「うのん」の気象歳時記ブログ

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神仏分離 興福寺

外部資料 私が好きな光景

                        その興福寺五重の塔と猿沢池
古代から神社や寺院の勢力が非常に強かった大和国では、神仏分離には言い尽くせられないほどはげしいものになった。
興福寺では、すでに慶応4年(1868)3月下旬には寺を離れようとする僧侶もいた。そして、4月13日になると、一乗院と大乗院の両門跡をはじめ、ほとんどの僧侶が春日神社の神官になることを願い出て認められた。そのため興福寺は西大寺と唐招提寺に管理をまかされることになった。
僧侶がいなくなった興福寺は、またたく間にあれはててしまった。たくさんの塔頭や寺院の建物は見る影もなくなり、多くの仏像・仏具が処分され、使われている金銀箔をめあてに経典類が焼払われたといわれる。そして、明治4年(1871)1月には、もとの一乗院の建物が奈良県庁に転用されるようになるとともに、かたむいた建物や塀などは取り壊され、同年9月、ついに廃寺になってしまった。
今、奈良のシンボルとして興福寺境内にそびえたつ五重塔が、僅かなお金で売り払われたというのもこのときのことである。買い取った人は火を付けて、金具類を手にいれようとしたが、類焼を心配する奈良町の人々の反対で中止になったといわれている。

■住所630‐8053奈良県奈良市七条1丁目11‐14
■℡0742‐43-8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

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