「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2019年9月のブログ記事

  • 薬師寺近くの うのん 神無月10月の予定

    うのんのイベント予定 10日(木)16日(水) パーソナルカラー診断    お休み予定 6日(日)7日(月) 13日(日)14日(月) 20日(日)21日(月) 27日(日)28日(月) 19日(土)秋祭りのためお休み

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 外部資料 猿沢池の北東に興福寺へ登る石段がある。俗に五十二段と呼ばれている。歩いてみると五十二の石段からなっている。五十二というのは仏門に入る修行の階段といわれて 善財童子が五十二の知識人を尋ねまわったという故事にならってこの石段がつくられたのであろう。修復されているが 以前は中ほどに踊... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

    10月秋 心地良くなってます。 四国八十八ヵ所 お遍路さんにも良い季節です 御大師様通られた道 普通の遍路では訪れない所も紹介されてます。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 興福寺大御堂 外部資料 大御堂は三条通りをはさんで五重塔のななめ(東)向かい 通りから少し下がった所にある。通り沿いに木の柵があって入りにくい感じがあるが それを開けて大御堂に降りていける。天平5年(733)玄肪僧正の建立と伝えられている。本尊は阿弥陀如来座像である。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り  十三鐘  三作の供養塔 外部資料 三条通りを餅飯殿商店街 猿沢池 を過ぎ上げって行く。 昔 春日大社の鹿が神の使いとして大切にされ、「鹿を倒した者は石詰めの刑に処す」という掟のあった頃の話である。興福寺大御堂にあった寺小屋で習字の勉強をしていた三作という小僧さんが御御堂に入ってきた鹿を... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 隼神社 №2 木造地蔵菩薩半跏像 昨日に引き続き 隼神社です この地にはかつて 率川神社の鳥居があり率川神社の社領がこの付近まで及んでいたことがわかる。 治承4年(1180年)兵火にあい小さな社殿や柿木が残ったに過ぎない。 境内も小堂に木造の地蔵菩薩半跏像(像高73㎝)が安置されていおる... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 隼神社 外部資料 隼神社は小西通りと三条通りの角を南に入った所にある。 かつて 神社の脇に 黙阿弥 が住んでいたという。筒井順照が急死したため その後の混乱を避けるために 順照によく似た黙阿弥を代わりとした。その後混乱もおさまり 子供の順慶も成長したので 黙阿弥はもとの黙阿弥となった。 ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 月日社 外部資料 下三条町西の限り南側に 月日の宮 がある。中央に川上大明神=与止日女神(豊姫) 左座に早珠日神 右座に満珠月神をまつる。一説にこの手分森月日宮は、神功皇后が三韓征伐の際、諸神をここで配されたところから 一名手分の森と号すといった伝承があるが 単なる伝承であるとも。なおこ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん ら大和の気象歳時記

    三条通り 西照寺 外部資料 百万供養塔 明治時代までは東の林小路町に通じ百万ヶ辻子町と呼ばれていた 百万親子が住んでいたという。この石塔もはじめは百万屋敷跡にあったが、いつのころからか 西照寺睦に安置されるようになった。百万とはとは女性の名で春日の巫女で一男児があった。ある日西大寺の念仏会に親子で... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 不動堂  外部資料 昨日と同じ 角度が違います 弥勒石仏は立像で身長約2㍍左手に紅蓮華を持ち右手は下げて与願印を結んでいる。損傷がひどくお顔はつぶれているが、重厚な感じを受け 見る者を安堵させてくれる。一方隣の涅槃石は釈迦入滅の日が如実に彫り刻まれている。

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

    nhkの趣味悠々 の本です 登山には良い季節 注意すべきことも多く そして楽しんで下さい

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 三条町不動堂 外部資料 不動堂 JR奈良駅周辺には昔 江戸時代 弥勒堂町とよばれ興福寺の寺領、人家はほとんどなく田園に広がり、ただぽつんと、弥勒堂一宇が建っていたという。このお堂の中に石仏があった。その石仏はダム建築のため水没したり 宅地化のため移動させられたり 食堂からお堂へ引越し い... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 平城京 外部資料 大極殿の保存会が出来た後 宮跡のある都跡村の有志からの土地寄付 保存会の購入 匿名ぼ篤志家からの寄付等によって 大極殿と朝堂院一帯の地を主とする九町二反余(9㌶余り)が確保出来た。保存会はこれを内務省に寄付して国有地とし 大正11年10月 内務省はその地を含む約47㌶(... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り 大極殿 外部資料 棚田喜十郎は明治33年  関野の研究を知り すぐさま現地に行って宮跡の実情を見 「其の地地が空しく農夫の糞尿の堆積所たる情景を目撃して 愕然として之が保存顕彰に尽せん事を誓った 糞尿の堆積所というのは 堆肥や肥溜めのことだろう 棚田の東奔西走の甲斐あって 大正2年に侯爵... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    三条通り  平城京の遺跡    外部資料  棚田喜十郎 大黒は大極殿の大極のなまりの考え方を大切にそだて 八年後の明治40年に著書「平城京乃大内裏考」として みごとに結実させた。大黒の芝はまさしく大極殿のあとであり その南方に点々とのこる芝地は十二朝堂のあとであった。平城京研究の基礎はこの書物によ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    奈良三条通リ 大極殿土壇 外部資料 大極殿の土壇にしても、明治時代にはそれを遺跡と知る人も少なく、すき残された片岡のように田圃のなかにあやうく残っていたにすぎない。明治32年1月のある日当時奈良県技師であっった建築史家 関野貞は 偶然の機会からその土壇が 大黒の芝 と呼ばれていることを知り 大黒は... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石 外部資料 足跡に托す思いが表われています。

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

    今話題の大山古墳を中心にした話です。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石 岡寺 外部資料 以前にも紹介しました 岡寺の仏足石です 石鳥居から約500㍍東に登ると眺望展けた西国7番の札所岡寺である。義渕僧正の開基と伝えられる。本尊如意輪観音坐像 天人浮彫碑、義渕像など国宝 重要文化財がある。毎年3月初午には厄除けを祈る参拝者でにぎわう。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石  薬師寺 拓本 外部資料 薬師寺の仏足石には、後方の粘板岩に宗教歌が万葉仮名で陰刻されている。(五・七・五・七・七・七の形をとる歌体を仏足石歌体というのは、ここに由来する。)  みおとつくるいしのひびきは  あめにいたりつちさえゆすれ  ちちははがためにもろひとのために 足跡に托す仏教徒た... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん ら大和の気象歳時記

    仏足石 薬師寺   外部資料 日本にも仏足石は将来され。そのなかでも天平勝宝元年(749年)と記された薬師寺の最も古く有名である。いい伝えによるとこの仏足石は唐の貞観年間(627~649年)に王玄策がマガダ国のパータリプトラに赴いて仏の足跡の図様をうつしとったものを長安に持ち帰り それを日本から入... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石 転輪聖王 外部資料 昨日と同じ写真です 中央の車輪が 千輻輪 (仏陀の教説) 東南アジアの仏教徒の間には、仏足石の崇拝はいまなお盛んに行なわれています。 仏祖区には 32相という 仏や天輪聖王 にみられるとされる古代インド人が考えた身体的特徴のいくつかが現れています。まず 千輻輪相といって... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石  外部資料 仏足石に対する信仰は、仏教独自のものとはいえない。聖者や神格の足跡に対する崇拝はインドでは仏教以前から存在する。ヴエーダ聖典においてヴィシュヌ神は、3歩で天空地を闊歩するというので、その足跡は特別の意味が付されてきたし、シヴァ神の引き連れる神牛ナンディンの足跡の崇拝が行なわれた... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石 外部資料 ストゥーパが装飾美化することからいわゆる仏教美術が芽生えてきたと考えられる。パールフトやサーンチーにみられる攔楯や門の浮彫の中に 仏陀にまつわるジャータカや仏伝などのエピソードが描かれた。それは悟りのシンボルとされる菩提樹 仏陀が坐した台座 輪宝 傘蓋 そして足跡が 仏陀自身を暗... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石 外部資料 お釈尊様が入滅後最初に崇拝の対象となったのは仏塔である。お釈迦様の遺骨(仏舎利)は八つの地方に分配され それを奉るための建造物として 仏塔(ストゥーパ)が造られはじめた。やがて このストゥーパ自体が礼拝の対象となって、各地に建てられるようになった。

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  • 役s所薬師寺近くの うのん から今週のお勧めの本

    日本国家設立時における東北から九州まで各地に設立した王国 豪族などの姿を権力機構と権力者のもった力や呪術的思想などを浮彫りにしています。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石 お釈迦様が入滅されたとき あとに残された仏教徒達の動揺はいかばかりであったであろう。彼らの疑問にたちどころに答えてくれる師はもはやいない。なによりも精神的支柱がなくなってしまった不安は大きかったことだろう。彼らにはなんとしても お釈迦様に代る崇拝の対象が欲しかった。その対象として最も代表的... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    仏足石   インドの仏跡に巡拝すると あちらこちらで仏足石を拝見しますがその中でもっとも有名なものの一つに仏陀伽耶の大塔の畔に祀られた仏足石があります。その模写した仏足石は喜光寺の境内に祀られている。 外部資料 外部資料

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    薬師寺  仏足石  外部資料 お守りです 日本には仏足信仰が伝えられたのは薬師寺が始まりです。おそらく遣唐使によって奈良の都にもたらされたおではないでしょうか。釈尊によって始められた仏教はお釈迦様が涅槃の後仏教徒は信仰の中心とする対象にお釈迦様の火葬骨仏舎利を奉安しましたが お釈迦様のお姿を彫刻す... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    大和の自然 汗をおかきになる薬師如来様 外部資料 仏様の体温は低くお肌がなめらかでお堂の中が普段より湿っぽく雨が近づくと 非常な高湿になりやすいことなどがある。 汗をおかきになるときは 先ず大理石の基壇から始まる。仏様の後ろには小さな井戸があって 綺麗な水が溜まっている。この香水井に仏様の汗などが... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    大和の自然 薬師寺のぬれ仏 外部資料 薬師寺の金堂には 薬師 日光 月光 の立派なブロンズの仏様がいらしゃいます。この仏様達は夏を中心として 雨が近づくと 身体にビッショリと汗をおかきになる。これで「ぬれ仏」として有名である。大仏様も汗をおかきになるが これほどではない。それは お堂の中は外と比べ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    大和の自然 地形 外部資料 大和鉄道 長谷鉄道が桜井を起点として開通するにつれて 桜井はますます有利な場所となり 磯城郡誌ニモ 道路四方ニ通じ鉄道東西にひらけ京阪との連絡きわめて便利にて宇陀 吉野 山辺地方の物資皆ここに集散する。故に戸口益々増加して商業大にふるい、その繁盛は郡内第一位にある と述... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

    大和の自然 渓口集落 奈良盆地の東南に初瀬谷が平野部に出るところに 三輪 桜井の二つの町が渓口集落として栄えていた。三輪にわ推古の昔から六斉市(月に六回開かれる定期市)があった。この土地は上街道 三輪街道 松山街道 の交点であるので 道路交通を中心とした 時代には市場町とし繁盛し お伊勢参りの旅人... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から今週のお薦めの本

    日本人の生活を絵巻で表わしています。 奈良「春日権現験記」では僧侶 庶民の生活と共に その頃奈良の生活溶け込んでいた鹿の様子も描かれています。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和の気象歳事記

    大和の自然 渓口集落 外部資料 渓口集落は谷が平野に向かってラッパ状に開いている地形である。この場所を境にして、山地の生産がはっきり区別されるのが一般的である。すなわち山中は地形が山地で 森林が主で水田は少なく 農業生産は畑作作物が主となる。平地部は水田が多く 農業生産が主」となり 工業生産も多い... 続きをみる

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