「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「神野の民話」から
「吉備津神社とその祭神」
大字西波多南面も向けてしずまる社である。
吉備津彦の命を祭神とするが、本殿はなく、昔の自然信仰のまま奥に連なる巨石を御神体として崇拝する。
吉備津彦の命は第七考霊天皇の第二皇子であり、その名を伊佐勢理比子の命と申しあげる。
第十代崇神天皇の頃(前87年)、未だ大和朝廷に従わない遠つ国の豪族たちをおさめるため四人の将軍を四道にわけて派遣し、天下を鎮定せられた。この話が伝承され「桃太郎の鬼退治」となったのである。

そのひとりとしてイサセリヒコの命は今の山陽道、とくに吉備(岡山県)の道を進み、多くの豪族を従えながら、その頃吉備の国を統治していた百済から渡来していた王子「温羅(おんら)」を攻めたてた。
どちらも強く勝敗は決しなかったが、神のおつげによる二本矢を弓から放つことによって、目を射られた温羅は没した。最後の息にあえぎながら温羅は「今までこんなに強い人には出会いませんでした。私の没後、私の名前吉備冠者を名のって下さい」と言った。
そこでミコトは吉備津彦の命と改称されたのであった。
なお下西波多(下津)には鬼ヶ塚という小字名があるが、これが遅瀬の峯道まで続いており、約六年前遅瀬のオニガツからは食用土器とカワラケ、二、三個が出土、その付近は塚のようになっており、吉備津神社と深いつながりが考えられるのである。
なおこの位置は、下津吉備津神社からはイヌイに当っており、付近には古い墓地らしき石が二、三ヶ所に散在している。これらによって昔、この高地に人々が居住し、次第に山ふもとに住み家を移したことが証明できるのである。

×

非ログインユーザーとして返信する