「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

幕末の大和
嘉永7年(1854)6月、近畿地方の中南部に大地震 大和の各地には大きな被害が起こった。春日大社の灯ろうが倒れ下敷きになってけがをする人もいた。また奈良町の町家が一割ほど倒れ、数百人の死亡があったといわれている。

外部資料

また添上郡 古市村では、村の山間をせき止めてため池をつくっていたが、そのため堤がこの地震で切れ、流れでた水によって人家が押し流され多数の死者が出たという。
地震の恐怖がおさまらない安政5年(1858年)夏ごろに大阪ではやり出したコレラが 大和のも瞬く間に広がった。これでも多くの死者が出た。社寺にすがった。
こうした厳しいい現実の生活から救いを求める人々の心のよりどころになったのもの一つが天理教である。
天理教は山辺郡庄屋敷村の主婦 中山みきさんが天保9年(1858年)の神の啓示を受けてはじめた宗教である。その後京都の吉田神道家から「天輪王明神」の神号を伝授され、新しい神として認められるようになった。



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