「うのん」の気象歳時記ブログ

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奈良の酒 南都あられ酒

外部資料

平常宮跡から発掘された木簡にも「造酒司」という文字が見える。およそ酒は、世界の国々でも神話の中に必ず存在し、人類の生存するところに自然発生したものと思われる。果実が自然に発酵して酒になり、畜乳が自然発酵して乳酒になり、農耕時代には、穀類を口中でかんで唾液で糖化されたものを吐き出して、自然発酵をして穀酒になったという。
日本酒は穀酒である。素盛鳴尊(すさのおのみこと)が大蛇退治をした伝説にすでに酒が出てくるが、どのうおうな酒かはだれも分からない。万葉の時代には女性も酒を飲んだらしく、万葉集に残されている。万葉の時代も、奈良時代も天平時代までは多分濁り酒であったに違いないといわれている。
現在のような清酒のそもそもの始まりは、濁り酒の上澄み液をとったものであろう。平安時代に、袋を用いて圧搾して液とかすとを分ける方法が行われていたともいわれている。室町時代には奈良市菩提仙の正暦寺僧坊で造られていたという。「奈良酒」が、清酒の名酒として古い記録に残されている。
「南都あられ酒」の起源は天平年間という説と江戸慶長年間という二つの説がある。その隔たりはあまりにも大きいので新偽はわからない。
万葉集に
「さかずきに うめのはなうかべ おもうどち のみてののちは ちりぬるともよし」
と大伴 阪上朗女(おおとものさかのうえのいらつめ)の詠んだ歌がある。この時代に酒に花を浮かべて賞賛したとの意味で、天平時代、孝謙天皇が春日神社へ行幸された折に、御蓋山おろしに急にあられが降り、お神酒(おみき)のなかに浮遊したのをご覧になって御感ひとしおであった。これから「あられ酒」の名が始まったと「東山雑記」に伝えらえているという説がある。
また慶長年間の師走半ばのある日、漢方医の糸屋宗仙という人が春日神社へ参拝した帰途、猿沢池にさしかかるとあられが降ってきて、池の面に落ちては沈むその風情をヒントを得て、風流人の宗仙が「あれれ酒」を工夫したものだという説もある。




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