「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2022年4月のブログ記事

  • 奈良町の道

    奈良町の道を歩いていると道幅が狭いと感じる。 平城京では大路は24㍍(八丈)小路は12㍍(四丈)といわれ、朱雀大路は最も広く84㍍、これにつぐものは二条大路36㍍といった大きさで、大路の両側には約2㍍の築垣をつくり、築垣の前に犬行とよばれる空地を設け、さらに、その前に溝を通じしていたので、実際に歩... 続きをみる

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  • 平城山(ならやま)奈良の山

    万葉集に  「平山の峯の黄葉取れば散る     時雨の雨し間無くふるらし」 ほか、五首がおさめられている平城山について専門家の間では問題となっているが、 一般的には大和(奈良)と山城(京都)との国界となっている佐保山と佐紀山をあわせて平城山(ならやま)と考えるが妥当であろう。 平城山は、地形からす... 続きをみる

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  • 平城京と佐保川

    平城京遷都の際、藤原京から、物資が佐保川を使い運ばれたと万葉集にみることが出来る。 「大君の御命かしこみにきびにし家をすて・・ 奈良の京の佐保川に い行き至りて」と記されている。 「猿穂河(さほかわ)の 小石踐渡り ぬばたまの  黒馬の来る夜は 年にもあらぬか」 「千鳥なく 佐保の河門の 清き瀬に... 続きをみる

  • 佐保川 奈良の川

    佐保川 外部資料 佐保川は 旧市内の川のなかでも最も大きく種々の歴史とロマンを秘め、奈良の町を育ててくれた貴重な川である。 この川の源は春日・芳山を主としている。春日山は国の天然記念物に指定され狩猟伐採が禁じられている。 佐保川の桜は 幕末の奈良奉行であった 川路聖謨(としあきら)が江戸から大和の... 続きをみる

  • 奈良町 能登川

    外部資料 能登川は春日山と高円山との渓谷をながれている川で、樹木の伐採が禁じられた春日山を水源とする関係でいつも清らかな水が流れている。万葉集にも  能登川の 水底さへに 光るまでに  三笠山の山は咲きにけるかも とある。能登川の清流にうつった三笠山をうたった歌であろう。上流はこの川に沿って東山間... 続きをみる

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  • 奈良三山

    三笠山 高円山 春日山の奈良三山から太陽と月が一年を通じて昇るので、奈良町の人々は朝起きると東方に向かって合掌していた。水神の山としてだけでなく、太陽に対する信仰もあったと思われる。春日曼荼羅には太陽や月がえがかれているのも太陽や月に対する自然信仰をあらわしたのではないだろうか。 この三山は奈良町... 続きをみる

  • 奈良の自然 奈良三山

    若草山 現在芝原となり、三つの笠が重なっているので一般に三笠山とも称されるが、古くは葛尾山と呼ばれ樹木が茂りあい、天平勝宝八年(756)に描かれた東大寺山界四至図に東大寺の西大門の南から若草山に登る道が描かれており、とくに若草山とも葛尾山とも記されていないので、この辺りにも樹木が茂っていたと考えら... 続きをみる

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  • 奈良町 自然の山

    春日山 奈良町の東に鬱蒼と巨木が繁っている山で、高さは497㍍で余り高くない山である。一見して一つの山のように見えるが、神野峯・高山峯・上水谷峯からなっており、大昔から水谷神社・神野神社・鳴雷社や高山社といった水の神をまつる神社がある。この山を水源として能登川・率川・吉城川・佐保川があり、奈良の町... 続きをみる

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  • 奈良町と自然

    奈良三山 高円山 春日山(御蓋山含む)若草山を古くから奈良三山と呼び、奈良の町はこの三山のふもとにうまれた町である。 高円山 奈良時代、大宮人たちの楽しい憩いの楽園であったことは万葉集に ねもころに 物を念へば 言はむすべ せむすべもなし 妹と吾が 手携りて 朝には 庭に出でたち夕べには 床うち沸... 続きをみる

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  • 奈良町と 明治維新

    奈良町の人々は喜びあったが、徳川幕府がたおれ 明治政権の誕生となり、五箇条のご晢文が作成され、鎖国を解き旧来の陋習をやぶり、欧米の文化を採り入れ、富国強兵・文明開化を目標に日進月歩くと外国に追いつけ、追い越せと、突進また突進し、社会も政治も大きく変化した。衣服は和服から洋服、髪も断髪、ダンスの流行... 続きをみる

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  • 松永久秀 と 豊臣秀吉 と奈良町

    戦国時代、松永久秀がふたたび東大寺大仏殿に陣取った三好氏と戦い、大仏殿を焼いた。それ以来大仏さまは百四十年間露坐となっていたのである。なお、そのうえ奈良に大きな打撃を与えたのは、天下を統一した豊臣秀吉であった。 大阪城を築いた秀吉は、この城を関東の豪族から守るため、郡山城に弟秀長を百万石の大名とし... 続きをみる

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  • 奈良町 小史 色々 王朝文化

    王朝文化の移入 新しい王朝の文化が、主として春日神社 と興福寺を中心にうまれたということである。春日神社は藤原氏の氏神、であったし、春日神社の神官や興福寺の門跡は藤原氏関係の人がなったために、王朝の文化を育てた。その一つは春日社殿であり、宝物館におさめている宝物であろう。 平重衛の南部焼打ち   ... 続きをみる

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  • 奈良町 小史 色々

    旧奈良の町は、平城京の外京と呼ばれた地域に生まれた町である。 外京というのは、平城京の左京の東に造成された地域で、一条から五条にいたる地域が東に延長され、五坊・六坊・七坊となったのである。 藤原不比等が氏寺としてた興福寺の南大門跡に立つと、西方にかつての平城宮跡がみえ、脚下に元興寺(もと飛鳥での蘇... 続きをみる

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  • 中街道 奈良の街道色々

    現在中街道と呼んでいるのは奈良市京終口から神殿町・北之庄町を経て横田町に至り、二階堂で大和郡山市からの道路と合し、昔の下津道は田原本町・八木町から橿原市に至る道路をいっているが、国道2424号線(旧)(中街道)が拡張以前は北之庄から井戸堂を経て、備前・海知・江包などを経て香久山の東から橘寺に通じて... 続きをみる

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  • 上街道 奈良の街道色々

    奈良時代に大和平野を南北につうじる道路として上津道、・中津道・下津道がああった。現在上街道と呼んでいる街道は奈良時代に上津道と呼ばれていた道であろう。時代のすすむにつれて農耕を主とする生活の展開によって集落は平坦に移り、各所に誕生した集落を結ぶ道路が開けて上津道・中津道・下津道となり、上津道を上街... 続きをみる

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  • 山辺の道 奈良の街道色々

    もう一歩 奈良のこと知って旅しませんか? レアな情報を知って より一層楽しいくしましょう。 「日本書記」武烈天皇(第25代天皇在位499~506)の条に  布留をすぎ 薦枕(こもまくら)高橋をすぎ、物多(ものさわ)の大宅をすぎ  春日(はるひ)の春日(かすが)をすぎ 妻籠(つまこも)る小佐保をすぎ... 続きをみる

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  • 奈良の 町色々 南部地方

    大和高原の麓に展開する大和盆地の東北部にあたるところで、大和高原に接する丘陵地帯は奈良市のなかでも早く開けたところといわれ、和珥氏の一族である大宅氏や小野氏の一族が住居下と伝えられ、丘陵地には六世紀から七世紀にかけての古墳郡がある。 大和平野に農耕が発展するにつれて集落がつぎつぎにできて、これから... 続きをみる

  • 奈良の 柳生街道

    高円山と春日山との谷間を能登川に沿った山道で、古くはから東山中と奈良(国中)を結ぶ重要な道路であった。南都諸寺の僧侶の修業道路でもあった。この道に沿って弥勒菩薩や地蔵菩薩を刻んだ石仏が各所に点在している。この道は大柳生を経て江戸時代に、「切る武道」から「人を活かす武道」へと育てた柳生新蔭流」を生ん... 続きをみる

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  • 奈良の 笠置街道

    奈良                     (昨日と同じ地図参考にご覧下さい) 市川上町から山の間をぬい中の川町・須川町を経て前川町・白砂川にそった狭川町・廣岡町をすぎて笠置に通じている路で、鎌倉時代簀川路ともいわれていた。「東里村史」によると、簀川・鳴川がはじめて文書にみえるのは天平勝宝八年(... 続きをみる

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  • 奈良の 東部の名前色々

    奈良の東部 奈良市の東部を 東山(ひがいやま)と呼んでいる。地理的には大和高原」といわれいるところで、標高300㍍から500㍍といった山地で南から北へと傾斜し、起伏のあまりない波状的な山地で、布目川・今川・白砂川・などはそれぞれ平地(田原 大柳生 柳生 阪原 pr巴地(おうじ)須川 狭川 など)を... 続きをみる

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  • 奈良の町色々 西大寺

    このあたりは平城京の一条三坊にあたるところで、称徳天皇が東大寺にならって創建された西大寺のあるところである。 西大寺は称徳天皇が藤原仲麿の反乱があったので、再びこうした不祥事がおこらないようにとの念願から国家鎮護の仏像とされている四天王像の造立を発願されたとのがこの寺の濫觴となったように西大寺の資... 続きをみる

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  • うのん から 卯月のお知らせ

    天理市に出来た施設です。 奈良の歴史の体験型施設です 奈良の知識を持って奈良を楽しんで下さい 今日の薬師寺と桜 「本のある喫茶店 うのん」今月のお知らせ お休み予定 4月 4日(月)5日(火)   11日(月)12日(火)13日(水)   17日(日)18日(月)19(火)   25日(月)26日... 続きをみる

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  • 奈良の 町色々 北西部

    佐紀・西の京丘陵・矢脈山脈・といった北西部のところを奈良では西山と呼んでいた。この北西部方面に早くから人々が住みついたようである。昭和52年3月、佐紀池の発掘調査がおこなわれたとき、縄文時代の土器の破片が発見された。これだけでは縄文時代に人々がすみついたと考えられるのは早計であるが、平城京の西・南... 続きをみる

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  • 奈良の大路 一条大路(佐保路)

    平城京の」一条大路で、東大寺の転害門から西にのび、平城京に通じる大路である。奈良時代創建の総国分寺東大寺と総国分尼寺法華寺を結び、沿道には、大宮人たちの住居のあったところで、当時大宮人が桜かざし、万葉集をひもとけば明らかである。平安遷都後も、京都、大坂北部からの交通の要路であったこちょは、枕草子、... 続きをみる

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  • 奈良の町色々 平城京極大路 = 京街道

    この街道は明治18年国道49号線となり、さらに大正9年4月に国道15号線となった京都と奈良を結ぶ重要な道路である。 平城に都を遷され、平城京が計画された際、京東へ三坊fがひろげられ、この道路がその京街道となり、東大寺と興福寺がこの道路を境界として計画された。それ以来、この道路は東大寺、興福寺の建立... 続きをみる

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