「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2020年8月のブログ記事

  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の雨乞の歴史 神楽その他 雨乞のためには神楽 特に温立神楽が献ぜられる場合も多い。生駒郡高山八幡の宝暦(1751~1763)明和(1764~1770)の「雨乞入用帖」に他の行事と共に温立てが繰り返し行われたことが見えている。大神神社では享保三年(1718)に祈雨のお祓い三百座 神楽二百座ありと... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「大日堂の鐘」 大和高田市のまん中に大日堂という大日如来をまつったお堂があります。 幕末のころ、荒れはてていた大日堂の鐘をよそへ売りはらいました。 その鐘は大和郡山市の高田口にあるお寺へ売られてゆきましたが、ある夜、その鐘がここの和尚さんの夢枕に立って 「ふるさとの高... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の雨乞の歴史 相撲と蹴鞠 延年の舞や猿楽とならんで中世社寺における催物の一つであった相撲もやはり祈雨あるいはその願菓が行われた。「大乗院寺社雑事記」によれば、康正三年(1457)七月十八日の請雨の際 奈良南北両郷の住人が竜王社のある高山において相撲を行った。二十九日には同じく両郷の祈雨立願によ... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「天の岩戸と七本竹」 橿原市の天の香久山(かぐやま)の南ふもとに天岩戸神社があります。神殿はありませんが、岩穴があって、亀津彦命(かめつひこのみこと)をまつってあります。 岩戸の穴は、この山の向こう側の天の香久山神社の穴までつづけているということです。 天照大神が、こ... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 神楽と八乙女舞 法隆寺五箇条立願の一つに神楽があった。上記同様竜田社神前の祈雨に神楽の奏されることがあったが、詳細は分からない。八乙女舞については「多聞院日記」に天正九年(1581)五月二十三日に「祈雨相殿之衆八乙女舞在之」とあり八乙女は春日若宮社に賊する巫子であってこれが祈雨に... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「北林の狸」 むかし、橿原市の曽我に北林という豪家があり、この家に長らく狸が住んでいました。 ある晩のこと、この家であずき飯をたたいて、残りをナベに置いて寝ました。夜中に主人が目をさましてみると、二匹の狸がたくさんの子をつれ、ナベのふたを取って、あずき飯をたべさせてい... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「入鹿(いるか)の首」 橿原市曽我町に曽我都比古神社というお宮があります。蘇我氏の先祖の神さまをまつった神社ですが、一般には入鹿の宮といって蘇我入鹿をまつってあると考えられています。 蘇我馬子(そがうまこ)は大和朝廷の大臣として勢力7があったが、蘇我氏の一族に住んでい... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 延年の舞 延年の舞は寺院において法会等の際 僧徒の手によって演ぜられた芸能であったが、法隆寺においてはこれが雨悦びに催された、もともと法隆寺では祈雨にはその鎮守たる竜田社(竜田新宮)に参籠するのが常であったが一方では寺の竜池に籠することもあった。この様な行法の結果霊験のあった場合... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 舞楽と延年舞 「教訓抄」巻一に仰天下大旱魃之時 於春日大社 奉祈雨下事 目中古始 其時此乱声 吹胡欽酒破 其故不知 (若催馬楽ノ音二付タル故カト申人モ侍 可尋也、又青海波蘇志魔舞 是ハソノ故侍也 青海波ハ竜宮の楽也 又水の音(こえ)ヌリ 蘇志魔ハ蓋笠ヲ着テ舞ヘハ其姿雨ヲコウルナル... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和伝説」から 「三段御作と狐(さんだんごさときつね)」 橿原市の地黄(じおう)という村に、惣五郎(そうごうろう)というおじいさんがおりました。 六月の田植え時のこと、三段御作といって三段歩(およそ0.3ヘクタール)の広さの田の植えつけを見つけました。夕方家に帰る途中、ふと野井戸に子... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 雨乞と芸能 雨乞踊 「経覚私要妙」文明三年(1471)八月二十二日の条に(於八鳥ヲトリ在之 雨乞云々」とあり翌二十三日にも同様の記載があって雨乞踊りは念仏踊りであった 八島郷は大和国添上群の地で興福寺領であった。踊りはこの地の農民の手になるものであったと考えられる。この他山辺群布... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「子部(こべ)の里」 初瀬の近くの泊瀬朝倉宮(はつせあさくらみや)に宮居されました雄略天皇は、養蚕の業を奨励するために、スガルという臣を呼んで、国内の蚕を集めて、奉るように命じられました。むかしは蚕のことをコといいましたので、「コを集めてくるように」といわれたのを、「... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    大和の雨乞の歴史 神社と祈雨 古代のところで述べた雨の神への信仰は中世になってもひき続いてその命脈を保っていた。もっとも「延喜式」の祈雨社の信仰のごときはそのままの形で残っているわけではないが円生川上社へは依然として奉弊の使いがたてられた。その一例をあげると鎌倉期では建暦元年(1211)六月二日 ... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「長谷寺の未来鐘」 桜井市初瀬町の山門をぬけて、長い回廊をのぼりつめたところで、頭の上をあおうぐと、大きな 鐘がかかっています。外から見ると、ここは鐘楼になっていて、尾上の鐘という鐘がぶらさがっているのです。この鐘を未来鐘ともいわれて有名なのですが、それにはこんな伝説... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「天狗杉」 長谷寺の仁王門を入って、一の回廊をのぼりつめたところのも右側に、一本の杉が高くそびえています。この杉は天狗杉とよばれていますが、この杉にこんな話があります。 長谷寺第十四世の能化(のうげ  官長さんのこと)に英岳大僧正というえらいお坊さんがありました。伊賀... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 竜王に雨を乞ううには必ず請雨経法とは限らない。承和六年(836)六月の旱魃の際の雨乞法の一つには七大寺の僧を東大寺に請じて三日三夜「竜自在如来」の名号を称賛せしめた、とあるのはその一例である。平安朝以来も有名な室生の竜穴は中世にあってもその信仰は依然として盗んであった。

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    「子供のための大和伝説」から 「聖林寺の地蔵さん」 桜井市の駅前から、多武峰行きのバスに乗ると 途中に聖林寺というお寺があります。国宝の十一面観音さまがおられるので、拝観の人があとをたちません。 しかしこの寺の本尊は、この十一面観音さまではなくて 大きな石の地蔵さんです。この地蔵さんを作られた時の... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 倭の国王の金印の持つところは竜の彫刻 竜頭となっている。中国や我が国のコインに竜をきざんだものがあった。竜の棲み家として有名なものに室生の竜穴がある。竜穴とは竜の住む洞穴で ここが霊験ある雨の神の宮と考えられてきた。旱天に朝廷は僧を派遣した例は数多く 最も早い列は弘仁九年(818... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「三輪山の九百九十九谷」 三輪山には、現に九百九十九谷あるといいます。元来は、千谷あるのですが、最も大きな一つの谷を、神さまがかくしておられるのだそうです。そして、ここの神様は蛇体だというのです。山の中の古い木を切ったりすると、たいへんな罰があたります。 むかし、付近... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 東洋の竜は風を起こし人々のために雨を降らすが、西洋の竜は恐怖をもたらすだけだ。と中国では竜は知恵をあらわす。数世紀にわたってそれは皇室の象徴であった。皇帝の座は竜座と呼ばれ 顔は竜顔といわれた。人々の想像は竜を雲に、農民の必要とする雨に、大きな川に結びつける。ローマ時代竜は歩兵隊... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「僧慶円と竜の玉」(そうけいえんとりゅうのたま) いまから六百年ほど前のことです。三輪山のふもとに、信心深い慶円という坊さんが住んでおられました。 慶円は室生で勉強し、弘法大師の生まれかわりだといわれたほど、偉い人でした。 ある日、久米仙人が女の人を見て、空から落ちた... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 十二支の内現在する十一の動物に加え、五番目に想像上の動物タツのあるのも面白い。 「龍」-多都ー雷神―蛇神ー降庄の神ー水の神ー豊作の神ー即為政者の徳と考え併せると「龍」への信仰は畏敬と崇敬の入り交じった複雑なものであったのであろう。62年5月の新聞「余禄に東洋の竜と西洋の竜はまるで... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「黄金の鎧の落武者」 今はなくなっています、むかしは三輪山の南のふもとに、平等寺という大きなお寺がありました。 関東の徳川方と、関西の豊臣方と天下分け目の戦いであった関ヶ原の合戦で、西方が負けて黄金の鎧を着た落武者が一人、この寺へやってきました。 「どうか、しばらく、... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 インド 中国の竜の信仰は密教の発達によって我が国へも簡単に受け入れられた。このことに先立ち蛇神への民族信仰が既にあったことが「常陸国風土記」にみられる。夜刀の神はその形は蛇鼻にて頭に角あり また別に角のある大蛇の話も出ている。当時すでに竜形のものが想像されて竜の語はすでに斉明紀(... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「箸中長者と荒坂長者」(はしなかちょうじゃ と あらさかちょうじゃ) 桜井市箸中にある大きな御陵のような前方後円の古墳は「やまととひももそ姫」のお墓だといわれていますが、一般には、「箸の墓」とよばれており、次のような伝説があります。 むかし、箸中に箸中長者とよばれる長... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 密教と竜蛇信仰 密教の請雨法 特に 請雨経法において祈願の対象は竜王であった。竜王の信仰は現在までも続いていて雨乞習俗とは深いかかわりがある。竜王は水中に住み雲を呼び雨を降らす能力を持つものとの信仰があって「大雲林請雨経」によれば竜王は一切衆生のために安楽を施し甘雨を降注するとあ... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「金龍寺の観音」 天理市の山田というところは、むかし山田道安(やままだどうあん)というえらい人の居城のあったところで、その山中の村里はなれた山奥に、梨の木谷という深い谷がありました。 むかし、ここにささやかなお堂がありました。ひとりの狩人が、大雪の日にここで一匹の男鹿... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「寒つばきと霊木」 天理市の丹波市から南方、御霊神社から三味田(さんまいでん)あたりにかけて、田のあぜに寒つばきという寒中に穂を出すツバナ(チガヤのこと)が生えています。 天正の乱世のころ、この東方にそびえる十市城の十市遠忠(といちとおいただ)を攻めた越智玄蕃頭が北国... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「馬魚」(ばぎょう) 天理市の石上神社の南に、むかし内山永久寺という大きな古い寺があちました。内山という所にあるので内山寺ともいい、永久年間にできたもので永久寺ともいったのです。 明治の初年に全部なくなってしまったのですが、本堂前にあった本堂池という池だけが残っていて... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史読 請雨が仏教儀式によって行われた最も早い例は先に記したとおり推古天皇三十三年(652)高麗僧恵灌に命じて青衣を着て三論を購読せしめたところ効があり そのため彼を僧上に任じた。(扶桑略記)次にこれも先に記したが皇極天皇の記事、蘇我大臣(蝦夷)の意見によって、寺々において大乗経典を転... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 徳治思想と祈雨 皇極記に続き 天皇が親ら神を祭ることは、後世永く行われた。延歴七年(788)四月十六日桓武天皇が「沐浴出庭親祈」と続日本紀にある。旱災を含めて自然の災害はすべて為者の徳の至らざる故とする中国の徳治思想は八世紀には普通のことであった。例えば元正天皇と養老六年(722... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「車返し」 天理市の田部(たべ)から川原城へ通じる奈良初瀬街道に車返しというところがあります。 明治のおわりごろまでは、八町なわてという野中の道で、その道を横ぎって東から川が流れていてそこに車返しの青石橋というのが、かかっていました。 今は人家や天理教の教会が建ちなら... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 雨を祈るには水辺で行なう必要があると考えられていたのであろう。跪拝四方 仰天祈雨は後世の四方拝を思わせるが、皇極帝が脱拝した場所が宮山宇佐さんと比定する説が阿り徳治思想が充実していたことが判る。ともあれ渡来系氏族が早くから定住し他地域に較べ文化が進んでいた。 明治の初年まで雨乞の... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「業平道(なりひらみち)と姿見の井戸」 天理市櫟本町(いちのもとちょう)の在原(ありわら)は、西名阪道路と、新しい南北の県道の交差する西南方の地です。 今は、そこにささやかな在原神社が残っているだけですが、むかしはここに立派な在原寺があり、もとは在原行平(あるはらゆき... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 我が国の正史である日本書記には皇極天皇元年(642)の記事が最も古い。皇極天皇元年は六月から八月にかけて大きな旱魃があり朝庭では様々に方法を尽くして雨を祈った。七月二十五日「群臣相語りて曰く、村々の祝都の所数の随に、といふ さらに続いて諸諸の神を祭ふ、或は頻りに市を移し、或いは河... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「櫟(いちい)の木と天狗」 むかし、天理市櫟本(いちのもと)の西にいちの大木がありました。この木の上に天狗が住んでいて、いっちんの実を投げて人を苦しめました。また近所のにわとりや、果物をとってあばれ、はては毎年ひとりずつ娘を人身御供(ひとみごく)に出せとまでいいました... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 飛鳥川上坐宇須多技比売命神社の場合 十四文字もの神社名は珍しい 坐処は大和川上流飛鳥川源流に近い稲渕と栢森のの中間右岸宮山の上に在って祭神は宇須多伎比売命 神功皇后 応神天皇を祀る 土地の人は「宇佐さん」と呼んでいる。「飛鳥古跡考」に「宇佐宮ノ下なる川中に少しき渕あり 皇極請雨の... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「稗田(ひえだ)の里」 大和郡山市の稗田の里は、堀にかこまれた古い村で、日本の一番古い古事記という本の物語りを話し伝えられた、稗田の阿礼(あれ)さんのおられた里だというので、この村の氏神、売大神社(うたじんじゃ)では四十五ほど前から、毎年八月十六日に阿礼まつりが行われ... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「牛の宮」 むかしは人の家へ奉公にゆくといって、一年でいくらの金をもらうという約束で、雇われて行きました。今は子供はそんな働きに出してはいけないという法律がありますが、むかしはそんな法律はなく、子供でも奉公にやるうちがあったようです。 この話は、そんな時代のむかし話で... 続きをみる

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    大和の雨乞いの歴史 夜支布山口神社の場合  大柳生の太鼓踊り 大祭は八月十八日であるが前日の十七日を賀当といい、その夜当厘の庭で盛大な太鼓踊りが催される。太鼓踊りが毎年いまも踊られているのは上柳生がもっとも代表的であるが、もとは大和の東山中から吉野にかけて、また国中を石上社や和爾社大神社なども神社... 続きをみる

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    大和の雨乞い歴史 山口神社の内より 「延喜式神名帳」には夜支布 伊古馬 巨勢 鴨 当麻 大坂 吉野 石寸(いしわれ)耳成 都祁 の各山口神社に、長谷 忍坂 飛鳥 畝火山口坐神社の十四社ある。当初は坐神社に加え皇居に近い十市郡の耳成 石寸の山口神社の都合六カ所の山は帝室の御料林であって、宮殿造営のた... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「源九朗狐」 大和郡山市洞泉寺に源九朗(げんくろう)稲荷社(いなりしゃ)という神社があり、源九朗狐はこの神さまの使い者だとされています。 源九朗というと、源九朗義経のことですが、義経千本桜というお芝居に出てくる狐忠信は、この稲荷の化身であったが、義経が奥羽へ下るとき、... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「洞泉寺のあかかけ地蔵」 大和郡山市洞泉寺町に洞泉寺というお寺があります。その寺の本堂に向かいあって小さな堂があり、地蔵さんをまつっています。世間では、垢かき地蔵とも、垢すり地蔵ともいっていますが、ほんとうは閼伽(あか)かけ地蔵さんです。閼伽というのは仏さんに供える水... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 水分系神社 宇太水分神社の場合 宇陀郡菟田野古市場に鎮座する。宇太水分神社は社伝によると、崇神天皇七年大和に置かれた四水分社の一つで宇陀地方の総鎮護 水の守り神として信仰を集めた。祭神はあめのみくまりの神 第一殿 はやあさつひこの神 第二殿くにのみくまりの神 第三殿 推古天皇十九... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 日本書記には白鳳四年旱魃飢餓の記録がある。 天平宝字七年(763)五月二十八日条に「奉幣帛子四畿内郡神 其丹生生河上神者加黒毛馬帛也」「延喜式」祈雨神祭のなかに「丹生川上社 貴布彌社黒毛馬一疋 中略 其霖雨不止祭料亦同 但馬用白毛 凡奉弊円生川上神者 大和社神主随使向社奉之」大倭... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「円城寺と東大寺の雨乞い競争」 むかし、仏教が盛んな時、お釈迦さんが修行された印度五山になぞらえて、奈良の付近に菩提山、鹿野園(ろくやえん)誓多林(せたりん)大慈仙(だいじせん)忍辱山(にんにくせん)という五つの寺を巡りました。その寺のあった所が、いまは奈良市の町名と... 続きをみる

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    大和の雨乞の歴史 雨乞の種々相 丹生系神社の内より 丹生川上神社 中社 の場合 同社略記によれば祭神は岡象女碑(みつはめのかみ)「岡象女稗稗は伊那奈枝 伊那奈美の神の子神を天照大神とは御姉妹」とあり、「水に関する一切の稗徳を受けられた」ともあった。由緒には天武天皇白鳳四年(676)「人声ノ聞エザル... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「今井堂」 源頼朝と一戦をまじえてやぶれた木曽義仲(きそよしなか)は家臣・今井四郎兼平(いまいしろうかねひら)と共に、信楽・名張をへて、大和の田原郷隈笠(ひがさ)(今の奈良市日笠)にのがれ、ここに身をかくしていました。 頼朝におわれた義経が、奈良の興福寺へ行く途中、こ... 続きをみる

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    大和の雨乞いのの歴史 一般に稲作に必要な雨の量は2000㎜と云われる。一方古代、大和は他の地方よりも早くから展け東洋では中国西安の都について多くの人口をかかえていた。「奈良の都」は五穀の一大消費地でもあった。しかし、栗や稗 稲作に必要な雨の量は決して満足出来るものではなく、多くの池が掘られ垂仁天皇... 続きをみる

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    「子供のための大和の伝説」から 「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)とおふじの井戸」 柳生の殿様、柳生宗矩が、柳生藩の中にあった興福庵という小寺へまいった時でした。 ふいに一匹のネズミが宗矩の前にあらわれました。宗矩はすかさず鉄扇で打ちたたいたので、ネズミはそのまま影をかくしてしまいました。その翌朝にな... 続きをみる

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