「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和の伝説」から
「魚養塚と額塚(ぎょようづかとがくづか)」



奈良には吉備塚(きびづか)、俊寛塚(しゅんかんつか) 剣塚(つるぎつか)などいろいろの塚がありますが、その中で、魚養塚と額寺のことをかきましょう。
十輪町の十輪院内に魚養塚というのがあります。
奈良に都があったころ、日本から中国へ使いに行った遣唐使が、中国に滞在中、彼地の婦人と仲よくなって夫婦となり、一人の子供をもうけました。
その遣唐使(吉備真備だともいう)が日本へ帰る時、婦人に
「今後、遣唐使が入唐する時には、必ず手紙をことづけるよ。子供は迎えに来るまで大事に育ててくれ」
といって約束しまたが、その後、何の便りもしませんでした。
母親はその仕打ちに腹を立て、子供の首に「遣唐使の子」という札をつけて、海へ流しました。
子供は大海の中に流されましたが、さいわい大きな魚に助けられて、ようやく難波の浦(大阪湾)に着き、ふしぎな縁で父に対面し、魚に養われたので魚養(うおかい)と名づけられます。
魚養は成長してりっぱな坊さんになり、医術と書道にも名をなし、十輪院を健立しました。
十輪院内の魚養塚は魚養の墓だということです。
奈良の興福寺の南円堂の南大門に月輪山という額がかかっていました。ある年、門前に大穴があき、大水が噴き出しましたので、占師に占わせると、「月輪は水に縁があるから、取りおろせ場よい」とのことで、この額をおろして埋めたのがこの塚だといいます。

×

非ログインユーザーとして返信する