「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2018年4月のブログ記事

  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№119 大和のノガミ1

    以前「雨乞「」のなかで少し ノガミ信仰についてふれたが 5月の始めから各所で始まる ノガミ行事は農耕儀礼の一種で豊な稔りを願って毎年繰り返されており最近では好事家の格好の被写体となっている。行事の内容には変化があったが子供仲間が主体となることが多く ノガミと呼ばれる「塚」や「樹木」に藁性の蛇体を巻... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから うのん の5月のお休み予定

    5月のお休み予定です。 5月  7日(月)    13日(日)14日(月)    21日(月)    27日(日)28日(月)    23日(水)「歴史のお話会」のためお休みします。        

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  • 薬師寺近くから  今週のお勧めの本

    大学の研究室が調査が村人から調査しまとめ上げたもの 川上村に住む人々と生活を共にし 村に言い伝えられている話が 語られた人の言葉通りに書かれています。 一つ一つの話が暖かみがあります。 一般には販売されず また製本前のものです 岡 節三氏を中心に14名で作られたものです

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記No.118

    ゴールデンウィークの天気 こいのぼりを揚げる日  5月5日は子供の日 晴れ上がった空に泳ぐマゴイ ヒゴイ を眺めていると 日本人としての喜びが胸いっぱいに伝わってくる。真っ直ぐに伸びたさおの先に こずえ付きのものは生れて1年目まで 2年目からは回天球や矢車を取り付け さおは蝕地の禁忌を意識して地面... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№117

    ゴールデンウィークの天気 冬のしぐれの記載の途中ですが 今日はGWの天候にします。 11月3日文化の日は一般的に天気が良いと信じられ特異日の代表の様に云われている。ゴールデンウィーク中に特異日の様な日がないか探ってみた。(1959~1998)際だってお天気の良い日は見当たらない 強いて云えば5月3... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 

    奈良西の京の薬師寺の西塔と東塔(工事中)そして若草山 東大寺大仏殿 高円山の風景の勝間田池(通称大池観光パンフレットなどよく目にされること多い風景です。その美化をに励んでいる方々勝間田池は萬葉集にも唱われている池です 天平文化を忍ぶことが出来る所です(霞で写真の写り悪くて申し訳ございません。)  ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№116

    しぐれの降る天気図② 奈良にしぐれがあると考えるのに 地上天気図で判断すると  西高東低の冬型低気圧配置では等圧線は概ね南北に立っている 奈良を夾んで対馬の厳原と御前崎の気圧差が8hPa以上あると 県内ではしぐれ易い所ではしぐれを見る。少し高見に居ると雨あしの流れている模様が望見出来る。地域的に条... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№115

    しぐれの降る天気図 冬場になるとしぐれに逢うことが婁々ある。今日は洗濯物を外に干しておいても大丈夫だろうか 午後にチョット外出するが傘を持って出た方がよいだろうか?と迷うことがある。この様なことから降水確率が天気予報に登場する遙か以前しぐれに関し調査したことがあった。その結果をかい摘まんで申し上げ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№114

    春一番と黄砂 春一番の天気図  三月も中半頃になると春一番がニュースとなってくる 春本番に一歩近づいてくる。それは嬉しい知らせであるが 同時に 黄砂を観測する。  冬から春に移るとき天気は変わりやすく 低気圧と高気圧が交互に日本列島を西から東へ通過して行く。なかでも低気圧の出生地が中国黄河流域の奥... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№113

    啓蟄 暦を見ると三月六日は「啓蟄」(年により一日程度前後する)啓蟄は24節季の立春から数えて三番目に当たり この24節季は都が西安にあった頃作られた中国の暦法で我が国へも直輸入された。西安で作られた為もあって我が国の季節とは必ずしも一致しないが天明八年の「暦便覧」には啓蟄のことを「陽気地中にうごき... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記

    弥生三月  重く冷たい北風から抜け出して希望が一杯溢れているかの様なのが弥生三月ではないでしょうか 東大寺二月堂では修二会本行入となって紙衣の練業衆が国家安泰と人々の豊楽を祈る法要が始まる。御雛まつりの3日には気象台からお決まりのソメイヨシノ桜の開花予想が発表されて春本番間近の宣告となる。 奈良の... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№111

    暖房でグリーデ チョット耳慣れない言葉であるが デブリーデと云うのは暖房に要する熱量を見積もるための指数で(ここでは冷房にはふれない)人によってそれぞれ住みよい気候や 或いは気候に順応性のある人もあり 育った環境による体質による違いや 神体につける衣服 建物の構造等いくつかの条件によって一概には言... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 今週のお勧めの本

    何処にもその地の昔話があります。 これは無形文化財 これを知る事で豊かな心も養われるのではないせしょうか? 中身は子供様に向けですが 大人にも読み応えあるものです。

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№109

    奈良の底冷え 奈良は底冷えのキツイ所である。昭和30寝ん代始めのころから奈良市周辺人口増が目立ち始めこの人口増は自然増より社会増が主になっていて 奈良と周辺に住む人達の中に「京の底冷えは聞いていたが奈良がこんなに冷えるとは知らなかった」ともらす声をよく耳にする。都が平城から長岡京市⇒京都へ移り更に... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№108

    県下が氷漬となった日 (昭和56年《1981年》2月26日)  昭和56年の冬は寒い日の多い寒冬年であった。中でも2月26日は県下全域終日気温が0度以上にならなかった。このため奈良の市内地でも戸外に放置の観葉植物の多くが枯死状態となる等思わぬ被害が発生した。  奈良の最高気温は-0.2度 県内アメ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№107

    「寒さ」にこだわって 昭和52年(1977年)2月16日の寒波  奈良市の水道局では翌朝の最低気温が-3.0度を予想したとき水道管の凍結被害を警戒して予防体制にお入ると聞いたことあります。低温の予報測については従前からあったものに改良を加えるため あらためて見直しをし 低温予報測のマニュアルを作っ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№106

    天気と地形  お天気を左右する要因の一つに地形が大きく関係する。風の吹き様 雨の降り方 霧の発生等々雪の積り具合も論外でなく 予報する場合は地形 地勢は熟知する必要がある。その様なことから地形図を示した。 ベースになったのは堀井甚一郎先生著「奈良県地誌」にあった地形図で極めて詳細な為若干アレンジし... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象№105

    雪の積もった記録② 次に奈良県下の大雪について少し触れると 昭和26年2月14日(1951年)朝から降り出した牡丹雪は午前11時頃には30㎝程にも積り県下の道路は尺余の積雪で殆どの道が通行不能となった。当然当時の国鉄(JR)近鉄線は大混乱を呈し出勤はしたものの家に帰れない人も沢山出た。次は昭和38... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№104

    雪の積もった記録  雪の積もった朝は異様に静かである。六花の結晶が来雑音を吸収して呉るからでしょう。今一つ窓ごしに外が明るい。夜のうちに音なく降り積もった雪は垣根の上に綿帽子をかぶせ辺り一面を銀世界と化して無垢の世界があらわれる。日頃は布団のぬくもりをたのしんでいるが 雪の朝は未練を残さず跳ね起き... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 今週の本の紹介です

    古事記と日本書記 誰もが聞いたこのある 古事記 日本書記 内容は 難しく 漢字も読めるかしら? マンガで 判りやすく 日本の始まりを解説 歴史に関心なくても 楽しく読めます

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№103

    梅の開花  桜の季節も終わっていますが 桜の開花予想は春を待つ人達に応え3月になると開花予想の発表が二度あります。梅の開花はあらたまって予想を発表していない。梅が疎外されたわけではなく桜ほど人気がないためでしょうか?奈良県には梅の名所が数多くあり奈良公園丸窓(片岡の梅林)など付近の梅の開花日の記録... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№102

    寒冬年の夏は酷暑を呼ぶか? 寒い年を迎えると決まって今年の夏は暑い夏になると予言する人が巷の声でもある様におしゃっているのを耳にします。もしその様な原則があれば暖候期の予想は極めてやさしい。その様ジンクスが本当か否か自然科学探求の楽しみでもあり検証する必要がある。 数字だけを並べてみましたが 解り... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№101

    密柑で占う天気 井戸水などで新年の天気を占う様な風習が現在も続いているのか佐倉を尋ねました。何軒かの家を尋ねましたが うまく話を聞き出すことが出来ず最後にもう一軒と思い訪ねると「高柿 低柿 汚れ柿 汚れた柿は吊るし柿 それが嘘なら佐倉片石正光寺にきいてみよ」と佐倉のことなら片石に行き当たった よく... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№97100

    密柑で占う天気 戦後間もなくのこ 宇㚙志の方では若水を汲むとき密柑を入れてその都市の天気を占っていると教えられました。半信半疑で奈良県史民俗編と民俗地図に若水迎えのことが記載されていて 若水を迎える場所は井戸・天水・川・神社内容については五項目に別けて記述があります。県史をみると各個について述べら... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№99 天気を占う

    若水迎え 新年には若水迎え 最近はあらたまって若水を汲む風習がなくなってきています。町屋では早くからなくなっていました。一方従前は浄域を示す しめ縄を張った農村の井戸屋形で厳かに若水を迎えるという行儀がありました。このことは今は 昔し語りになりつつあります。 ここでは若干横道にそれますが 「奈良県... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記No.98

    分水の方法  十津川上流では猿谷地点で堰き止めました。加えて川原桶川の川原桶地点で また池津川で双方共川原桶川の川水として流れる水を(十津川村を経て太平洋に流れる)堰き止め僅かではあるが キリキ谷の水も併せ隧道で猿谷貯水池に導入しました。猿谷貯で大和平野に分水しました。吉野川側にとって減量された水... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№97

    吉野川を対象に吉野川の水を大和平野に導入する案が歴史的には木良邸打入り頃から持ち上ってきました。いくつもの分水計画はいずれも計画倒れ実現をみずに戦後数年後に具体的計画が進められました。 大和の人々三百年来の夢の実現です。 分水のあらましは既に御承知のとおりですが 吉野川の水を中流域で大和平野に取入... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№96

    吉野分水  青垣山に囲まれた大和平野は温和な気候に恵まれ 早くから稲作農業が定着し飛鳥時代以来絢爛と文化の華が展いてきました。  この繁栄を支えるために安定した収穫を確保しより豊かな米作りが必要で 灌漑用水の確保は必須条件でした。  翻って穀倉地である大和平野の「水」を考えると数多くの支流を集めて... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№95

    水争い 世に伝えられている水越峠の水論を荒削りに結末をいそぎましたが 最後に髙橋佐助について御所市に盆踊歌が残っています。 年が七つで 銘柄の佐助 夜の真中に 我が家を出て 山の絶頂登りつめ 大和吐田八ヶ村 大豊年にするー中略-わしの生命も もう三年あれば吉野川の水を重坂(へさか)に流した。 盆踊... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№94

    水争い 時代は下って約八十年後の元禄十三年(1700年)六月二十七日河内の農民の手によって井出を切り落とし水を河内に流されましたが 名柄の庄屋髙橋佐助の奔走により 大和側の主張が正し和解となりました。一カ年後の元禄十四年(1701年)五月六日万字が滝古瀬口の両水が再び河内の農民によって切り落され河... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№93

    水争い 地図をよく見てください 金剛山(1112㍍)と葛木山(960㍍)の鞍部から東の方水越川が流れています。水越川沿いの緩傾斜地と水越川の水が葛城川のに流れこむまで扇状地は時代と共に 開発が進んできたが 地形 地勢の関係で農耕用水の確保はむつかしく金剛山頂上付近に降った雨は河内側に流れ 大和側は... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№92

    水争い 水越川の開拓者 1 天正十年(1582年)正月吐田越前守遠秀と筒井順慶が争い 吐田方は戦いに敗れ 吐田方に加勢した 森平之進は浪人となりました。やむなく浪人となった平之進は関屋に留まりました。当時の吐田郷は水利が悪く植付 耕筰は思うに任せず農民の苦悩は尋常ではありませんでした。水不足に悩む... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№91 雨乞の種々相

    大柳生の太鼓踊 大柳生では上出 塔坂 西の三垣内が宮座をつくり水の神夜支布山口神社を祀っています。神社の大祭は十月十八日ですが 八月十七日をカトウ(賀当)といい その夜当番の庭で盛大な太鼓踊りが催されます。 外部資料から さてナモデ踊りのことを調べているうちに各スタッフを始めスタッフの持物etcが... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから うのん 4月の営業予定

    お休み予定 4月 8日 (日)  9日(月)                16日(月)          22日(日) 23日(月)   ゴールデンウィークは 5月1日(火)お休みさせていただきます。 薬師寺から萬葉集にも出てくる 勝間田池(通称 大池)への近道途中に 「うのん」はあります。 悠... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№90 雨乞の種々相

    安堵町飽浪神社には宝暦六年のナモデ踊りの図絵馬があり なもで資料 衣装その他小物が数多く保存されていて 村おこしの一環として発表会がありました。 大和神社ではじめの なもで踊りを見せていただきました。その節紅しで踊り保存会の人から「紅しで踊り」についての冊子を頂きました。 この冊子によれば 朝和地... 続きをみる

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  • 薬師寺近くから 今週の本の紹介です

    生活の古典双学 「自然暦」川口 孫次郎氏著 魏志倭人伝に 倭人は正歳四時を知らず ただ春耕秋収を記して年紀をなす と記されています。天文観測が発達していない時代人類は自然を見ながら季節を感じ生活していました。 その自然観察が 言い伝え 諺となり生活に結びついてきました。 人と自然の結びつきが描かれ... 続きをみる

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