薬師寺 花会式結願 鬼の御馳走 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
鬼追い式の 鬼の御馳走 花会式の結願では「鬼追い式」が行われる。夜の8時ごろに境内の灯りが消され、鐘や太鼓、法螺貝などの音とともに、松明を振り回して鬼が金堂の周りを大声で叫びながら暴れ回り、最後に毘沙門天が鉾を持って現れ、鬼どもを退散させる。 外部資料 鬼追い式に入る前に、鬼にご馳走を出して酒を勧... 続きをみる
薬師寺 花会式結願 鬼の御馳走 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
鬼追い式の 鬼の御馳走 花会式の結願では「鬼追い式」が行われる。夜の8時ごろに境内の灯りが消され、鐘や太鼓、法螺貝などの音とともに、松明を振り回して鬼が金堂の周りを大声で叫びながら暴れ回り、最後に毘沙門天が鉾を持って現れ、鬼どもを退散させる。 外部資料 鬼追い式に入る前に、鬼にご馳走を出して酒を勧... 続きをみる
薬師寺花会式 香りの文化 伽羅香木 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
伽羅香木 香は 香料は奈良時代に仏教と共にその儀礼の用具として伝来した。 以降平安時代には貴族社会で発展し、中世以降は南蛮渡来の希少な沈水香木として愛好されるようになった。藥師寺は香の伝統文化を護持してきた。 伽羅香木 高さ68㎝ 幅32㎝ 重さ7.5㎏ 香木はベトナム ラオス等東南アジア熱帯地... 続きをみる
吉野郡の南方に位置し、森林に囲まれた所です。豊かな自然にかこまれ 昔から修験道の地です 外部資料 鳳閣寺は修験道のお寺 役行者を引き継いだ 理源大師が開祖といわれています。 山野中腹にあり展望台からは 黒滝村が一望でき 吉野のお花見とまたちがった吉野がみえます。 ■住所 630-8053奈良県奈良... 続きをみる
薬師寺花会式 香りの文化 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
聖徳太子考養像 薬師寺大宝蔵 聖徳太子十六歳の時、柄香炉を持って父用明天皇の病気平癒を祈ったといういわゆる考養太子御像で、両脇にやや小さい童子を従えている。こうした三尊形式は「唐本御影」以来、各時代にわたって描きつがれて来たが、この図は太子が宝冠を着けること、一童子が笠蓋を差し掛けること、一童子... 続きをみる
今月のお薦め本 毎月 奈良の情報を楽しめる月刊誌です。 今月は 世界遺産登録20周年を記念して 吉野 大峰といった修験道が特集されています。 桜で有名で、これからが 満開の時期を迎えます。 今月の 本のある喫茶店 うのん のお休み予定 4月 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(... 続きをみる
薬師寺花会式 竜王社 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
竜王社 この光景は奈良の観光案内パンフレット 本などでご覧になられることがあると思います。 奈良の写真家入江泰吉が紹介され 奈良県景観資産の第1号の光景です。 勝間田池 から若草山 東大寺大仏殿 興福寺五重塔 そして 薬師寺金堂 双塔が望めます。天平の時代と変わらぬこの光景なぜか心休まるモノがあり... 続きをみる
薬師寺花会式 西塔の釈迦八相像 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
釈迦八相像 が 外部資料 今からおよそ2500年前のインド。 大きな菩提樹の下に、草敷いて坐り、静かに瞑想していたお釈迦様に、悟りを開く時(成道)が近づいた。 お釈迦様に悟りを開かれては困る。人々を苦しみの世界にいちまでも留めておくために、魔王は3人の美しい娘を遣わして、お釈迦さまを色仕掛けで誘惑... 続きをみる
薬師寺花会式 藥師寺縁起絵巻 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
外部資料 藥師寺縁起絵巻から 薬師如来像を鋳造の一場面 藥師寺は 天武天皇が皇后の病気平癒のため建立した。おの皇后(後の持統天皇)まもなく回復したが天武天皇が病に倒れ亡くなってしまう。夫の遺志を引継ぎ みずから持統天皇として即位し、藤原京への遷都を成し遂げ薬師寺造営も完成させた。 その藤原京は三方... 続きをみる
薬師寺 花会式 「慈恩大師」 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
慈恩大師 「西遊記」で三蔵法師として親しまれる玄奘三蔵は、インドで十八年も勉強して、多くの経典を持ち帰られました。帰国後玄奘三蔵は翻訳に献身されなければならなかったので、教義の面は一秀の入室といわれた慈恩大師に譲られました。この師弟は後に修唯識論(じゅうゆいしきろん)という書物を合糅訳(ごうじゅう... 続きをみる
薬師寺 花会式 「吉祥天女」 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
吉祥天女 正月に修す法会を修正会(しゅしょうえ)といいます。そのご本尊が吉祥天女画像です。吉祥天女が幸福と平和と美の女神であることから、修正会には国の安泰、世界の平和と共に五穀豊穣を祈願する行法が営まれます。 この画像は麻布に描かれたもので、彩色がたいへん美しく、独立した画像としては日本で一番古い... 続きをみる
もうすぐ 目の前の薬師寺における 修二会花会式がはじまります。 少し 奈良の民話 の紹介をお休みして 薬師寺にまつわる話をブログします。 この書物は薬師寺さんが発行されたモノです。 背景に 若草山 大仏殿 興福寺の五重塔も写ってます。 また 東塔の元の水煙が入れられています。 薬師寺 名前から 病... 続きをみる
薬師寺花会式 水煙 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
白鳳双塔 東塔修復中 水煙新旧 天に向かってのびやかにそそり立つ塔には不思議な、人を引き付ける力があります。喜びと憧れを与え私達を引きよせてくれます。白鳳時代の偉容を今日に伝える東塔、昭和に白鳳が再現された西塔 二つの塔は一見六重の塔に身rますが、三重塔です。これは各層に裳階(もこし)とい... 続きをみる
薬師寺花会式 薬師如来台座 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
お薬師様がお座りになっておられる台座は奈良時代における世界の文様が集約されています。一番上の框(かまち)にはギリシャの蒲萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様が見られます。各面の中央には、インドから伝わった といわれる力神(蕃人)の裸像が浮彫りされ、内から外の様子をうかがう風でもあり、またお薬師... 続きをみる
薬師寺 花会式 仏足石 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
仏足石 お釈迦様は二千五百年程昔の方です。おかくれになって、三、四百年間はインドには仏像を形に現わすのは、勿体ないことであるとの考えであったからです。そのかわり仏様の足跡を石に彫ったり、菩提樹の下、石上に坐して悟りを開かれたのだからその菩提樹や天蓋を画いては、それを仏様としていのりを捧げてきました... 続きをみる
花会式 正式には 修二会花会式 といいます。 嘉承2年(1107年)堀河天皇は薬師如来に皇后の病気平癒を願われ 霊験を得られた皇后は、毎年宮中の女官たちと、造花をおつくりになって修二会にお供えされました。これが、花会式の起こりです。 梅 椿 牡丹 菊 山吹 藤 桜 桃 百合 杜若の十種1696本の... 続きをみる
薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 叩かぬ太鼓・鳴る太鼓
叩かぬ太鼓・鳴る太鼓 吉野のお話 外部資料 丹生川沿うた宗川野の、殿の平っていうところは、殿さんがいたんで、こういう名があるんやと。 そこの殿さん、まっことわがままでな、いっつも、百姓どもにいろいろ難題を仰せつけてな、みんなの衆をこまれせたんやと。 あるときな、百姓衆あつめて、 「タタかんのに、”... 続きをみる
洞川温泉郷は大峰山から発した熊野川の源流ともなっている山上川のほとり 洞川温泉は、修験道の盛隆とともに大峰信仰の登山基地として栄えた。 開かれた縁側は一度に山伏が旅館にあがれるようにしたもの。 洞川のめくら蛇 吉野郡のお話 むかし、吉野の洞川にひとりの山男が住んどった。女子をつれて帰って、そいで夫... 続きをみる
金の橋・銀の橋 吉野郡のお話 むかし、あるところに、ふたりの大金持ちがいやってんが、ふたりとも奥さんがおらんでな、良い嫁御寮をさがしてやてんと。 召使や、いろんな人にたのんで、ようやっとひとりの娘さんをさがしあてやってんが、おんなじ娘さんやってんと。 ほんでひとりの金持ちは 「わしのところへ嫁にき... 続きをみる
薬師寺近くの「うのん」から大和気象 仏さんネブカとダイコの芝居見物
仏さんとネブカ(葱)とダイコ(大根)の芝居見物 吉野郡に伝わる笑話 外部資料 ネブカ むかしむかしのこっちゃが、仏さんとネブカとダイコと三人で、芝居見物に行こってんと。 そいで、ネブカが、 「ネブタイ、ネブタイ」っていおったんで、ダイコが、 「抱いたろか」 といおってんと。へたら(そしたら)、仏... 続きをみる
三輪素麵の由来 吉野郡のお話 三輪素麺は 日本の麺類発症の地 ここから 全国に広まり地域にあったものが生まれました。その三輪素麺にまつわるお話が多くあって これは 吉野地方の話です。 外部資料 三輪の大神神社への感謝祭り むかしのことやー。 三輪の神さんがなんとか姫に魅入るりしやってなー。毎夜、ど... 続きをみる
だれナラよ 吉野郡のお話 吉野は奈良県南部に位置し面積の殆どが山林におおわれています。 外部資料 むかし、庄屋さんの倉に、どろぼうが入りよってしやーないのでな、オナラようこく、オバア雇って寝かしとじゃってんと。 ほいで、夜んになってな、どろうぼうが入ろうと思って、倉の前へ行きよると、 「だれならよ... 続きをみる
月ヶ瀬は今は奈良市に入ってます 京都府 三重県 奈良県 の間にあり伊勢参りの人が通る道があります。 月ヶ瀬梅林で有名です サルの尻はなぜ赤い 添上郡の話 むかし、ある冬の日、月ヶ瀬の伊勢講山が焼けたことがあったんや。そのとき、火事見物に来たサルは、顔をつき出しよって火にあぶっとたが、あんまり暑う... 続きをみる
大歳の客 宇陀郡のお話 むかし、ある村でいちばん貧乏な家があってな、正直ものの夫婦は大晦日になって節季払いもできへんー、正月の回札もできそうにないよって、ユルリを囲んで思案とタメ息ばかりついて、ただ、薪をもやして夜明けを待っちゃるところへ、な、旅の坊さんがっひょうこりあらわれやってん。 「一晩だけ... 続きをみる
鐘にフシの木 宇陀郡 むかし、奈良の大仏たんつくらはったころの話やね。大仏たんに時を知らせるどえらいつり鐘を鋳こまらはってな、つりがね堂に吊ろうとしやんねど、何べん吊らっても、鐘のめかたが重たいもんやさかい、堂の梁が折れよんねん。そいで、困らってな、どねんしたらええやろいううてやったんや。 その... 続きをみる
くつぬぎの天女 宇陀郡のお話 外部資料 むかし、竹渓之庄の目代だった藤原時兼という若いお公卿さんが、、あるとき 向渕(むこうじ)の竜王ヶ渕のほとりをふとりで歩いてやると、天から下りてきやはった二人の美しい天女さんが、雪のような白いゆたかな肌を出して、水浴びをしやはるのを見やってんと。 外部資料 ... 続きをみる
三尺のワラジ(草鞋)宇陀郡のお話 ワラジ 外部資料 むかし、姑さんと嫁さんの仲が悪い家があったんや。 嫁さんがよなべ(夜仕事)してやったら、姑さんは、嫁さんになんどいじわるすることはないかなーと思って、火鉢の端にすわって、煙草吸うて、じっと見てらったら、わがヒザボン(膝頭)の上に、煙草の灰がこぼれ... 続きをみる
ヘビ女房 嫁取橋 大和郡山市 むかし筒井に一軒の茶屋があってん。その茶屋にコマノっていう気の強い生娘がいやってんと。そこを通って、父の病気祈願に毎月1回、信貴山へはだし参りしてやった布留(ふる)の若いもんにほれやってん。 ほてなー。ある日、夕方おそく若いもんが通りやってんでな、娘はんは、今から行... 続きをみる
女房の知恵 むかし、あるところに、大工の名人がおったんや。家を建てるのに、あやまって大黒柱を五寸ばかり短く切ってしまやったが、継いだりしたら、名人の面目にかかわるしな。 「こりゃ、腹っを切らにゃならん」 いうて、家に帰ってなげきやってんと。 ほたら、女房がかたわらから、 「そんなら、柱の下にそれだ... 続きをみる
ならら 3月号 辰年に竜神さまのお話です。 雨を乞う神様 竜神さんのお祭りも多くあります 「龍」の 多くあり 伝説のモノではありますが、 人々の生活と密着した内容です。 あわせて ご覧頂きたく思います。 今月のお休み予定 4日(月)5日(火) 11日(月)12日(火) 17日(日)18日(月)19... 続きをみる
宝物のとり替え むかし、櫟本の西の方にイチヒの大木があってんと。そんの上に悪い天狗がすんどって、イチヒの実がなったら、上から投げてばっかしおってな、人々をいじめる困ったやつじゃった。そいから、ニワトリやくだものを取ったり、毎年美しい娘さんを人身供養に出せとってんと。 外部資料 外部資料 ある年、中... 続きをみる
おりゅうの森 奈良市 むかし、奈良市東山中(ひがしさんちゅう)、大柳生の山口神社のすぐ北の田圃の中に こんもりした森があってな。その森に、天をつくようなでっかい木がはえたっんで、土地では「おりゅうの森)っていうてやんがー。 ちょうどそのころ、京都の三十三間堂を建てることになってな、その長い棟木を... 続きをみる
鶴の塔 むかし、栗原谷の六本ちゅうところに、浦西いう家があってん。そこの主人が、ある日、東の空を見てやったら、病にかかった一羽の鶴が、よなよなと舞い下りてきよってん。 ほいで、主人はかわいそうに思はって、家のものどもといっしょに、親切に世話してやらったおかげで、鶴はしばらくの間にすっかり元気になっ... 続きをみる
大和のカエルと河内のカエル むかし、大和と河内に帰るがいよってん。 大和のカエルは、 「こりゃま、河内ちゅうとこ、この山越えたらあるちゅうこっちゃが、いっぺん見たいもんや。」 ちゅうて、のそのそ、岩屋峠ちゅう坂、登って行っこってんと。 ほたら、同じころ、河内のカエルもな、 「大和ちゅうとこ、死... 続きをみる
蓑丸長者 桜井市 むかし、初瀬から宇陀へ越える山の峠に、ある若いもんがおったんや。それが十九のある日、一日のうちにオトウとオッカアに死なれてしもたんや。涙にくれてたが、野辺おくりがすんでから、親の菩提をともらうねというて、長谷の観音さんへ月詣りをはじめよったんや。若いもんは正直で、よう働きよったが... 続きをみる