「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師や寺近くの うのん から大和気象歳時記

「神野の民話」から
「金鋳生(かないりいけ)と伏拝(ふしおがむ)の由来」
その昔、天照大神が天安河原にある天の岩戸に立てこもられたとき、思兼(おもいかね)の神がこの池(神野のふもと)で池の水を使って金を鋳(いお)り真心を込めて八タの鏡を作り、天児屋根(あまのやね)の命が青日の御弊を岩にかけて祝詞をあげられまた。
天宇受売(あまのうずめ)の命は桶の上で、にぎやかに歌をうたっておどられました。
そして手力雄(たちからお)の尊がうやうやしくおがまれたとき、この地七郷の村人たちもまた勝の宿祢(すくね)勝原の王を中心に心をこめて伏し拝んだのでした。

それ以来 この地を金鋳生と呼び、この村を伏拝と言うようになったのです。
伏拝にはまた、次のような由来もあります。
昔、神野寺は天皇家の信任厚く、度々天皇を中心とする人たちが来寺しておられた。
嵯峨天皇の皇太子名を神野親王といいますが、そのお妃が病気になられたとき、この寺に病気平癒祈願のところ、お元気になられたので嵯峨天皇より神野の二字を与えられ(819年)、神野寺となったのです。
従って神野山には、数多くの寺々が並び、鐘の音、読経の声が一日中たえませんでした。
遠来の参けい人がここ伏拝に来た時手洗川で身を清めて山に登りまた、山からたち去る時も再び伏拝んだのでした。
また、この地に住む人々も朝夕鐘の音にあわせて幸せを祈ったといいます。伏拝にはそれは清らかな人々のこ心がきざまれています。

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