「うのん」の気象歳時記ブログ

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悲劇の #柳生藩

外部資料

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柳生藩と聞く 柳生十兵衛 柳生宗矩など 徳川家将軍の剣術指南役として有名である。また 代々藩主が参勤交代をしない大名だった。
そのため、幕末のぎりぎりまで江戸を離れることができず、幕府の指示にしたがって江戸周辺の警備などにあたっていた。しかし、王政復古令が出されて各藩主が京都に呼び集められるようになると、当時の藩柳生敏益も江戸の藩邸にいた家臣をつれて柳生に帰り、京都に出仕することになった。
柳生は京都近く 政治の動きに敏感な柳生にいた家臣と、幕府への敬愛の気持ちが強い江戸の藩邸にいた家臣とのあいだに、新政府につくか旧幕府につくかで意見が対立するようになった。そして 慶応4年(1868)に両者のあいだで流血事件がおこった。
江戸かた帰国した佐幕府派の家臣たちがとらえられ、拷問などを受け九人もの犠牲者を出した。 佐幕派が使っていた合言葉をとって「紫縮縮緬事件」(むらさきちりめん事件)と呼ばれている。
犠牲になった九人の藩士は、今も十兵衛のかたわらに眠っている。


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