「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

西大寺の大茶盛

外部資料
南都七大寺の一つ西大寺は、東の国分寺「東大寺」に対して、西の国分寺として千に百年昔に称徳天皇の勅願により創建されたものであるが、その後の度々の火難により衰退した寺を七百五十年余り前に興正菩薩としてあがめられた高僧叡尊によって再興されたのである。
この西大寺に、直径30㎝を超える大きな茶碗でお薄を回し飲みするという面白い行事が伝わっている。
叡尊が時の天皇から御衣をいただき、元旦から十四日まで修正会(しゅしょうえん)を行い、天皇の御衣を加持祈祷して天皇の健康を祈り、併せて万民の幸を祈ったという。その翌々日十六日に西大寺の奥に祭られている八幡さまに修正会結願の報告と感謝をして、献茶し、その余服を参詣の村人たちにふつまわれたのが、そもそも大茶盛の始まりといわれる。
叡尊様より献茶の余服をいただくと一年間、無病息災に暮らせると言い伝えられ、年々参詣の人が多くなり、小さな茶碗では間に合わず現在のような茶碗になったということである。


鎌倉時代は、お茶を喫するというよりも薬として大切なものであったと思われる。現在は、客殿において大茶盛が行われているが、以前は森の行事といわれて八幡さまの社前でおこなわれ、しかも一月十六日、修正会の後の行事で、この日西大寺にもうで、八幡さまの社前に行けば、身分の差別なくお茶がふるまわれたと伝えられている。伝教の行事として有意義であり、また叡尊上人の公益事業、社会事業の一つであったにちがいない。
江戸時代のある歴史書によると、この茶会が大茶盛といわれるようになったのは、律宗関係の寺院では酒宴は一切禁止されていたので、すべての人々にお茶をふるまったとのことである。酒で和気あいあいと楽しむのを酒盛というのに対して、これをお茶碗で大勢の人々が仲良く分けて飲み干すことから大茶盛という言葉になったと考えられる。
また、西大寺の本尊愛染明王は叡尊が仏師善円につくらせたもので、縁結びの仏さまとして大茶盛をいただくと良縁が得られるとも伝えられている。
すべて大形の茶道具でお茶が点てられ、直径36㎝の大きな茶碗に七~八人分の量で回し飲みをする。茶碗は一人では持ちきれず、両側から支えられて喫するものである。
西大寺の大茶盛は「笑い」のお茶会であり、また「和合」のお茶会でもある。


本のある喫茶店 うのん
■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43‐8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

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