「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和の伝説」から
「若狭井戸」

東大寺二月堂の修二会を、俗に「お水とり」というのは、その行法中の三月十二日の夜半に、二月堂の下にある若狭井戸から、お香水のお水をくみとる行法があるから、その名がこの行法全体の名になっているのです。この若狭井戸に次のような伝説があります。
むかし実忠(じっちゅう)和尚が、修二会の行法中、神名帳の読み上げといって、全国一万七千余の神さまの名を読み上げて、ここへお集まり願うのですが、神々は自分の名を読まれると、すぐここへ集まって来られたのに、若狭の国(福井県)の遠敷(おにゆう)明神だけが、魚釣りに出ていらしゃって、遅刻されました。ほかの神々は、なぜ遅参したのだと、とがめられますと、遠敷く明神は、
「恐れ入ります。遅参しました申しわけに、若狭の水をここへお送りして、このお堂のほとりへ香水をお出し申します。
といって、祈念されますと、二月堂下の大岩がグラグラと動いて二つに割れ、その間から黒白二羽の鵜がとび出して、そこから清水がわき出て来ました。
それで実忠和尚はここを閼伽井(あかい)とされました。これが今も二月堂下にある若狭井戸です。


これが若狭井の伝説ですが、全国一万七千余の神さまの中で、遠敷明神だけが、なぜこうした話の種になったのかと、考えられます。
近年歴史を調べますと、実忠和尚はもと若狭の国の遠敷神社のそばのお寺におれれたそうです。それで、実忠和尚が東大寺へ来れてからも、二月堂の修二会には、若狭の国から、お香水をほんとうに奈良まで持って来させたのではないだろうか、後生、。それが出来なくなってかr、若狭かこの井戸へ水がくるという
伝説が生まれたのではないかと、考えられた人があります。

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