「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2022年8月のブログ記事

  • 薬師寺近くの うのん から 長月のお知らせ

    お勧めの本 ならら 9月号です 豊臣秀吉の弟 秀長  奈良を僧侶が守ってきたが 秀長によって武家の秩序が入ってきた。 郡山城は筒井順慶の城であったが 武士の勢力で追い出され 秀長が城主となった。 秀吉による秀長自害の命により 秀長の妻子供たちも亡くなった。 妻 子供たちの墓は近鉄 尼ヶ辻駅 南東徒... 続きをみる

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  • 奈良の伝説 聖徳太子

    矢継の森 昔聖徳太子が居を定めるによい土地を求め、矢を放ってその地を定めようと、南から乾のほうを向いて矢を放たれた。その矢が今の矢継の森に落ちた。だがまだよくないと、ふたたびそこから矢を射られると今の法隆寺のところに落ちたので、そこを永住の地と定められたという。矢継の森には今も「矢継さん」という祠... 続きをみる

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  • 大和の伝説 卑弥呼の墓?

    箸墓古墳は卑弥呼の墓 外部資料 外部資料 三輪山の北西側の前方後円墳 この辺りは多くの古墳がある。 その一つが箸墓古墳です。 ここに祀られているのは このの域の豪族の娘の墓を箸墓といわれている。 この姫は大物主神の妻となったが、夜だけやってきて、昼には姿をみせないため、この姫は夫を怪しんで、夫の真... 続きをみる

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  • 緒環塚 大神神社

    外部資料 三輪山は神のいます山。大和国一の宮・日本国総鎮護といかめしい名をもつ大物西主大神を主祭神とした三輪明神が祀られている。いわゆる大神神社である。全山を神体とし、拝殿の奥に三輪鳥居と称される三つの鳥居があり、その奥禁足地になっている。また三輪の祝がいわう神杉には触れてはならぬという。きわめて... 続きをみる

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  • 芋洗い地蔵

    大和三山の一つ 畝傍山の南側が神武天皇を祀る 橿原神宮。 外部資料 橿原神宮を南に行くと 久米寺がある。古くは神武天皇の大和入りにしたがって久米部の住地とされ、また寺伝では聖徳太子の弟来目皇子の草創という。寺のかたわらに芋洗い地蔵が祀られている。 外部資料 昔、久米仙人が飛行中、洗いものをしている... 続きをみる

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  • 宝剣小狐丸 石上神社

    外部資料 布留に昔、一人の婦人がいた。冬に菅田の森を通ると、一匹の小狐が子をかかえながら、乳がなくて困っているのに会った。婦人は狐をあわれんで、毎夜そこに通って小狐に乳ををやった。狐はそのお礼に一口の剣を婦人に贈った。この剣は、狐が刀鍛冶の弟子に化けて向こう槌を打ってつくったもので、のちの宝剣小狐... 続きをみる

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  • 布留石上

    外部資料 今の天理は布留石上といわれている。 「石上布留の神杉神さびし恋をも吾はさらにするかも とあるように、神秘の山之辺の里であった。 昔、布留川の上流から一口の剣が流れてきた。触れるものは石でも木でもみなスッスッと切った。それが川端で洗濯していた一人の女の布にまといついて留まった。それを神とし... 続きをみる

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  • 業平道

    在原業平にまつわる伝説はきわめて多い。櫟本の東南方、天理市別所の小字ナリヒラには業平溝があり、井筒井というものもある。これも河内姫の身を投げたところろいうし、同じところに業平道・烏帽子すて塚というのもある。また、天理市田部町にクラガリというところに業平が河内姫から逃げてここまでくると、突然くらがり... 続きをみる

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  • 在原神社

    外部資料 昔、河内姫が長谷寺に参る途中、在原寺に水を飲みに寄り、水を飲みに寄り、水を汲んでくれた在原業平と恋仲になった。その後、業平が河内姫に会いに行ってそっと家をのぞくと、ちょうど食事中で、姫が父の給仕をしながら、ほこりのある畳の上に落ちたひとかたまりの飯を、手づかみで拾って口に入れた。業平はこ... 続きをみる

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  • 弘仁寺

    外部資料 清澄の里に十三参りで有名な弘仁寺がある。 弘仁五年(814)に小野篁が嵯峨天皇の勅使で建てたというで、その年号をとって寺名とした。嵯峨天皇の夢枕に一人の老人が立ち、 「奈良の南に七仏舎利山がある。もろもろの仏があらわれてお経の声が絶えない。ここに堂舎を建てて衆生を利益されたい。」 と言っ... 続きをみる

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  • 帯解地蔵

    外部資料 奈良から南に行くと帯解寺がある ここの本尊は地蔵尊で、帯解地蔵とよばれ、毎年7月23日24日の地蔵祭には女性が多く集まりお参る。 昔、文徳天皇の皇后明子、すなわち染殿皇后は懐胎され、月が満ちてみ生まれないので、宮中では大変心配していた。ところがある夜皇后の夢に、 「奈良から南へ一里ほどの... 続きをみる

  • 狐塚 奈良古市

    外部資料 山之辺の道を南に行くと 古市の集落がある。その中央部の田の中に、約10㎡の塚がある。昔ある人が、田を耕すのにこの塚が邪魔になるというので、開墾しかけに見慣れなぬ火が見えるので、怪しんでその方へいくと、そのままついにかえらなかった。それからこの塚を狐塚とよび、人々は恐れて手をつけられなくな... 続きをみる

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  • 新薬師寺&大江山

    外部資料 昔 新薬師寺に一人の稚児がいた。ある日、付近の山で新しい死体をみつけた。好奇心のあまり稚児はその肉を切り取り、寺に帰って師の僧にすすめた。僧は人肉をは知らず珍味だと喜んで食べた。稚児はその後もたびたび肉を持ち帰った。どうもおかしいと僧がある夜稚児をつけてみると、稚児はすでに寝静まった奈良... 続きをみる

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  • 山の辺の道

    外部資料 北山之辺の道は 新薬師寺の南門を出ると、右側に小さな社がある。鏡神社といって天平12年(740)橘諸兄 僧玄昉 吉備真備らを除こうと乱をおこした藤原広嗣の霊を祀る。鏡神社の前から田園がひらけ、東に高円山がやわらかな曲線を描き、小高い丘を越えてつづく道。「山之辺の道」である。この道がいつか... 続きをみる

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  • 薬師寺 西ノ京

    外部資料 外部資料 外部資料 有名な国宝薬師寺東塔は大屋根が三つと小屋根が三つ 五重とも六重とも見えるが、実際は三重の塔に小屋根(もこし)が一つずつけられているれているのである。この塔は「竜宮の塔のうつし」だという。昔、ある工匠に、夢に薬師如来が天竺から渡ってきて塔の建立を命じた。それから毎日塔の... 続きをみる

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  • 嫁取り橋 奈良県筒井

    大和郡山市の南 昔の筒井村に一軒の茶屋があった。十八になる こま という生娘がいた。娘は毎日ここを通って大阪に通う二十四、五の業平を思わせるような美男子の飛脚を恋い慕うようになった。ある日、飛脚が夕方おそく通りかかったので、娘は無理に男を泊まらせた。夜更けて娘は異様な姿をして飛脚の部屋に忍びこんだ... 続きをみる

  • 牛の宮 大和平野

    大和郡山市の町から斑鳩への道をとると小泉の慈光院に至る。自光院は晩年の片桐石州が隠居したところで、その茶室は不味堂(ふまいどう)と、大刈込を配しただけだが、大和平野を背景としたじつにダイナミックな構成美をを持つ庭は名高い。この手前に池之内という集落があるが、そこに牛の宮という塚がある。東西13メー... 続きをみる

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  • 垢かき地蔵 大和郡の洞泉寺

    外部資料 洞泉寺の境内に垢かき地蔵がある。昔、郡山城主大納言秀長と洞泉寺開山宝誉上人が、天正14年(1586)六月十四日夜の卯の刻に、同じ夢を見た。その夢に教えられて郡山城大書院西庭の沓脱石を掘り起こすと、それは立派な地蔵像であった。寺社奉行に命じて調べさすと、光明皇后祈願の垢かき地蔵尊であった。... 続きをみる

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  • 源九朗狐

    外部資料 大和郡山市に洞泉寺町に祀られる稲荷は源九郎狐といい、日本三大稲荷の一つとして知られ、また童謡に、  「大和の大和の源九郎さんあそびましょう」 というのがあるように、人々に親しまれていた。源九郎というと源九郎義経のことだが、「義経千本桜」という芝居にでてくる狐忠信は、この稲荷の化身であった... 続きをみる

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  • 弁慶の足型 大和郡山城

    外部資料 大和郡山は、県下随一の城跡をもつ典型的な城下町である。「洞が峠の順慶」といわれるように、豊臣秀吉の山崎合戦で汚名をうけた筒井順慶が最初の城主。のち秀吉の弟秀長が封ぜられてから、いらい城主はたびたびかわるが、一時は奈良を圧する繁栄を示し、享保以後は柳沢氏15万石の居城であった。この郡山城三... 続きをみる

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  • 鳩の門 大安寺

    外部資料 大安寺の八幡神社の一の鳥居を北に出ると県道と合する道の角に、鳩の門というのがあって、今もそのあたりを鳩の門という。昔、大安寺の僧行教和尚が宇佐から八幡神を勧請して帰る途中、西ノ京で休んだ。そこは今の休岡八幡の地である。 そのとき、 「これからどこへ行くか」 と尋ねられたので 「大安寺へ行... 続きをみる

  • 大安寺 と「笑」

    外部資料 大安寺大師堂の前に小さな森がある。ここは「笑うという字」のできたところであるという。昔、弘法大師がこの寺で修行して文字を作っていたが、どうしても「わらう」という字ができなかった。その時むこうから念仏をとなえながら旅僧がきた。あたりにいた犬が驚いてほえた。旅僧も驚いて犬を追い払おうとした。... 続きをみる

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  • 薬師寺 割れ鐘

    外部資料 私の親しんでいる薬師寺の鐘楼にヒビの入った大鐘があsる。俗に西ノ京の割れ鐘と呼ばれている。昔、弁慶があちこち引き回して割って捨てておいたのを、誰かが拾ってきたのだという。 今は 新しいものになっている。 ■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡0742‐43‐8152 ■✉honca... 続きをみる

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  • 法華寺

    外部資料 法華寺はもと藤原不比等の居宅であったが、彼の娘、光明皇后に伝えられ皇后宮となり、さらに寺になったものとされる。皇后はここに伽藍をおこし法華滅罪之寺と称し、総国分尼寺とされた。創建当時は寺運も隆盛をきわめたが、平安遷都とともに衰え、のち豊臣秀頼によって再興され、ようやくその結構を保ち、今日... 続きをみる

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