「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2019年10月のブログ記事

  • 薬師寺近くのうのんから 11月 霜月の予定

    朝夕は寒さ感じるようになりましたが 日中は過しやすい日々ですね イベント予定 16日(土) パーソナルカラーアドバイス&講座       午後1時30分から3時半まで       小人数で行ないます。       必ずご予約下さい。       費用 ¥3000 27日 (水) 第1回おしゃべり会... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    花御所 外部資料 花御所は鳥取名産となっている。昭和26年 原産地を調べられた。約200年以上前(天明)鳥取県八頭郡大御門村の住人五郎助なる人物が 大和の国を巡礼中(当麻寺)豊麗多果のカキを見て 枝を携え帰った。それを庭先に植えた。後幾去年にして結果せるに美味多産也。則隣人知己競って植移するに至る... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    御所ガキ 外部資料 大和の御所ガキにも いろいろな系統が知られている。当麻村付近が原産地と称される 盤城系御所 山辺地方が原産地と称される中沢系御所 奈良五ヶ谷付近の中井系御所 猪岡系御所などが御所ガキ(本御所)の大和での変種である。このほかに著名なために 品種とされたものに 奈良市藤原を原産地と... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    外部資料  「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」 晩秋のころ いかるがの里をゆくと しみじみ味わうことのできる大和の旅愁である。古来大和とカキは深い繋がりがある。 「柿の種類は多し 就中 大和国五類の有名なり」とある。また「幕政中 年々柿を献じたるは此の御所柿なり」また「柿に雑品あり。その内木蓮を以て上... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    古代大和の国境疫神祭 ランドマークとしての祭祀 国境をを考慮した祭祀である特色で 大和の国では奈良盆地が中心である関係上 峠や尾根筋に限られた生活空間を分ける。その為に 祭祀はその空間を分けるためのランドマーク的なものになっていると考えられる。また交通路の多い場所の祭祀は疫神祭であったとも考えられ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    古代大和の国境疫神祭 紀伊 河内国境と道  大和と紀伊国境の主要道は 下ッ道の延長であるなら時代までの南海道である。  ここに沿っては 下之の祇園牛頭天王社と、近世以来の国境の村、畑田の八坂神社。しかし 今井にある宇智神社(式内社と推定)は阪合部と称する真土峠付近から還座 国ッ神である国生明神を祭... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから 今週のお薦めの本

    日本の歴史から来る文化 伝統そして日本人の精神を日本語と英語で表現されています。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    古代大和の国境疫神祭 大和の伊賀の国境の主要道は 奈良盆地南東部から初瀬川を遡行して黒坂(西峠)を越えて荻原から名張へ向かった藤原京時代の東海道(伊勢街道北路)と 荻原から御杖を経て伊勢に向かった伊勢本道 五ヶ谷あるいは高瀬川の谷から大和高原を越えた都祁山の道である。 黒坂神社は現在は宇陀川右岸の... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    古代大和の国境疫神 山城 意が国境の疫神  大和と山城国境の主要道は いわゆる奈良坂越 コナベ越 歌姫越 渋谷越である。  奈良時代の東海 東山 北陸道と考えられるコナベ越に沿っては 山城側の木津で式内社と推定される岡田神社と応永年間までしかさかのぼれない木津天王社がある。  歌姫越に沿っては 大... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから イベントのお知らせ

    おしゃべり会 =チャターの会 シニア?それに近いかしら?????と感じる方々 おしゃべりの会に参加してみられませんか? 今の私 今後の私 について思いを 話しませんか? 他人の話を聞いて考えて 参考に そして友達作りをしましょう 日程 11月27日(水) 午前10時から正午 の2時間の予定 場所 ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    疫病を防ぐ神 疫病を防ぐ疫神として祭祀されるようになった場所としては 平安京のある山城と外囲にあたる畿内の堺が十個所あげられており 大和に関連するのは 山城と大和 大和と伊賀 大和と紀伊 の各国境である。また続日本書記からは具体的な場所の説明はないが 平城京のある大和と外囲にあたる畿内堺が十個所考... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    国境疫神祭 境界で行なわれる疫神祭は自らの生活圏に入ってくる疫病を防ぐこと 外へ出向く時の道中安全を祈ることと考えられた。古代においては 天然痘(疱瘡)と推定される。疫病は人から人へと伝染していくので 往来のはげしい主要道に沿って集まる チマタ においても疫神祭祀は行なわれた。  インド祇園精舎の... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    幕末の奈良の生活 外部資料 植桜楓之碑    奈良が名所としてもの詣で遊覧の町となっきた。 元禄の東大寺復興の盛時ののち間もなく興福寺が炎上して大半の堂舎を失った。ここに名所奈良の大半を占める興福寺境内には荒廃が目立ってきた。奈良の経済力の衰退が表われている。さらに安政6年(1859)には 奈良の... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    奈良の幕末の生活 奈良が名所としてもの詣でよりむしろ遊覧の町となってくるにつれて 土産物の需要も増してくる。これに応じて奈良産業が衰退への過程で土産物化したものが多い。奈良土産の記録の古いものに記されている。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    幕末の町民の生活 旅籠屋 今御門の旅籠屋の訴えの解決の和解条件は 諸国一円の旅籠屋とも提携して指図合わせしないこと 旅人に指図を送らないこと 灯籠講 浪花講の講名を名のらせ その看板を目当てに宿泊するように働き掛けないこと偽りの看板」や行灯を掲げて旅人を引き留めないこと 次の旅籠屋に導きをしないこ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

    奈良県47市町村の四季折々の魅力を紹介 多くの人に知られていることは勿論 地元自慢の魅力も多く載せられています。 奈良県観光連盟の編集です

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    幕末の町民の生活 旅籠屋の和談のいもかかわらず 樽井町側はやがてこれにそむき 判取帳や絵図面によって初瀬方面から奈良への旅人に対して 丹波市から郡山へでて 薬師寺 唐招提寺 尼ヶ辻を経て奈良西口に達するのが順路のように教え また南口の椚町から奈良へ入る旅人には 中辻町から 西へ向きを変えて橋本町 ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    幕末の町民生活 天保の改革で諸株取放ちが命じられてのち 旅宿えらびは旅人の随意にまかせ 旅籠屋は銘々軒下限りの勧誘にとどめるように申し渡された。このことで 春日大社への参道 三条通りに面した樽井での宿泊が多くなり 今御門での宿泊が減少してきた。このことは 樽井町側がさきの約束に反して 伊勢から 初... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    幕末の町民の生活 奈良町の旅籠屋は客を引き受けるにあたって 互いに営業が順調に運ぶようにそれぞれ客の来た方向によって 泊まる宿を決めていた。樽井町の旅籠屋は大坂街道 今小路町の旅籠は京街道と伊勢越え 八幡街道かたの旅客を 猿沢池南の今御門町は伊勢 初瀬街道筋からの客を泊めた 各町の旅籠は互いに尊重... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つ川路聖謨の実蹟を知ることです。 聖謨は 奈良奉行のあと大坂町奉行を経て勘定奉行兼海肪掛にすすみ 民政 外交に活躍した。露国使節プチャーチンとの交渉にあたり 日露和親条約の締結に力を尽くしたこともよく知られている。聖謨は維新の戊辰戦争で江戸開城がきまったおり みずか... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳事記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです。 聖謨が嘉永4年(1851)奈良の地を去る時 町民はあげて別離を惜しみました。町々からなら晒二反ずつが餞別として贈られました。ところが聖謨は町名をしるした熨斗紙だけを受け取り品物を返したので 春日大社の聖謨の武運長久を祈る石灯籠を奉... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです。 外部資料 幕末には奉行所の与力同心たちは4~5年に一度 法蓮村で花火をあげる行事を行なっていた。その夜はまるで祭札のようで 町の人たちもずい分集まり 与力の妻などは衣類を新調して見物に行くというありさまであった。嘉永2年(1849... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つに 川路聖謨の実蹟を知ることです 6 外部資料 聖謨は奈良の与力について、ここの与力は奉行所を我が家のように思い 夕涼みには涼み台を門前に出して浴衣がけで涼んでいるとか 奉行所の普譜の見回りには木綿のどてらに大小を差しているとか 奉行所の空き地へ苗木を植えて朝夕そ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

    奈良公園の鹿と人の長い付合いについて調べられたものです。 東大寺の大仏様 興福寺の三重の塔 と 同様奈良公園の鹿は奈良の代表的存在です。 街の中で闊歩する鹿 人と共生し普段の生活に鹿の存在は慣れ親しまれています。 その疑問をすこしでも紐解いてくれる内容です。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実践を知ることです。 5 外部資料 聖謨は社会福祉制度とともに 桜楓植樹のことも特筆されることである。奈良の物産として聞こえる墨に深い関心をもち 古梅園の主人に墨質の改良をすすめ 唐墨の製法について長崎奉行に照会の労をとっている。古梅園の努力の甲斐あっ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです。4 外部資料  聖謨の治績でw注目されるのは 社会福祉の事業である。聖謨は着任以来、盆や暮れには病人・老人・貧者な困窮者に施与をおこない、その救済を心掛けている。たとえば、弘化4年(1847)の暮れに、奈良町の貧者に自分の入用金のう... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 川路聖謨 4 外部資料  警察の仕事も奉行所のつかさどるところであった。聖謨は 強盗などの取締まりを厳しくしたために 忍人りなどが大いに減ったと伝えている。また、奈良では賭博のふうが盛んで、寺院などもその場所に利用された。このようなことから、禁制の賭博の取締まりに努めたのでかなりの成果を... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨」の実績を知ることです 3 外部資料 昨日の続きです。 誠を尽くして正理を誤らなかっただけでなく 民事 刑事とも裁判の渋滞をいましめ 与力たちを督励するとともに ときには日に数度も評定をかさね みずからも審理に努める。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条道理を歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです 2 外部資料 聖謨の施政は、土地の旧慣重んじながらも 流弊をしだいに改めていくという方針であった。そして政治には仁怨の心を専らとし、節あって寛大なことが大切と考えた。彼は、嘉永2年(1849)2月のころ 五位百笑の奉行と噂されたとみ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 外部資料 三条通りを歩く目的の一つに川路左衛門尉聖謨の事蹟を知ることです。① 外部資料 歴代奈良奉行のうちでも 川路左衛門尉聖謨は忘れられない人物である。 聖謨は改化3年(1846年)正月 池田播磨守頼方が普請奉行に転じたあと 普請奉行から奈良奉行になった。嘉永4年(1851年)大阪町奉... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    百萬の塚 外部資料 三条通りのぶろぐでも書きましたが 再度になります。 百万ヶ辻子町と呼ばれる町がある。ここはかつて百万親子が住んでいたといい その供養塔が屋敷跡から 徳川家康の分骨を安置した小さな西照寺寺院内に いつともなく移された。

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

     大嘗祭の象徴体系がひそめいている古代信仰の論理を解きほぐすことによって、日本の古儀をささえた思想原理をさぐっていく。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    奈良口 江戸時代から続く街並みの面影をのこす奈良町。古都の有名寺院とはまた違った 庶民の肌のぬくもりを感じさせる風情がある。その奈良町に通じる街道に 奈良七口 という7個所の入口があった。JR奈良駅前の灯籠 大阪方面への出入り口である。ここから東に進と猿沢池そこから南に肘塚町は街道向きに2つの灯籠... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 尼ヶ辻町地蔵石仏 外部資料 旧奈良街道と郡山道との交差する辻道の西南角に古風な地蔵堂があって その中に安置されている地蔵で鎌倉中期文永2年(1265年)の作 安山岩製 高さ210㌢自然石の台石に頭光と身光背を負って蓮華座上に立って像高170㌢の地蔵を半肉彫りにしたもので地蔵は右手を垂らし... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    三条通り 興福寺 三重の塔 猿沢池から五十二段を上ると三条通りそして興福寺 その右手に 三重の塔がドッシリ落着いた佇まいで存在感である。 緣記によると 三重の塔は康治2年(1143年)に鳥羽天皇のお后賢門院の御顕によって建立されたもので 建築様式は鎌倉時代の初期の作といわれている。全体の姿は普通に... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    五十二段 二月堂 外部資料 二月堂の南側の石段も五十二段になっている。写真の右手にある。下部と上部に紋様が刻まれている。どうして刻まれたかは詳かではないが 興福寺への五十二段と同じ意味ではないだろうか 五十二段の石段を上がった左側に楊貴妃桜と呼ばれる八重桜があり その側に奈良奉行であった川路左衛門... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 六道の辻 外部資料 五十二段の下がこの石段をあわせて六道になっている。仏教では地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天上 の六つを六道と呼び 前世の生活いかんによってこの六道のなかのいずれかにうまれかわるといわれている。どの道が地獄に行く道であるかわからないが 五十二段をあがる道を天上というの... 続きをみる

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