薬師寺近くの うのん から 10月のお勧の本
ならら 10月号です 秋らしく 芸術を楽しみが紹介されています。 大和文華館にて 墨の天地 というタイトルで特別展の紹介 私的には 墨絵に非常に関心があります。 多聞院英俊 の話など興味深いものがあります。 珈琲しながら読書の秋にぴったりです うのん 10月の看板 定休日 日曜日 月曜日ですが ... 続きをみる
薬師寺近くの小さな本のある喫茶店
ならら 10月号です 秋らしく 芸術を楽しみが紹介されています。 大和文華館にて 墨の天地 というタイトルで特別展の紹介 私的には 墨絵に非常に関心があります。 多聞院英俊 の話など興味深いものがあります。 珈琲しながら読書の秋にぴったりです うのん 10月の看板 定休日 日曜日 月曜日ですが ... 続きをみる
「もの言う地蔵」薬師寺から東へ秋篠川手前に地蔵さんがいらしゃいます。 中はきれいに日々掃除された 地元の人々に守られています。 このお地蔵様は 昔 どろうぼうに話かけられました。 その泥棒は自分のしわざを、話話していたところ 警官につかっまったという話があります。
「子供のための大和伝説」から 「端嶺和尚の雨乞い」(たんれいおしょうのあまごい) むかし 下市町の西来寺の住職であった端嶺和尚は、徳のすぐれた高僧でした。 ある年、ひどい日でりが続きましたので、百姓の人々は端嶺和尚の雨乞いをしてくださいと頼みました。 和尚は百姓の人々を従え、からかさと硯を持って、... 続きをみる
天満天神社 外部資料 薬師寺 近鉄橿原神宮線を挟んで西側 天満天神社は鎮座しています。 天満社は 菅原道真公のお膝元であるこの付近は 菅原神社を中心に扇型に50社ほどあるそうです。その中でこの神社は 七条町の氏神様で 雷から氏子を守るご神徳をおもちです。 地元の氏子様方でお守りされています。
「子供のための大和伝説」から 「二上山の嶽登と火の玉」(にじょうさんのだけのぼりとひのたま) 大和の山間地方では、毎年村中の人が山へ登ってお祭りをする嶽登りという行事があります。二上山のふもとの人々は大つもごりの夜、夕食をたべてから、二上山へ嶽登りをするということが、むかしから行なわれているそうで... 続きをみる
薬師寺八幡宮 薬師寺休岡八幡神社が薬師寺南大門に鎮座。旧村社。登神誉田別命 もと薬師寺の鎮守であると共に、西京郷の郷社であり、「大桑院雑事記」文明四年(1472)七月十九日条には郷民らが祈雨立願のため同社で手猿楽を興行したことがみえ、また寺僧により八幡社八講・八幡社十講などが催された。本殿は三間社... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「孝女伊麻(こうじょいま)とうなぎ」 寛文十一年の夏、悪病が流行した時、当麻町南今市の伊麻さんのお父さんも病にかかって、食事もとれなくなりました。伊麻と長兵衛のふたりの子は昼夜かいほうにつとめましたが、すこしもよくならず途方にくれていました。 うなぎを煮て食べると早く... 続きをみる
三松寺 一昨日紹介いたしました 天武神社から 南へ徒歩2分ぐらいの所に 三松寺はあります。 県下で一番整った禅道場を持つ三松寺には我々人並みのつややかな話がある。 三松寺東側に大きな地蔵がお立ちです。この大きな地蔵様が 艶地蔵といいます。 宝暦三年 大和郡山城の城代家老 松下将藍が 江戸で妾婦お艶... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「染井戸と糸かけ桜」 当麻町染野の石光寺に染井戸という井戸があります。 中将姫が当麻寺で蓮糸で曼荼羅を織られた時に、ここへ新しい井戸を掘り、蓮糸を五色に染められたのだといいます。それでこの井戸を染井戸といい、この石光寺を染寺ともいいます。そして柿の名も染野(しの)とい... 続きをみる
野々宮天神社 大池北側に「野々宮天神社」が鎮座しています。ここは以前もブログしました。 相撲の祖 垂仁天皇に埴輪を提案し 埴輪作りを最初にし 菅原道真の先祖といわれる 野見宿禰(のみのすくね)と菅原道真が祀られています。 それは神社に掲げられている「額」に表れています。ここから西に 埴輪作りから生... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「蓮糸まんだらと当麻れんぞ」 いまの当麻寺一山の本堂を俗に曼荼羅堂といいます。 むかし、中将姫は雲雀山から奈良へ帰られましたが、発心して十九歳の時に当麻寺へ来て弟子入りを願い、名を中将法如尼と改め、一心に修業されました。二十六歳の時、 「世にはほんとうの仏があるならば... 続きをみる
薬師寺周辺 天武神社 写真は古くいものです。 七条大池(勝間田池)南側に天武神社はあります。大池から細い道を南に徒歩2~3分ほど歩いた所に 木の生い茂った中にこじんまりと 手入れされたことが伺える天武神社はあります。天武天皇は薬師寺の発願されましたが 完成を待たず なくなられました。 そこで薬師寺... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「当麻の来迎の松」 当麻寺の仁王門をはいって行きますと、中の坊の前に一本の来迎の松という松の木がありました。 いまは枯れてしまっていますが、その株は小屋を作って保存してあります。 中将姫がおなくなりになる時には、紫の雲がアイタイとしてこの松にかかって、仏さまのお迎えが... 続きをみる
また薬師寺 西ノ京にちなんだブログです 薬師寺の南東角に 「竜王社」があります。 江戸時代後期に 通称七条大池 「勝間田池」が災害に遭い それまで池東北の角辺りの小高い場所に竜の祠があってそれが流されました。そこで 竜を薬師寺にお祀りするようになりました。毎年七月二十六日には 五条 六条 七条 九... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「大和の江戸」 ♩♩♩ 下田よいとこ 大和の江戸や・・・♩♩♩ という唄がありますが、明治になる少し前に「権の守」という者が、「さすがに、下田は大和の江戸や」と感心した話があります。 そのころ、権の守と名乗る者が、大坂方面から関屋まできて 「十津川まで行くから... 続きをみる
コロナウイルス感染予防の自粛生活 その予防しながら社会生活が活発になってきて奈良西ノ京周辺にも人が来ていらしゃいますので この辺りをまたブログにしたいとおもいます。 まずは 奈良の観光パンフレットにもよく見る有名な風景から ここに来られる人はイベントの時以外は少なく ゆっくり風景に浸っていただけま... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「狐井と板仏の祭」(きつねいといたぼとけのまつり) 北葛城郡香芝町に狐井という村があります。この村は全般に水が悪かったが、むかし、お宮のほとりに一匹の狐が住んでいて、いつのまにか、この狐の穴から清水がこんこんとわき出してきました。 今もお宮の隅に、この「狐の井戸」があ... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「金の茶臼」 宇陀の榛原市からバスで東南へ4㌔、高井から左の方、室生へ通じる山道を1㌔ほどゆくと、赤埴の仏隆寺という古いお寺があります。 室生寺の南門といわれてきたお寺で、ここの宝物として金の茶臼というのがあります。 側面に動物のキリンを彫刻した石の茶臼で、金で破損し... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「大野寺の身代り焼地蔵」 近鉄の室生駅を下車すると、南方に彌勒の大石仏のほられてある屏風岩が見えます。 その対岸が大野寺で、ここの堂に身代り焼地蔵さんがまつられてあって、こんな伝説があります。 むかし、大野の郷土という村のさむらい、杉山平左衛門の侍女に、小浪という気だ... 続きをみる
奈良県の民話 「塗りつぶしの絵馬」桜井市 長谷寺というたら ボタンの名所や、大和の人なら、だれも知っている観音さんのお寺や。 わらしべ長者の若者も、願をかけたという、ありがたい観音さにゃ。 ありがたい観音さんやったら、みんなはいろいろなものを、おそなえしよる。 いまから、二百年もまえのことや。 奈... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「ごんじゃの穴と五八寸」 宇陀郡室生村大字小原の仏ガ谷に、ごんじゃの穴という所があります。直径1メートルぐらいの奥深い洞穴で、大蛇がすんでいた所といわれています。 ある時、村の人が川辺に下りて、この穴の付近でグミを取って食べていますと、足もとに大きな松の木が横たわって... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 香芝市狐ノ井には洪水のとき流れついたという板仏をご本尊にした福応寺があって 毎年七月九日がご縁日である。雨乞にはご利益があると云うので多くの人が参拝し賑う。 飛鳥川をとりまく雨乞の聖地は沢山あって 例えば坂田のクツナ石 これ等のことを記すと際限がなく聖地はある。
「子供のための大和伝説」から 「滝野長者の跡」 山辺の東山中、伊賀境に接して、室生村大字滝野という戸数わずかに九戸ほどの小村があります。むかし、ここに滝野長者というのが住んでいました。 滝野長者は、石工が家業でありました。若い間によく働きましたので、大和でも指折りの長者になりました。しかし、別にお... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 奈良市十輪院には池の中に竜の珠があって旱天に雨を祈った。同院の山号は雨宝山といい、筆者の仕事が仕事であった為 雨宝山の響きは愉しませて呉る。国中にはもう一つの雨宝山が田原本町にある。山号は同じく雨宝山 寺の名前は楽田寺 といい 雨乞に霊験あらたかな掛軸がある。
「子供のための大和伝説」から 「一升坂と猿石」 高市郡高取町の高取山上にある高取城跡への登り坂に、一升坂という急な坂があり、こんな伝説があります。 むかし 高取城を築く時、石垣の石材は、多く西北のいまの橿原市鳥居の増田が池の辺から取りました。 ところが、その人夫たちが、いまの一升坂まで登っていった... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 日照りは続き 旱魃に悩んだ歴史は数知れず 数々の雨乞行事が繰ひろげられ繰りかえされた。以上述べてきたのはホンの一例にすぎない。白い蛇にまつわる池られて峯の明神池の話し。台高山脈 薊岳の麓 笹野神社付近は古来聖域として里人の信仰を集め白蛇の住む雨乞の池(大鏡池)がある。下市町貝原の... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「鬼のマナイタと鬼のセッチン」 近鉄電車の飛鳥駅で下りて、東方の橘寺へ行く道すじに、鬼のマナイタと鬼のセッチンという二つの石が道の上と下にあります。明日香村の平田というところです。 いづれも人工を加えた大きな石造物で、マナイタの方は平らかな石で、道の上の畑に横たわって... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「お亀石」 高市郡明日香村の河原の南、橘寺の西門を出て、数百メートル西へ行くと、田の中に大きなお亀石があります。 大きな石を亀の形にほったものですが、だいぶん古い時代のものたしく、それが、西南の方を向いて田の中に、ななめに寝そべっているのです。こんな大きな石のほりもの... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 汚穢と雨乞 人骨と墓の土 北葛城郡王子町 この町の中村では、雨乞に墓地の土を探って来て、ムモンジの滝に行きその水で練って土の団子を作りこれを滝に供えた。時間は丑満時に限られたという。同町の王寺でも コオセンボの墓の土を採って尼寺の滝の水でこねて団子を作り 明神山の頂上にある祠に供... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「油かけ地蔵」 近鉄平端駅より西南二キロ、板東という里から結崎の方へ行く野道の川西村南吐田と北吐田の境界の四つ辻に、西向きに石のお地蔵さんが立っておられます。 油掛け地蔵といわれて、クサをなおす地蔵さん」として、近所の人から信仰されています。 二百年ほど前、泥田の中に... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 動物を供えて雨乞をする。 「大和志」添上郡の条に「投牛山 在田村東 昔看牛祈雨有応 因名」とある。これは単なる伝説とも考えるが皇極帝の場合にも一概に否定はむつかしい。 絵馬と雨乞 古代朝廷の雨乞いに、神の乗り賜う馬を献じた。奈良市日笠の天満神社には雨乞に黒毛の馬数頭を曳いて神社に... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 矢継の森 むかし 大和の土佐の殿様が、郡山の殿様の方へ、矢を射ました。すると今の田原本町多にある多神社の西数百メートルのところで、小さな森のある所へ落ちました。これではならぬと、ここからまた矢を続いてふたたび射ました。それからこの森を、矢継の森ということになりました。... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 竜形と雨乞 高市郡飛鳥村坂出 氏神で藁の竜を作り僧を招いて経百巻を操り これを担いで飛鳥川の渕に漬けたうえ心経を唱えつつ再び氏神に帰る。 同村島症 大蛇を松明をもって祝戸川まで送りそこに漬けておく。 池の中の鐘 奈良市忍辱山町ではタカオカミ神社の井戸をさらえ その底にある鐘を取り... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 水かえ行事 室生村の各大字ではそれぞれの土地の滝つぼの水をかえる。 西吉野村 永谷の不動滝を乾かして雨を祈った。 大淀町東垣内では、大日堂の井戸を雨乞にさり、その泥を大日堂の屋根に上げると大日さま怒って、そのに泥を洗い流すために雨を降らせるという。 都祁村小倉のダケノ山の頂に竜神... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「絵の中からぬけ出る話」 むかし、ひとりの旅の僧が、山添村中峯山のお寺にお寺にとまり、十日あまり何もせず天王社(神波多神社)の壁に、牛一頭だけ描いて、ひょっこりと立ち去ってしまいました。その後、村内では稲の田が毎晩だれかに食いあらされます。いろいろとしらべましたが、そ... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 鐘漬け行事② 磯城郡朝倉村 (現桜井市)岩坂 この村の会祈寺と同村狛寺の鐘を初瀬川の渕に放りこんで雨乞をした。 宇陀郡大宇陀町本郷での雨乞は竜王神社に村中総出で心経千巻を上げて祈るが、それでも雨が降らない時は神社の雨ヶ渕に竜の堀ものがある寺の鐘を放りこむ。 室生村下笠間では雨乞に... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「小倉の川尻地蔵」 都祁村の小倉の字川尻という所に、康永元年元年十月、日願主比丘頼円という銘のある川尻地蔵さんが祀られています。(康永元年は北朝の年号で633年前)大工坂原の何とかいう人の作ですが、残念ながら、石大工さんの名が読みにくくなっています。 この小倉の今岡と... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 鐘漬け行事 ① 桜井市旧桜井町では釣鐘を水に漬け竜頭の所まで水が来ると雨が降ると云う。 同市吉隠方面でもお寺の鐘を三日間川に漬けて雨乞をした。 同市初瀬でも半鐘を川に漬けた。 磯城郡川西町結崎では若い衆が裸で釣鐘を担いで神社に詣り境内の池に放りこんで雨を祈った。南無天踊絵馬で有名... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「神野山の天狗と鍋倉谷」 大和の神野山にいた天狗と、伊賀の青葉山にいた天狗とが、けんかをしたことがありました。 神野山の天狗は、青葉山の天狗を、しきりにおこらせましたので、青葉山の天狗ははらをたてて、盛んに石くれを神野山の天狗に投げつけました。 大和の天狗は、何も投げ... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 雨壺について 五条市の地福寺にアマツボと称する高さ六十糎ばかりのツボがある。これは昔役行者がここで雨乞をした時に竜宮の使いが来て授けたと伝えられるツボでこのツボの霊力によって祈雨の効がありその記念に地福寺が建てられたといふ。 吉野郡川上村高原では雨ツボ渕があってここで雨乞をした。
「子供のための大和伝説」から 「しんぐりまくり」 山辺郡山添村に助命(じょみょう)という村があります。むかし、善明寺というお寺があったので、ぜんみょうといったのだろうが、後に助命という字を書くことになりました。 この村のお宮さんは、八王子神社」といって、百メートルばかりもある高い石段があり、下から... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 雨乞の仏様のお出まし 一方 他の此の地蔵を盗んで来て祭ったら大雨が降ったのであわてて返した。平城村(現奈良市) 天理市の各集落では雨乞に竜王に詣るが、ときに他村の竜王の祠を盗み担ぎ廻り池や堀に入れて泥だらけにし、後で洗って返しに行った。 再び三輪町 雨乞は心経を誦んだ後村人が寄っ... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「米高岩と米安地蔵」 お米の値段が高くなるか、安くなるかということは、むかしも、いまも大問題で、私たちの生活に大きな影響があります。 五条市小島町の栄山寺境内に大きな忠魂碑が建ってありますが、この石は元来、米高岩といって、栄山寺の前を流れる音無川の淵の上流にあったのだ... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 仏様のお出まし ○大和高田市神楽では村中提灯を持って宮に籠り大日さんの像を輿に乗せ、松明を灯しチャンココ チャンココ 雨ヲヒト降リ下サイナ と鉦を叩きながら領内を歩いた(市中) ○橿原葛本では安楽寺本尊の脇立を村民が輿に乗せて担ぎ領内の田を「雨タンモレ タンモレヤ」と云って廻る。... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「曲り淵の馬の足跡」 吉野川が五条の町の南を西へ流れてゆくと、二見にいって急角度に川は海へ折れます。その折れたあたりが曲り淵で、淵の深さは測り知ることができないくらいです。そして、その淵の中に馬蹄形のついた大きな石があります。 むかし、ある武士が大ぜいの家来をつれて大... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から」 「犬飼」 五条市になるまで阪合部村といった村の中に、犬飼という大字があります。 犬飼とか犬養という土地は各地にあり、犬養という姓もあります。 この」五条市の犬飼は、むかしは犬を飼って猟をした所だと思いますが、ここに弘法大師についての、次のような伝説があります。 むか... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 雨乞地蔵 神仏を水に漬ける。この例も多数あるので場所のみにとどめる。 北葛城馬見町(現広陵町)各集落 高市郡船倉村(現高取町) 天理市柳本 同管生 櫟本 中の辻 北管田 生駒郡平城村(現奈良市) 西吉野村坂巻 北葛城郡河合町では次の様な雨乞い歌がある。 じろ(地蔵)さんや たろ(... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 みそぎと日向蛙 この行事は榊の葉や川の石を拾って宮に参る。行なわれた処のみを記す。吉野町 竜門 大塔村 磯城郡朝倉台(現桜井市)初瀬町吉隠 柳 角柄 天理市二階堂 北葛城郡陵西村(現高田市)南葛城郡葛城村(現御所市) 五条市丹原 吉野郡白銀村(現西吉野村) 同郷川上村西河 天理市... 続きをみる
「子供のための大和伝説」から 「姫谷池」(ひめたにいけ) 五条市南阿太の奥の谷に一つの池があります。 むかし ある家の娘さんが、その池へ洗たくに行きますと、池の堤にかんざしが落ちていました。何気なく拾って頭にさしますと、そのかんざしが大蛇になって、見る見るうちに娘さんをのんでしまいました。 夕方に... 続きをみる
大和の雨乞の歴史 雨乞と忌籠り 天理市長多岐最初は氏神に願立てをし、一日籠りといって夕飯頃まで籠る。そして神慮をうかがって花笠踊とか子供相撲を催す。それで効のないときは二ヤサンニチ(二夜三日)のお籠りを弁当持ちでした。 福住村井之市では氷で室神社に籠り神主に拝んでもらった。御所市旧宇知村では葛城神... 続きをみる