「うのん」の気象歳時記ブログ

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統一 奈良県

明治2年(1869)版籍奉還ののち 藩政の改革に成功した藩もあったが、河内国狭山藩などのように、藩の財政が極端に悪化したために廃藩を願い出て、近くの府県に合併されたものも少なくない。
この時期、府・藩・県が入り混じって存在し、その行政区域の広さもまちまちで、なかには飛び地もあり、ともすれば中央政府との連絡もとどこおりがちであった。
ここに中央集権国家の基礎ができあがったのである。
今まで政府の直接の支配地にもうけられていた府・県をあわせて、全国でいっきょに3府32県が生まれた。


大和では、今までの奈良 五条の2県のほか、大和国内に城や陣屋を持つ8つの藩がそれぞれ県名をたなえることになった。
すなわち、郡山 高取 小泉 芝村 柳本 柳生 田原本 櫛羅の各県である。飛び地の形で大和に領地を持っていた和歌山 津 久居 壬生 大多喜各藩の村は、それぞれ和歌山 津 久居 壬生 大多喜の各県に属することになった。
廃藩置県ののち 政府は3府32県を数えた府県の統廃合をどうするかについて協議した。大蔵省は新しく新たに生まれた県の財政事情を調べ、いっきょに四分の一以下に減らす案をつくり、一県の石高が10万石以上になることを標準に統合をすすめた。


大和の場合は、奈良県ほか14県をあわせて、あらためて大和一国を管轄する奈良県が明治4年(1871)11月22日に誕生した。

■住所630‐8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43-8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

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