「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和の伝説」から
「百万辻子(ひゃくまんづし)」

奈良市の三条通りを上がって生きますと、左手に開化天皇の御陵があり、この御陵の西方に百万辻子という町があります。ここにむかし、百万という女の人が住んでいたといいます。
百万は春日の巫女さんでしたが、後にひとりの男の子を産みました。
西大寺で法要があった時、この子をつれて参詣しましたが、群衆の中で子どもを見失ってしまいました。百万は気狂いのようになってあちこちとさがし求めましたが、どうしても見当たりませんでした。
ある日、百万は京都の嵯峨野にある清涼寺の大念仏会に参詣しましたが、子供がこの寺にいることを聞き、ここで親子再会して喜びあったということで、謡曲にも「百万」というのがあって、この物語りを伝えています。


この百万の子は清涼寺で仏門に入り、道浄和尚といいましたが、後に唐招提寺の坊さんになって、この寺の復興に努めた高僧になりました。
道浄和尚は幼い時から母を慕い、長じては寺のそばに母を住まわせて孝養をつくしたということです。
西大寺の東の門を入ってゆくと、しばらくして左手に小さな池があり、柳の木を植え、
「百万の遺蹟」を残しています。
また、奈良の今辻子町を東へ入った西照寺に、百万の塚という石塔が残っています。

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