「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2020年7月のブログ記事

  • 薬師寺近くの うのん から 葉月 8月のお知らせ

    梅雨も明けました。 うのん では今年瓢箪を植えました。 今月のイベント  今から133年前 (明治20年)の「奈良市」 「郡山市」 「西大寺村」の地図を展示中 コロナウイルス感染予防のため 一日のご来店いただけるお客様を制限させていただいております。 一日 1組 1名~4名様 まで  お食事 ・ ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説」から 「西九条の蛇塚」 奈良市野西南部、郡山に近い西九条町の氏神さんの北に、蛇塚さんと呼ばれている小さな塚があり、この塚につぎのような伝説が伝わっています。 大むかし、この村ではお祭りの宵宮に子供を一人、お宮さんに供えることになっていました。ところが、この子供はどうなるこ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    雨乞いの歴史 1,994年に100年間で地上気温が0.5度上昇 2025年には1度上昇という 気象庁「異常気象レポート」にあった。温暖化傾向はそれ以上のスピードで進んでいると考えられる。 気候変動 日本の気候 われわれは今、春の強風 梅雨の長雨 夏の炎天 秋の台風 それに冬の大雪と、この風土の四季... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の山口神社 大和の国では、山の神は重要な位置をしめていた。 「延喜式神名帳」には十四社でてくる。いずれも大社で 月次祭 新嘗祭 には管弊に預かった。延喜式巻八の祝詞の山口の神の祈念祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく飛鳥 石村 忍阪 長谷 畝火 耳無 と御名は白して 遠山 近山 に生ひて立てる大... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説」から 「登り坂のくさ神さん」 奈良から桜井に通じる上街道にそって、奈良市横井町の登り坂という所に、青井明神という小さな神社があります。 今は奈良から天理へ大きな道がその東方に新しくできているので、この上街道はさびれていますが、むかしはおもな街道で、人々はみなこの道を歩いて... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    お峰のデンソソ(畝傍山山口神社夏登り) 外部資料 昔は、武装した行列が雲梯(うなて 畝火山口の北西)の川俣神社まできて、神社の前を流れる曽我川で身を浄め、神社で祭式の装束にきがえたので、川俣神社を一名(装束の宮)ともよばれる。畝傍山の中腹に、「馬つなぎ」というところがあって、そこに馬をつなぎ徒歩で... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説」から 「大安寺西塔と礎石」 南都七大寺の一つである大安寺は、今は小さくなっていますが、むかしは東大寺や興福寺 薬師寺などと並んで、ひけのとらないくらいの大きなお寺でした。 そのお寺の南の方には東塔、西塔の二つの塔が建っていて、それが黄金造りであったと伝えています。その光り... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    お峰デンソソ(畝火山口神社夏登り)7月28日・29日  ところで、この祭りのなかでもっとも中心になるのは、「お水取り」といって神水を汲む神事である。28日の早朝(今は26日)神管が水を汲みに行くのである。壺阪峠を越えて土田へ行くのである。明治維新前は、武装した十二人の供を連れて、道中おごそかな行で... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説」から 「千両橋と千石橋」 奈良の聖武天皇の御陵前の、佐保川にかけた橋を法蓮橋といいますが 別名を千両橋ともいいます。 元来 この御陵の東側は多聞町で、ここは奈良奉行所に勤めた与力たちの住宅地ばかりでした。 奈良奉行所は幕府の役所で、奈良女子大学の所にありましたので、与力は... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    畝火山口神社の夏祭り 外部資料 お峰デンソソ(畝傍山山口神社夏登り)7月28日・29日 橿原市大谷近鉄橿原神宮西口下車北1㎞  畝傍山の山麓(昔は頂上)に鎮座する畝傍山口神社の夏祭りは、毎年7月28日、29日の両日行われ、俗に「お峰のデンソソ」といわれて、近在からの参詣者も多く、参道には露天が立ち... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説」から 「古女郎大明神(こじょろうだいみょうじん) 現在は国道24号線となっていますが、JR奈良駅から南へ約150㍍ほど行った地に、昭和の初めごろまでは、「あいがいし」という竹藪がありました。その藪の中ほどに橋があって、そこに狐が住んでいたということです。 むかし、ある夜、... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説)から 「幽霊松と鴻の池」 奈良市の西北部、法蓮に淡海公(たんかいこう)という小山があります。聖武天皇の御陵の陪塚(ばいちょう)の一つでいただきに枯れた松の大木が、きれいなかっこうに立っていて幽霊松と呼ばれています。 また、山の西北のふもとに鴻の池という深い池があって、しば... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    心念寺の「お地蔵さまの雨乞い雨乞い」④ 東新堂 新屋敷のお百姓の喜びは勿論この話は人から人に伝わりました。 その後は毎年「お地蔵さんの日」になり近在の農家からすいか なす キュウリ カボチャなど沢山のお供えが上がり 」の話を聞いた 他府県の方々まで提灯を供へなさるなどして門から本堂の間には大きな提... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    心念寺の「「雨乞い祈祷お地蔵さま)③ 外部資料 こうして「お地蔵さま」を中心にした長い行列は土けむりの上る炎天下の道を東新堂に向い次いで新屋敷と廻りながら お念仏をとなえ続け行かれました。 そして、行列もやがて 三輪をさしてもどりの道にさしかかった途中のことです。今まで雲一つなく明るく晴れ渡ってい... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和の伝説」から 「魚養塚と額塚(ぎょようづかとがくづか)」 奈良には吉備塚(きびづか)、俊寛塚(しゅんかんつか) 剣塚(つるぎつか)などいろいろの塚がありますが、その中で、魚養塚と額寺のことをかきましょう。 十輪町の十輪院内に魚養塚というのがあります。 奈良に都があったころ、日本か... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    心念寺の「雨乞いお地蔵さま」② 大福村の東新堂 新屋敷の農家の人々は相談の上 「何とか心念寺の 雨乞い地蔵さんにお出まし願えんものか」と村の総代さん達がお願いに来られました。 その頃の住職さんは今の住職さんのおじいさんに当たる聞治和尚さんでしたが 村人の願いを聞いて 「雨乞いの特別祈祷と出開帳をさ... 続きをみる

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    「子供のための大和の伝説」から 「不審ヶ辻子(ふしんつじがづし)」 奈良市の御所馬場と鶴福院町との間を通る東西のせまい横町を不審ヶ辻子といい、俗にフリンガヅシと呼んでいます。この面白い町名ができたいわれにこんな話があります。 むかし、御所馬場に松浦という長者が住んでいました。ある夜、ひとりの賊がこ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    心念寺の「雨乞地蔵さま」① 外部資料 心念寺のお地蔵さまは 昔から「雨乞い地蔵さん」「虫切り地蔵さん」として人々の信仰を集めておりました。 今から100年以上も前、明治42年~43年頃に実際にあったお話をしましょう。 その年は6月の梅雨にも雨は少なく7月に入ると殆ど雨らしい雨も降らずかんかん照りの... 続きをみる

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    「子供のための大和の伝説」から 「百万辻子(ひゃくまんづし)」 奈良市の三条通りを上がって生きますと、左手に開化天皇の御陵があり、この御陵の西方に百万辻子という町があります。ここにむかし、百万という女の人が住んでいたといいます。 百万は春日の巫女さんでしたが、後にひとりの男の子を産みました。 西大... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    お天気模様 気候概要と雨乞 人の住む所には、お天気とも深いかかわりが生まれます。 飛鳥川沿にある稲渕の集落から柏森に向かう中程左側に「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」があります。皇極元年(642)大早に際し天皇はこの丘付近に行幸し雨乞をされたことが日本書記に記されていて、いつの頃からか恵みの雨を祈り... 続きをみる

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    「子供のための大和の伝説」 「家康と桶屋」 徳川家康が大阪の陣の時、真田幸村に破られ、ほうほうの態(てい)で奈良まで逃げてきました。漢国神社の前までくると、そこに一軒の桶屋があって、トントンと桶をたたいています。 それを見た家康の家来は、 「この桶の中に、この人を入れてくれ」 と頼んだので、桶屋は... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和のお天気模様  日本屈指大台ヶ原は雨どころ 外部資料 奈良県は周囲を山岳と丘陵に囲まれた東西64㎞南北102㎞の内陸県で、県の中央部やや北よりを西に流れる紀ノ川(吉野川)を境に北部と南部の気候区に大別されます。 二分された北部の東側は山々と丘陵大地が連なり大和平野を隔てて金剛生駒山地が西側を区... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和伝説」 「転害門(てんがいもん)」 東大寺の西北の大門を転害門といいます。テンガイ門を音便(おんびん)でテガイ門といいならわしています。それで手貝門(てがいもん)とも書きました。今、この辺の町を手貝町というのはこの門からきているのです。 奈良市立鼓阪(つざか)小学校はこの門の所か... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ ⑩ ウバユリ 外部資料 別名をカバユリ ネズミユリともいう。ウバユリの名は往々にして花が咲いているときに葉が枯れていることがある。つまり「葉(歯)なし」と見て、ウバにたとえてこの名が付いたといわれている。 本州 四国 九州に分布し、大和の山麓湿地ではごく普通に見られる。

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    「子供のための大和伝説」から 「走り行法(ぎょうほう)と青衣(しょうえ)の女人(にょにん) 奈良の東大寺では、毎年3月1日から14日まで、二月堂で修二会という行事があります。俗にお水とり、またはおたいまつといっています。 この行事のうち、十二、三、四の後夜におこなわれる行法の中に「走り行法」という... 続きをみる

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    「子供のための大和の伝説」から 「若狭井戸」 東大寺二月堂の修二会を、俗に「お水とり」というのは、その行法中の三月十二日の夜半に、二月堂の下にある若狭井戸から、お香水のお水をくみとる行法があるから、その名がこの行法全体の名になっているのです。この若狭井戸に次のような伝説があります。 むかし実忠(じ... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ ⑨ ヒメユリ 外部資料 別名ベニユリといい 漢名を山丹ともいう。本州 四国 九州 にまれにあるものである。大和では古川場付近の山地 高見山 に野生しているといっているが きわめて貴重である。 ヤマユリ 外部資料 異名がきわめて多く、ヨシノユリ ホウライジユリ(蓬莱寺ユリ)エイザン... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ ⑧ ササユリ 外部資料 大和ではヤマユリ とも呼ぶ。古事記から由来した古名ではなかろうか  日本特産で中部 近畿 四国 に分布し、大和はササユリの自然分布の中心地であり、また多産地の中心地であって、三輪山のササユリが古事記 鎮花祭あるいは三枝祭との関係がある。

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    「子供のための 大和の伝説」から 「つんぼ春日」 奈良の春日山に、最初からまつられていた山の主は、つんぼでした。 山の主というのは、地主の神さまのことで、新しくその地にまつられた神さまや仏さまの前から、この土地にまつられていた神さまのことです。 春日明神が春日の地へ移ってこられた時に、山の主に向か... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ⑦ クルマユリ 外部資料  別名をカサユリ コメユリで日本での分布は中部以北の山地と北海道で1,200メートルから2,500メートルまでに見られる。東北 北海道では平地部付近に自生している。分布の南限は大台ヶ原(1,685メートル)と仏経ヶ岳(1,915メートル)であって、大和にお... 続きをみる

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    「子供のための大和の伝説」から 「宝蔵院流の槍と俊寛塚」 今の奈良の国立博物館の西方に、むかし、興福寺の一院である宝臓院というお寺がありました。ここの胤栄(いんえい)という人は、坊さんであるが槍の術を好み、武士四十人あまりと勝負をして、勝ちぬこうとしましたが、目的は達せられませんでした。 ところが... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ ⑥ コオ二ユリ  外部資料 外部資料  全形がオニユリに似ていて小形なのでコオニユリという。北海道から九州に、至る全域に、また海浜から高地にまでおよぶ。やまとでは、ごく普通種で山腹や吉野川の川岸に多い。洞川付近ではコオ二ユリに似て葉のきわめて細いのが野生している ホソバコオ二ユリ... 続きをみる

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    「子供のための 大和の伝説」から 「十三鐘の石子詰」(じゅうさんがねのいしこづめ) 興福寺も南側の石垣に沿って三条通りを上がっていきますと、右側へダラダラと下がった所に、俗に十三鐘といわれていますが、菩提院大御堂というお堂があります。(興福寺の一部) むかし、このお堂の横に寺小屋がありますた。寺小... 続きをみる

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    梅雨から暑い日々がつづく中奈良の伝説をこれからは紹介いたします。うのん 所蔵しております 「子供のための 大和の伝説」 昭和45年初版発行された モノです。 思い 想像して大和の昔を感じてください。 「猿沢池の竜」 むかし、奈良に蔵人得業恵印(くらんどとくぎょうえいん)という坊さんがありました。鼻... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ⑤ 外部資料 オニユリ 別名をテンガイユリ サツマユリ ノユリ アワユリ などと呼んで壱岐 津島などに野生している。大和では深山になくて人家の近くに野生している。これは栽培品の野生化したものであって、結実することがない。古くから栽培されていて鱗茎には、デンプンを含み 貴重な食品であ... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ ④ 外部資料 ユリと人生との関係は前述の古事記や日本書記にすでにうかがわれる。万葉集にユリをよんだ誌歌は少なくない。美術 工芸品において古くは正倉院御物に「ササユリ」を型どった刺繍が見られる。近世では俳句に和歌に、また里謡などに多く歌われている。 フランスではユリを国花としており... 続きをみる

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    「神野の民話」 「神野山讃歌」 鍋倉渓は、石の原 親を映すという水の さらさら響く神野路に 天空高く舞うひばり 母なる山よ美しき 大塚の森 霧晴れて 千古の悲話を今もなお つつじに伝う神野路の 尾根を鳴きつるほととぎす ロマンの山よ愛しき 作詞 奥中敬一氏 補作 井久保博利 氏

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    大和の自然 ユリ③ 外部資料 英語では ユリ を「リリー」と呼ぶが ケルト語のリイ(白)リウム(花)に由来したリリウムから変化したもので、あって、外国でリリーといえば古くから知られているマドンナ・リリーを指すのである。旧約聖書の中に「白ユリ 野のユリ‥」とあるが バラ アネモネなどの異説もある。 ... 続きをみる

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    「神野の民話」から 「吉備津神社とその祭神」 大字西波多南面も向けてしずまる社である。 吉備津彦の命を祭神とするが、本殿はなく、昔の自然信仰のまま奥に連なる巨石を御神体として崇拝する。 吉備津彦の命は第七考霊天皇の第二皇子であり、その名を伊佐勢理比子の命と申しあげる。 第十代崇神天皇の頃(前87年... 続きをみる

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    大和の自然 ユリ 2 外部資料 ササユリ 古事記中巻八七段に、天皇が狭井河辺の伊須気余理余理比売命の家に行幸された条に、「その河を一名佐葦河といふは その河辺に山由理草の多くある故その山由理草の名を取りて佐違河と号するなり 山由理草の本名を佐葦といふなり」とある。すなわち古事記にユリの名に佐葦(サ... 続きをみる

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    「神野の民話」から 「堂前」 文字通り神野寺のお堂の前の村である。ここでひと休みして、エリを正し神野寺にもうでたのであろう。 神野山が神そのものの山として、そしてまた、神野寺がいかに霊験あらたかであったか、多くのみ堂があったかが想像できる村名である。

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    大和の自然 ユリ ① 外部資料  ユリは古くからユリと呼ばれていて全体の総称である。 ユリには 百合の漢名を当てているが、古書には由利 与利 由流などあてられている。ユリの語源には、大なる花が風にユリ動くから鱗片が多くヨリ重なり合うことから 花美しく栄ユリことから など、いろいろの語源がある。 ま... 続きをみる

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    「神山の民話」から  助命(ぜみょう) 助命のいわれは神野山参りや神野寺に病気を祈願をして、命を助けてもらったという故事から名付けられたものである。 ありがたい神の山、仏の山として当時の姿が偲ばれ、信仰深い里人の心があらわれている。 同時に、助命は一時、山添村中」峯山の善明寺の領地であった。後、一... 続きをみる

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    「神野の民話」から 大字 勝原 勝原の里は初め豊原七つの村の基であった。 第十五代天皇応神天皇の御代(みよ)270年頃、勝の宿祢(すくね)という人が初めて土地を開き、溝、池、道を整備して人々は農業を中心に生計を力てるようになった。 この地で思兼(おもいかね)の神がはじめて八たの御鏡を作り、青白の御... 続きをみる

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    不老 強壮の霊薬 テンダイウヤク ④ 外部資料 後生中国から漢方、漢薬などの術が伝わるとともに、日本に在来的に自生している中国の鳥薬同一種の鳥薬を改めて中国から移入し、これを広く増植したので、あたかもそれがこの植物の渡来起源になったかのようにされたものであろう。天台鳥薬が森野薬園や、その他の薬園に... 続きをみる

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    不老 強壮の霊薬 テンダイウヤク ③ 外部資料 大和におけるツルマンリョウの分布が、沖積世初期の暖熱期代の生存植物であることが解明されるにつれて、このテンダイウヤクも暖熱時代の残存植物であると考えられるようになっている。そうすると、テンダイウヤクは、歴史時代になってからわざわざ中国から初めて渡来し... 続きをみる

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    「神野の民話」から 「金鋳生(かないりいけ)と伏拝(ふしおがむ)の由来」 その昔、天照大神が天安河原にある天の岩戸に立てこもられたとき、思兼(おもいかね)の神がこの池(神野のふもと)で池の水を使って金を鋳(いお)り真心を込めて八タの鏡を作り、天児屋根(あまのやね)の命が青日の御弊を岩にかけて祝詞を... 続きをみる

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    「神野の民話」から 「天狗松」 頂上三角点付近に大きな松があり、その一本を天狗松と言われてきました。 最近、雷のため枯死しそばに若い松が生えています。 この松は又の名を郡界松とも言い、昔の山辺郡と添上郡の別かれ目になっていました。 また、神野山には昔から多くの財宝が埋蔵してあると伝えられています。... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の自然 不老 強壮の霊薬 テンダイウヤク ② 外部資料 徐福が捜し求めた霊薬というのは、不老 強壮 健胃薬として漢方薬上現在でも有名なテンダイウヤク(天台鳥薬)と称せられるクスノキ科の灌木植物であったと伝えられる。 天台鳥薬の名は、中国の天台山から出る鳥薬で日本の本草学者が後生名付けたもので、... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和気象歳時記

    大和の自然 不老、強壮の霊薬 ① 万里の長城で有名な秦の始皇帝に典薬頭としてつかえていた 徐福に、皇帝が不老長寿の霊薬を捜し求めるように命じた。徐福は、童男童女数千と、金銀珠玉、五穀器材を積み込んで東方にある蓬莱という島に向かって船出した。幾日かの航海のあげく、ついに到着したところは、今の新宮市の... 続きをみる

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