「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

国宝院義廣
椎平(しいだいら)の小高い丘に、国宝院様とよばれている小さなお墓がある。
墓の両側には、大きなサルスベリの木が植わっており、夏ともなれば桃色の花がさきほこり、あたりをいっそう明るくしているのである。

椎平に向かう道 外部資料



今から二百五十年も昔のこと、重里に一人の年老いた山伏がやってきて住み着いた。村人は、この山伏を温かく迎え入れた。粗末ではあるが、一軒の空家が彼に宛てがわれた。村人たちは、山川でとれたもの、作物などを持ち寄って、何くれとなく世話をやいた。
山伏も作物の育て方を教えたり、加持祈祷で村人を救うこともたびたびだった。また、薬草の知識も深く、村人の多くが助かった。子供たちにも好かれ、遊び疲れた子供達は、申合せたように、山伏の家によって、昔話をせがんだ。読み書きを習った子供もいたようである。
老山伏の名は 左海義廣(さかいよしひろ)という。泉州は堺の生れで、延宝四年(1676)生まれ、今から三百年以上前の人である。幼い時から、神童と騒がれるほど、すぐれた才能をもっていた。十四、五歳頃、天台宗比叡山に登り、出家した。出家の理由は明らかにされていないが、仏門に入った彼は、悟りの道を求めて、厳しい修行に耐えた。勤行(ごんぎょう)も熱心であった。また、寝ることもおしんで、古今の書物を読破した。まことに鬼気迫る彼の生活であった。このような努力で持ち前の才能は、ますます磨きかかって、とんとん拍子に、その地位があがっていった。三十代を過ぎた頃は、すでに僧都(そうず)の位になっていた。
彼はあるとき、ふと気がついたのであるが、自分が全く、たった一人であるということだった。そして、年若いにもかかわらず高い位置にいるために、周りには、他の僧侶たちの嫉妬、排斥の動きが、ドロドロと澱んでいることだった。一切の衆生を救うのが仏道に従う者の使命で、その世界は清らかに澄んだところである、と思っていたのに、俗世間とまったく同じ権謀術数(けんぼうじゅつすう)のうずまくところであった。
このことを
知った義廣は、その日のうちに比叡山を去った。彼が、山伏となって諸国の名山・山岳で修行していることが、風の便りで比叡山にも届いた。が、彼のことは、いつしか忘れらえていった。
義廣は、比叡山時代、国宝院にいたのであろうか、自らを国宝院と称して、山岳をさまよった。日の出、日の入りを拝み、霧を吸い、木の実を食い、狼や猿を友として諸国をめぐりめぐった。
しかし、彼の安住の地はなかった。いつしか、彼は、老人になっていた。そして、ついに十津川郷重里に入った。この村は、米は獲れないらしく、人々の生活は貧しげであった。貧しすぎて死に際の病人に、
「おい、しっかりせいよ、今、飯を作ってやるよって、元気だすんじゃあぞ」
と、わめき、家族が米粒を入れた竹筒を病人の耳元で必死に振る場面に出会ったこともあった。
義廣は、はじめ哀しい村だと思った。そして地獄のような村とさえ思った。
しかし、この義廣の考えは、だんだん変わってきた。確かに村人の生活は、貧しげであった。木を切り、炭を焼き、わずかな畑耕し、雨が降ればわらじを作り、縄をない、あるものだけで満足し、しかも村人同士は貧しいにもかかわらず、助け合っていた。
村人は、上・下の隔てが全くなかった。だから村人のことば使いは、荒々しくわめいているようで、言いたいことははっきり言うが、腹の底をさぐり合う必要はなかった。人々は正直で、人をだますことも嫉妬しあうこともなく、仏の世界そのものの村と思われた。義廣には、これこそ、仏門でいうところの三千世界の極楽浄土であると思えた。彼は、この地こそ自分が安住すべき土地であると悟って、ついに方杖(ほうじょう)をとめたのであった。
数年ののち義廣は思い病にかかってしまった。もう、自分の命は、わずかしかないと感じた彼は、枕辺に集まった村人に、この村へ来てから世話になった礼を一人一人に述べた。そして、何もできんなかった恩返しをしたかった。
「のう、村の衆、この村に温泉を出してやろうか、それとも火事のない村にしてやろうか。村の衆の望みどうりしたいのだが、どちらがよいか・・・。」
枕辺に集まった村人たちは、しばらく相談したが、
「火事のでない村にしてほしい。」
と言った。義廣は、ほほえんだ。
「わしの墓に二本サルスベリの木を植えてほしい。その木が栄えている間は、村から火事が出ることのないようにしよう。」
と、遺言した。
彼は、椎平の丘に葬られた。
このことがあってから、重里の村には、火事が起こることはなかった。
かれの死後も、彼を慕う村人は、彼が好きだった柴巻タバコを供えた。
サルスベリの木は、今も元気に天にむかって伸びている。
この木は、高い山にある木であって、山岳を巡っているとき、彼をなぐさめたのかもしれない。あるいは、比叡山の国宝院の庭にあった木かもしれない。

■ 住所 630-8023 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■ ℡  0742-43-8152

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