「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

吉野川のアユ

外部資料

アユはあ川魚の中で最も気品の高いものとして賞味される。
アユは「’鮎」と書き、また年魚 香魚 とも書く。
年魚よは、一年きりのはかない生命の魚ということである。晩秋のころに河口近くでふ化したよう魚は、海に下り、翌年の早春に川に戻ってさかのぼる。五~六月ころは若アユと呼ばれ、さらに川をさかのぼって九月の末ごろに抱卵し、やがて川を下り始めるが、これを落ちアユという。河口まで下った子持ちアユは産卵をするとまもなく一生を終わることになる。
海から川を上り始めた稚魚は、水中の小生物や川底の石についている藻を食べて成長し、藻の香りを持つことから香魚といわれる。
吉野川や飛鳥川のアユは古い歴史をもち、神功天皇が三韓遠征ご進発のとき、松浦の玉の島でアユをつり、戦勝を占ったという伝説から「万葉集」にも数多く詠まれている。また紀貫之の「土佐日記」に「押しアユ」とあるのは、おそらく塩圧しをして保存したアユを食べていたのであろう。
歌舞伎十八番の「義経千本桜」に登場するのが、吉野・下市のすし屋の弥左ヱ門である。平家の落人としてかくまっていたが、逃げ延びて行くときに持たせたのが、釣瓶の形をした桶に入れたアユずしであったともいう。当時のアユずしは、ご飯に漬けて自然に発酵させた馴れずしで、慶長年間に後水尾天皇の求めに応じて仙洞御所に献上し、「御上の鮨所」の看板を許された。

■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43‐8152
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