅組の指導者であった吉村寅太郎は今の東吉野村で戦死するが、その後、その霊... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    天誅組 1863年文久3年 天誅組の乱がおきた。 江戸時代末 古くから大和の南の玄関口としてひらけていた五条の町で封建社会をゆるがす大事件であった。江戸幕府を武力で倒そうといた幕末最初の反乱として知られている。 アメリカペリーが、浦賀に二度目の来航により、日米和親条約をむすび、鎖国をといてから9年... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

    幕末の大和 嘉永7年(1854)6月、近畿地方の中南部に大地震 大和の各地には大きな被害が起こった。春日大社の灯ろうが倒れ下敷きになってけがをする人もいた。また奈良町の町家が一割ほど倒れ、数百人の死亡があったといわれている。 外部資料 また添上郡 古市村では、村の山間をせき止めてため池をつくってい... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    いつも ブログをご覧頂きありがとうございます。 この写真の撮影場所から徒歩3分ぐらいのところでカフェを営業しています 奈良の大和の深い話 民話 伝説 歴史等 奈良 大和に関する書物をご覧いただけます。 先月 「まち ライブラリ-」に参加させて頂きました。 まだ概要はわかっていないのですが マイクロ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から 長月のお知らせ

    お勧めの本 ならら 9月号です 豊臣秀吉の弟 秀長  奈良を僧侶が守ってきたが 秀長によって武家の秩序が入ってきた。 郡山城は筒井順慶の城であったが 武士の勢力で追い出され 秀長が城主となった。 秀吉による秀長自害の命により 秀長の妻子供たちも亡くなった。 妻 子供たちの墓は近鉄 尼ヶ辻駅 南東徒... 続きをみる

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  • 奈良の伝説 聖徳太子

    矢継の森 昔聖徳太子が居を定めるによい土地を求め、矢を放ってその地を定めようと、南から乾のほうを向いて矢を放たれた。その矢が今の矢継の森に落ちた。だがまだよくないと、ふたたびそこから矢を射られると今の法隆寺のところに落ちたので、そこを永住の地と定められたという。矢継の森には今も「矢継さん」という祠... 続きをみる

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  • 大和の伝説 卑弥呼の墓?

    箸墓古墳は卑弥呼の墓 外部資料 外部資料 三輪山の北西側の前方後円墳 この辺りは多くの古墳がある。 その一つが箸墓古墳です。 ここに祀られているのは このの域の豪族の娘の墓を箸墓といわれている。 この姫は大物主神の妻となったが、夜だけやってきて、昼には姿をみせないため、この姫は夫を怪しんで、夫の真... 続きをみる

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  • 緒環塚 大神神社

    外部資料 三輪山は神のいます山。大和国一の宮・日本国総鎮護といかめしい名をもつ大物西主大神を主祭神とした三輪明神が祀られている。いわゆる大神神社である。全山を神体とし、拝殿の奥に三輪鳥居と称される三つの鳥居があり、その奥禁足地になっている。また三輪の祝がいわう神杉には触れてはならぬという。きわめて... 続きをみる

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  • 芋洗い地蔵

    大和三山の一つ 畝傍山の南側が神武天皇を祀る 橿原神宮。 外部資料 橿原神宮を南に行くと 久米寺がある。古くは神武天皇の大和入りにしたがって久米部の住地とされ、また寺伝では聖徳太子の弟来目皇子の草創という。寺のかたわらに芋洗い地蔵が祀られている。 外部資料 昔、久米仙人が飛行中、洗いものをしている... 続きをみる

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  • 宝剣小狐丸 石上神社

    外部資料 布留に昔、一人の婦人がいた。冬に菅田の森を通ると、一匹の小狐が子をかかえながら、乳がなくて困っているのに会った。婦人は狐をあわれんで、毎夜そこに通って小狐に乳ををやった。狐はそのお礼に一口の剣を婦人に贈った。この剣は、狐が刀鍛冶の弟子に化けて向こう槌を打ってつくったもので、のちの宝剣小狐... 続きをみる

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  • 布留石上

    外部資料 今の天理は布留石上といわれている。 「石上布留の神杉神さびし恋をも吾はさらにするかも とあるように、神秘の山之辺の里であった。 昔、布留川の上流から一口の剣が流れてきた。触れるものは石でも木でもみなスッスッと切った。それが川端で洗濯していた一人の女の布にまといついて留まった。それを神とし... 続きをみる

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  • 業平道

    在原業平にまつわる伝説はきわめて多い。櫟本の東南方、天理市別所の小字ナリヒラには業平溝があり、井筒井というものもある。これも河内姫の身を投げたところろいうし、同じところに業平道・烏帽子すて塚というのもある。また、天理市田部町にクラガリというところに業平が河内姫から逃げてここまでくると、突然くらがり... 続きをみる

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  • 在原神社

    外部資料 昔、河内姫が長谷寺に参る途中、在原寺に水を飲みに寄り、水を飲みに寄り、水を汲んでくれた在原業平と恋仲になった。その後、業平が河内姫に会いに行ってそっと家をのぞくと、ちょうど食事中で、姫が父の給仕をしながら、ほこりのある畳の上に落ちたひとかたまりの飯を、手づかみで拾って口に入れた。業平はこ... 続きをみる

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  • 弘仁寺

    外部資料 清澄の里に十三参りで有名な弘仁寺がある。 弘仁五年(814)に小野篁が嵯峨天皇の勅使で建てたというで、その年号をとって寺名とした。嵯峨天皇の夢枕に一人の老人が立ち、 「奈良の南に七仏舎利山がある。もろもろの仏があらわれてお経の声が絶えない。ここに堂舎を建てて衆生を利益されたい。」 と言っ... 続きをみる

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  • 帯解地蔵

    外部資料 奈良から南に行くと帯解寺がある ここの本尊は地蔵尊で、帯解地蔵とよばれ、毎年7月23日24日の地蔵祭には女性が多く集まりお参る。 昔、文徳天皇の皇后明子、すなわち染殿皇后は懐胎され、月が満ちてみ生まれないので、宮中では大変心配していた。ところがある夜皇后の夢に、 「奈良から南へ一里ほどの... 続きをみる

  • 狐塚 奈良古市

    外部資料 山之辺の道を南に行くと 古市の集落がある。その中央部の田の中に、約10㎡の塚がある。昔ある人が、田を耕すのにこの塚が邪魔になるというので、開墾しかけに見慣れなぬ火が見えるので、怪しんでその方へいくと、そのままついにかえらなかった。それからこの塚を狐塚とよび、人々は恐れて手をつけられなくな... 続きをみる

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  • 新薬師寺&大江山

    外部資料 昔 新薬師寺に一人の稚児がいた。ある日、付近の山で新しい死体をみつけた。好奇心のあまり稚児はその肉を切り取り、寺に帰って師の僧にすすめた。僧は人肉をは知らず珍味だと喜んで食べた。稚児はその後もたびたび肉を持ち帰った。どうもおかしいと僧がある夜稚児をつけてみると、稚児はすでに寝静まった奈良... 続きをみる

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  • 山の辺の道

    外部資料 北山之辺の道は 新薬師寺の南門を出ると、右側に小さな社がある。鏡神社といって天平12年(740)橘諸兄 僧玄昉 吉備真備らを除こうと乱をおこした藤原広嗣の霊を祀る。鏡神社の前から田園がひらけ、東に高円山がやわらかな曲線を描き、小高い丘を越えてつづく道。「山之辺の道」である。この道がいつか... 続きをみる

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  • 薬師寺 西ノ京

    外部資料 外部資料 外部資料 有名な国宝薬師寺東塔は大屋根が三つと小屋根が三つ 五重とも六重とも見えるが、実際は三重の塔に小屋根(もこし)が一つずつけられているれているのである。この塔は「竜宮の塔のうつし」だという。昔、ある工匠に、夢に薬師如来が天竺から渡ってきて塔の建立を命じた。それから毎日塔の... 続きをみる

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  • 嫁取り橋 奈良県筒井

    大和郡山市の南 昔の筒井村に一軒の茶屋があった。十八になる こま という生娘がいた。娘は毎日ここを通って大阪に通う二十四、五の業平を思わせるような美男子の飛脚を恋い慕うようになった。ある日、飛脚が夕方おそく通りかかったので、娘は無理に男を泊まらせた。夜更けて娘は異様な姿をして飛脚の部屋に忍びこんだ... 続きをみる

  • 牛の宮 大和平野

    大和郡山市の町から斑鳩への道をとると小泉の慈光院に至る。自光院は晩年の片桐石州が隠居したところで、その茶室は不味堂(ふまいどう)と、大刈込を配しただけだが、大和平野を背景としたじつにダイナミックな構成美をを持つ庭は名高い。この手前に池之内という集落があるが、そこに牛の宮という塚がある。東西13メー... 続きをみる

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  • 垢かき地蔵 大和郡の洞泉寺

    外部資料 洞泉寺の境内に垢かき地蔵がある。昔、郡山城主大納言秀長と洞泉寺開山宝誉上人が、天正14年(1586)六月十四日夜の卯の刻に、同じ夢を見た。その夢に教えられて郡山城大書院西庭の沓脱石を掘り起こすと、それは立派な地蔵像であった。寺社奉行に命じて調べさすと、光明皇后祈願の垢かき地蔵尊であった。... 続きをみる

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  • 源九朗狐

    外部資料 大和郡山市に洞泉寺町に祀られる稲荷は源九郎狐といい、日本三大稲荷の一つとして知られ、また童謡に、  「大和の大和の源九郎さんあそびましょう」 というのがあるように、人々に親しまれていた。源九郎というと源九郎義経のことだが、「義経千本桜」という芝居にでてくる狐忠信は、この稲荷の化身であった... 続きをみる

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  • 弁慶の足型 大和郡山城

    外部資料 大和郡山は、県下随一の城跡をもつ典型的な城下町である。「洞が峠の順慶」といわれるように、豊臣秀吉の山崎合戦で汚名をうけた筒井順慶が最初の城主。のち秀吉の弟秀長が封ぜられてから、いらい城主はたびたびかわるが、一時は奈良を圧する繁栄を示し、享保以後は柳沢氏15万石の居城であった。この郡山城三... 続きをみる

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  • 鳩の門 大安寺

    外部資料 大安寺の八幡神社の一の鳥居を北に出ると県道と合する道の角に、鳩の門というのがあって、今もそのあたりを鳩の門という。昔、大安寺の僧行教和尚が宇佐から八幡神を勧請して帰る途中、西ノ京で休んだ。そこは今の休岡八幡の地である。 そのとき、 「これからどこへ行くか」 と尋ねられたので 「大安寺へ行... 続きをみる

  • 大安寺 と「笑」

    外部資料 大安寺大師堂の前に小さな森がある。ここは「笑うという字」のできたところであるという。昔、弘法大師がこの寺で修行して文字を作っていたが、どうしても「わらう」という字ができなかった。その時むこうから念仏をとなえながら旅僧がきた。あたりにいた犬が驚いてほえた。旅僧も驚いて犬を追い払おうとした。... 続きをみる

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  • 薬師寺 割れ鐘

    外部資料 私の親しんでいる薬師寺の鐘楼にヒビの入った大鐘があsる。俗に西ノ京の割れ鐘と呼ばれている。昔、弁慶があちこち引き回して割って捨てておいたのを、誰かが拾ってきたのだという。 今は 新しいものになっている。 ■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡0742‐43‐8152 ■✉honca... 続きをみる

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  • 法華寺

    外部資料 法華寺はもと藤原不比等の居宅であったが、彼の娘、光明皇后に伝えられ皇后宮となり、さらに寺になったものとされる。皇后はここに伽藍をおこし法華滅罪之寺と称し、総国分尼寺とされた。創建当時は寺運も隆盛をきわめたが、平安遷都とともに衰え、のち豊臣秀頼によって再興され、ようやくその結構を保ち、今日... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から 葉月のお知らせ

    お勧めの本 大仏様造営に尽力された行基様のことが特集されたます。 奈良に住む我々はよく知っている僧侶です。 近鉄奈良駅の東側の噴水の上に像があります。 親しみを感じる僧侶です 今月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)23日(火... 続きをみる

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  • 佐保路

    転害門 外部資料 転害門からまっすぐ西にのびる大通りが一条通り。平城京の南一条大通りにあたる。途中で道が佐保川を渡り、川が道とほぼ平行して流れるのでこの道を昔は「佐保路」とよんだ。この道筋には、聖武天皇陵・光明皇后陵 外部資料 興福院 外部資料 不退寺・うわなべ・こなべ古墳・磐之姫命陵・海竜寺・法... 続きをみる

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  • まんなおし地蔵

    外部資料 東大寺の大門、転害門の北東一帯が雑司(ぞうし)町。大仏殿の裏側になる。二月堂の北側を東へ100メートルほどのぼると小さな石地蔵がある。 まんなおし地蔵という。商売繁盛にご利益があるといい、お詣りすると地蔵さんの近くの土中に銭を埋め、前に誰かが埋めた銭を探して持って帰ると ゲンがよいという... 続きをみる

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  • 奈良町

    春日大社 東大寺 興福寺の大社大寺や目抜き通りの散策は欠かせないが、裏通り歩きや周辺の散策もまた奈良の町の素顔が見られて楽しい。狭い横丁や、ゆるやかな石畳みの道、草むすお堂やひっそりとたたずむ小社など、また軒の低い間口のせまい町並みもまた趣がある。 大仏前を南に行くと高畑破石に出る。 破石の辻 は... 続きをみる

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  • 奈良町

    春日大社 東大寺 興福寺の大社大寺や目抜き通りの散策は欠かせないが、裏通り歩きや周辺の散策もまた奈良の町の素顔が見られて楽しい。狭い横丁や、ゆるやかな石畳みの道、草むすお堂やひっそりとたたずむ小社など、また軒の低い間口のせまい町並みもまた趣がある。 大仏前を南に行くと高畑破石に出る。 破石の辻 は... 続きをみる

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  • 春日野 新薬師寺

    外部資料 昔 春日大社に夜な夜な子供の泣き声がした。神人があやしんでその声を求めていくと、本殿の中からその声が出てくる。おそるおそる聞いてみるとか春日様は地蔵様の姿であった。そして、 「新薬師寺へいきたい」 と言われた。それですぐに新薬師寺に移し、毎年春日から五升の米を寺に届けるようになった。今、... 続きをみる

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  • 転害門

    外部資料 東大寺西北の大門を転害門という。手貝門・手搔門・手蓋門とも書いた。東大寺創建にさいして、宇佐八幡が迎えられたとき、八幡がこの門から入って、みちみち殺生禁断されたので、転害門と名づけたというし、手向山八幡の転害門の渡御がこの門まで行われるからだともいう。また大仏開眼の導師として天竺から菩提... 続きをみる

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  • 春日野 采女

    采女神社の祭りは、采女が月夜に身を投げたということから、毎年中秋の名月の夜に行われる。 外部資料 十五夜の月が春日山と高円山の谷あいから美しい姿を現すころから、舳にみごとな竜頭をつけ、舷にはきれいな雪洞を立て、真ん中に花扇を立てた花扇舟が猿沢池を周り、花扇を水面に浮かべて采女の霊をなぐさめる。集ま... 続きをみる

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  • 奈良の伝説 春日野

    奈良の三条通りはメインストリート。 平城京の三条大路にあたる。この道を東に向かう坂道の南側に猿沢池が見える。周囲360メートルのささやかな池、興福寺の放生池としてつくられた池で、昔から 水三分に魚七分、すまず、にいごらず、でずいらず、かえるわかず、もはえず と七不思議が語られている。 外部資料 外... 続きをみる

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  • そうめん節

    外部資料 三輪素麺は素麺の元祖です。 その素麺は有名ですが 節はあまりみかけないものです。 三輪神社の近くの素麺屋さんでは店頭でよく見かけます。 ■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡0742‐43‐8152 ■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

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  • 吉野川のアユ

    外部資料 アユはあ川魚の中で最も気品の高いものとして賞味される。 アユは「’鮎」と書き、また年魚 香魚 とも書く。 年魚よは、一年きりのはかない生命の魚ということである。晩秋のころに河口近くでふ化したよう魚は、海に下り、翌年の早春に川に戻ってさかのぼる。五~六月ころは若アユと呼ばれ、さらに川をさか... 続きをみる

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  • かきもち

    外部資料 「おかき」とよばれるかきもちは、漢字で欠餅または掻餅と書く。字のとおり、お正月の鏡餅を処理するのに刃物で切ることを嫌って手で欠き割ったことから、このように呼ばれたといわれる。つまり鏡開きの餅のことで、後にかきもちとして別につくようになったという。 「雍州府志」(ようしゅうふし)という古い... 続きをみる

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  • 中秋の名月と采女まつり

    外部資料 旧暦の八月十五日、中秋の名月は農家では、「芋名月」といい、うるう年には十三個、平年は十二個の里芋を、その葉にのせて一升ますに入れて供え,一升瓶にススキとハギを生け、お神酒を添えて、お月さまの見える縁側に飾る。里芋と共にサツマイモを供えるところもある。そして、この日は芋ご飯を炊いて食べる習... 続きをみる

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  • 林神社の 饅頭まつり

    外部資料 近鉄奈良駅から少し南に 「漢国神社」がある。 その境内は広く、奥に林神社がある。 祭神は林浄因といい、わが国で初めてまんじゅをつくった人で、菓祖として祭られ、毎年4月19日には、「饅頭まつり」が行われる。 わが国の菓子のルーツをたどると、古くは果物のことで、伝説として「古事記」にある野ブ... 続きをみる

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  • 外部資料 飛鳥時代に、中国や朝鮮半島を経て、牛乳の飲用や「酪」や「蘇」などという乳製品が伝えられている。酪や蘇は一種のチーズにあたるように思われているが、今の作り方と違って牛乳を煮詰めて固めたものである。 蘇はだれしも食べられたものではなく、貴族の間で薬のようにして、また特別な宴を開く時にだけ用い... 続きをみる

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  • 豆腐料理

    外部資料 豆腐のルーツは、約二千年前に中国で生まれたものと伝えられている。わが国へは遣唐使によって奈良時代にその製法が伝来し、日本最古の精進料理といわれる東大寺の結解料理にも 「揚げ豆腐」があり、また東大寺二月堂の修二会(お水取り)の連行僧が食事をする献立の中にも「豆腐の味噌汁」や「ひろうす」など... 続きをみる

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  • おみい

    外部資料 みそ雑炊のことを「おみい」という。雑炊の語源は古くは「こながき」といい、雑炊の粉を熱湯の粉を熱湯でかき混ぜて捕食または薬食にしていたが、後に多くの水を加えて穀類の汁となり「増水」が後に「雑炊」と当て字が使われるようになったのは、穀類のほかに野菜類や肉類を加えるようになってからで、関西では... 続きをみる

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  • ごんざ

    外部資料 大和の国中では、秋祭りの宵宮には頭屋(とうや)が祭りのごちそうをつくり、氏子にふるまう習慣が今でもあるようだ。頭屋とは、氏子が一年交代で務める氏神さまの世話役のことである。頭屋の仕事は正月のしめ縄の「とんど」に始まり、「麦秋」、田植えの終わる「さなぶり」や二百十日の無事を祈ったり、田の神... 続きをみる

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  • 奈良の酒 南都あられ酒

    外部資料 平常宮跡から発掘された木簡にも「造酒司」という文字が見える。およそ酒は、世界の国々でも神話の中に必ず存在し、人類の生存するところに自然発生したものと思われる。果実が自然に発酵して酒になり、畜乳が自然発酵して乳酒になり、農耕時代には、穀類を口中でかんで唾液で糖化されたものを吐き出して、自然... 続きをみる

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  • 三輪そうめん とにゅう麺

    外部資料 素麺は多く夏向きの食品におもわれるが、「大和」では「にゅうめん」として年中食べられる。夏は温かいのを冷たくして、冬は、温かいままいただく。「にゅうめん」は煮麺のことである。 「にゅうめん」は、お吸い物より少し濃いめの味を付けた汁にゆでた素麺を入れ、ひと煮立ちすれば丼鉢に汁と共に入れて、か... 続きをみる

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  • 正暦寺の 中風封じのかぼちゃ料理

    外部資料 奈良市東南部 菩提山川に沿ったところに 正暦寺がある。 正暦寺は正暦三年(992)に関白藤原兼家の子兼俊によって建立された寺である。古くから真言宗の道場として修二会 仏生会 厄除け祈祷など種々の行事が行われている。 寺の行事の一つに、冬至の日に「中風封じ」の祈祷が行われ、カボチャ料理を参... 続きをみる

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  • 寒ブナの柔煮 大和の味

    昔 大和には一万数千のため池(稲作用)があったといわれている。この池にフナの稚魚が放たれている。 稲刈りが終わると田に水を引く必要がないので、放水して池を干し、フナ捕りが始まる。寒ブナといって、このころのフナが最もおいしいのである。 十センチから十五センチくらいまでのフナを、二、三日きれいな水で泳... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から 文月 7月のお知らせ

    お勧めの本 ならら 7月号 吉野鉄道が特集されています。 環濠集落についても特集があり 奈良の魅力満載です。 うのん から文月 7月のお知らせ お休み予定 7月 4日(月)5日(火)   11日(月)12日(火)   17日(日)18日(月)19日(火)   25日(月)26日(火) パーソナルカ... 続きをみる

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  • 西大寺の大茶盛

    外部資料 南都七大寺の一つ西大寺は、東の国分寺「東大寺」に対して、西の国分寺として千に百年昔に称徳天皇の勅願により創建されたものであるが、その後の度々の火難により衰退した寺を七百五十年余り前に興正菩薩としてあがめられた高僧叡尊によって再興されたのである。 この西大寺に、直径30㎝を超える大きな茶碗... 続きをみる

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  • がん封じのササ酒

    南都七大寺の一つ大安寺では、毎年1月23日には光仁会が行われる。 千に百年前、都を奈良の平城京から京都の平安京に移されたかんむが、先帝の光仁天皇の御忌をこの大安寺で営まれた「という「続日本紀」に基づいて行われている法会である。 光仁天皇は平城京の最後の天皇である。白壁王として不運な長い年月を過ごさ... 続きをみる

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  • 八の日に食べる「メー」 大和の味

    海藻のヒジキを乾燥して刻んんだものを大和のお年寄りは「クロメ」(黒海布)と言い、略して、「メー」と呼んでいる。同じ海草のワカメに比較すると肉厚で粗悪であるが、ヨード7やカルシウム、鉄分などのミネラル類が多く含まれているので動脈硬化や老化防止によく、健康と若さを保持するのに役立つ立派な健康食品である... 続きをみる

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  • 唐招提寺の招堤みそ

    外部資料 唐招提寺の鑑真和上が日本に渡来するまで12年間、5回船が難破したりで失敗したにもかかわらず、6回目にして奈良の都に着いたときは、両眼を失明していたことは有名な話である。 その航海の糧として中国の甘鼓(かんし)(みそ9三十石を積み込んできたといわれている。わが国に「みそ」が伝来したと最初と... 続きをみる

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  • 柚巻柿 大和の味

    外部資料 柿は大和の風物詩の一つ。大和では、柿の木のない農家はないといわれていた。晩秋のころ、鈴成りの真っ赤な柿の風景が見ることがある。 奈良時代には柿があったが、おそらく渋柿であろうと考えられる。したがって、「つるし柿」として食べたかどうか分からないが、奈良が中心となって発達したことは事実である... 続きをみる

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  • 柚餅子 十津川 奈良の味

    外部資料 奈良県の秘境といわれた十津川郷は、長いあいだ交通に閉ざされて、昭和25年、6年ごろまでは、電灯もない「陸の孤島」と呼ばれた村落であった。十津川に沿った山道は細く険しく熊野、新宮まで続いているが、川の水をせき止めて猿谷ダム。風屋ダムができるにつれて電灯もつき、道幅も広くなって、今は観光地と... 続きをみる

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  • 吉野葛

    外部資料 夏の和菓子の代表的なものにクズまんじゅうがある。水でぬらしたササの葉を敷いて、冷たいクズまんじゅうを出されると、ついお薄を一服いただきたくなる。 原料のクズは大和の特産。「吉野葛」は特に良質である。吉野には山野に自生するクズの根っこから採った、今でクズ粉を食べていた部族がいて、国栖人(く... 続きをみる

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  • 大和芋

    外部資料 大和の国中から南にかけて、良質の山芋が栽培され、「大和芋」ともいわれ他府県に出荷されている。 「とろろ」にする芋は、山に自然にできる自然薯またはまたは栽培した長芋などがあるが、最もおいしいのは山芋である。赤ちゃんの頭ほどもある塊で、皮を厚めにむき、凹んだところは特にアクが強いので深く削り... 続きをみる

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  • 奈良漬け 本場の味

    外部資料 漬物は貯蔵食品として古くからあったと思われるが、景行天皇のころに、すでに塩漬けが行われていたとも伝えられている。今から千年余り以前に書かれた「延喜式」(宮中の年中行事の儀式や飲食生活について記載されている)の中に「糠漬瓜九寸 、糠漬冬瓜一石」などの文字があり、そのほかナス、ワラビ、フキ、... 続きをみる

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