「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

滝の主
昔の年寄りがよう言ううておった。
「グチナワが大蛇となり龍になるには、山で一千年、川で一千年、そして海で一千年、つごう三千年もの間、きびしい修行を積まにゃあならん、そして、三千年の修行を終えたら大蛇となって天に舞い昇り、そこで龍となって、ふたたびこの地上に舞い下り、大きな滝をえらんで、そこをすみかとする。」と。
年寄りは、さらに
「大きい滝には、たいていその龍がおる。折立の猫又、大野のシラクラの滝、七色の十二滝、中原川の牛鬼滝(うしおにだき)、小川の大泰には主がいるということじゃが、その主がいるということじゃが、その主の中でも一番偉いのが猫又の龍らしい。正月の朝には、東の空から錦の雲がこの猫又の上に飛んで来ると、昔から言われておる。」



と、言うていた。
また、滝の主のことでは、こんな話もある。



昔、武蔵に源蔵というひとりの木こりがおった。ある日、源蔵がハツリ(ヨキの一種)の柄にする木を探しておったら、ちょうど大泰の滝の上でいいのが見つかった。
源蔵は、早速その木を切り倒した。ところが、その木は、そのまま滝つぼへ落ち込んでしまった。大泰の滝つぼは、地元の人が、「小豆八斗まき」(百二十キロ)と呼ぶほど大きな渕で、木は底深く沈んでどうすることもできなかった。源蔵が残念がって青い渕をながめていたら、渕いっぱい見るみるうちに白くギラギラと光輝きはじめた。その白くひかるものは大きなウロコじゃった。
「これはえらいことになった。昔からこの渕には主がいると聞いておるが、これはその主にちがいない。」
とあわてた源蔵は、そのまま玉置山へ登り、七日七夜こもっていしょうけんめいに祈祷した。そのせいかその後、源蔵に大泰の主のたたりはなかったそうな。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の話

はくらんさん



昔、野広瀬に小さな谷があっての。
その谷には、丸木橋がかかっておった。
村の人が川津へ用に出るには、どうしてもその谷を渡らなあ行けなんだのじゃ。
ところが、この谷を子供を産んで日数の少ない女が通ると、必ず病気になるなど良くないことがおこったそうじゃ。
そんなことがあまりにも続くので、困った村人達はうらなってもろうたんじゃと。
そうしたら、
「わしは、親の谷に住んでいた白龍じゃ。みんなを驚かせるので姿は見せられないが、親の谷(大字小井)が荒れてすみにくくなり、住み良い所を探してここまできたのじゃ。どうぞ、ここで祀ってくれ、祀ってくれれば女を守る神になろう。」
と、言いうたそうじゃ。
そこで村の衆は、道のかたわらに川原石を立てて、白龍さんを祭り,通る人ごとに花や食べ物をお供えして拝んでおった。
それ以来、野広瀬では、お産で死ぬ人もなく安産の神様と崇められたのじゃ。
それを伝え聞いた遠くの村からも、お参りに来る人が絶えなかったということじゃ。
白龍さんは、いつしか「はくらんさん」と呼ばれ、ダムで水没後は、川津に祀られているんじゃよ。


■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

おならのうた

むかし、木こりのじいさんがおった。
ある日、いつものように奥山に入って木をこっておった。
すると、高い梢のほうから、きれいな小鳥のうたが聞こえてくるのじゃ。
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
じいさん、木をこるのも忘れて、このふしぎなうたに耳をかたむけていた。そのうたはだんだん近づいて、とうとう、すぐそばの小枝に小鳥が下りてきた。黄色の羽、くるくるしたまっ黒な目、青いくちばし、それは、今まで見たこともないかわいい小鳥じゃった。
じいさん、ポカンと大きな口を開けて見とれていると、小鳥は何を思ったか、ピョンとその口の中へ飛び込んできたもんだ。
じいさん、びっくりした拍子にひょいと小鳥を飲み込んでしもうた。
しばらくたって、じいさん、おならをすると、
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
と小鳥のうたそっくりに鳴るのじゃった。
おならのうたは、夕方、山を下りるときも、夜、布団の中に入ってからも、
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
と、うたをうたうようになんべんもなんべんも鳴るのじゃった。
このうわさがやがてお殿様の耳にも届いた。
「なに、おならがうたをうたうと。ぜひ、きいてみたいものじゃのう。」
やがて、お殿様の前で呼びだされたじいさん。
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」
と、うつくしいおならのうたを鳴らしてみせたから、お殿様はたいへん喜んで、たくさんのごほうびをくださった。
この話を隣村の欲ばりじいさんが聞きつけた。その欲ばりじいさん、早速やってきて、
「どうすりゃ、そんなおならがならせるんじゃ。」
と、たずねるから、
「大豆を一升(1.8リットル)ほど炊いてたべたんじゃ。」
と、でまかせをいうと、
「よし、わし三升(5.4リットル)食べて、もっとどっさりごほうびをもらおう。」
と、ひとりごとを言い、早速、無理して三升の大豆を平らげると、勢いよく殿様の御前にやって来た。
「申しあげます。このわしは、もっともっとおもしろいおならをしてご覧にいれまする。」
と、腹と尻にうんと力を込めて気張ったものじゃ。
すると、どうだろう。おならどころか、出たのはくさいくさいうんこの山じゃった。
殿様、まっ赤に怒って、尻を針で刺す刑を言いつけた。
やがて、お尻を血でまっ赤に染め、足をひきずりながら逃げ帰った欲ばりじいさんを見て、家の者たちは、
「じいさん、赤い風呂敷にごほびどっさり包んで帰ってきた。」
と、大喜びしたということじゃ。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

飛ぶお椀


これは果無にあった話じゃ
果無に果無谷ちゅう谷があって、そこに果無滝があるのを知っとるか。あんまり大きい滝じゃないけんどのう。
むかしむかしのことじゃった。いつの頃から月一回、昼すぎくらいになると、この滝からお椀が飛んでくるんじゃ。「ウウーン
という音をかすかにたてて飛んでくるんで、すぐわかるんじゃ。迷惑かけてはならんと思っていたのか、同じ家に続けて飛んでくることはならなかったらしいよ。
飛んできたお椀h、まるで目がついているようで、めあての家の人が外で働いておれば、その人の側に、家の中におれば、その空いた窓からスーッと入って目の前にとまるんじゃ。
お椀は何しに来たと思う。お椀の着いた家の人は、その中へ麦飯や粟飯をてんこもり(山盛)についでやるんじゃ。漬物があればそれもつけてな。そうするとお椀は、ファーと浮いて「ウウーン」と果無滝へ帰っていくんじゃよ。
あるときのことじゃ。いつものようにお椀は飛んできたよ。そしてちょうどマヤゴエ(牛の糞)を出している男の前に止まってしまったわ。その男は、大層めんどくさがりやであった。ちらっとお椀を見たが、臭さは臭し、おまけに暑い日であった。
「ええい、このくそ忙しいのに、しちめんどうくさいお椀じゃ、この牛の糞でも食らえ。」
いきなり、お椀の中へ糞をほり込んでしまったんじゃ。
おわんはそれでもゆっくりうきあがると、
「ウウーン」と小さい音をたてて、いつもの様に滝へ帰ったんじゃ。
それっきりなんじゃよ。お椀は、もう二度と飛んでこなかったんじゃ。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

高森重蔵

何でも明治維新前の人らしい。その人は高森重藏と呼ばれていたが、その出生地も本名もわからない。何か都合があってかくしていたものらしく、高森(地名)の巽屋(屋号)に住まわせてもらっていた。木挽き(木材を大鋸で切ること)が本職だったらしいが、動作に隙がなく剣術のたしなみもあったようだ。というのは、木挽き仲間の一人がいたずらに昼寝をしている重藏の顔の上へ、ぼくっとう(棒)をいきなり振りおろしたら、ムクッと起きあがった重藏は、サッとその棒をつかんで、ものすごい力で仲間を引き寄せてしまったという。
まだ、新宮に殿様がいたころ、重藏はたまたま鉄砲の練習をしている侍たちにいきあわせた。侍たちの稽古があまりにもおしかったのでカラカラ笑ってしまった。笑っただけでなしに、
「あれで的にあたるのかよ。あれでは役にたたんぜよ」
と、聞こえよがしに言ってしまった。これを聞いた侍たちは青筋をたてて怒り、殿様の前にひきずり出した。
「そちは、なにゆえにあのようにあざけったのじゃ。わけを申せ。」
と、殿様。
殿様の前に出ると、ちょっとは遠慮したもののい言い方でもするのか、と思ったらそうではなかった。
「わしはおかしかったら笑うたんじゃ、あんなぶざまなかっこうでは的に当たりゃせん。体が泳いでしもうとる・・・。」
「そうか、そうか。そちの言うことはもっともかもしれん。では、腰をしっかりすえて的をねらわせるとことにしよう・・・。的はおぬしにする。よいか。」



そういって。殿様は意地悪く笑った。
「元はと言えば、わしが播いた種。喜んで的になりましょう。しかし、今というわけには参りません。わしは十津川郷は高森の住人、重藏と申す者。三日の猶予をくだされ。連れ合いも子供もないが、隣近所の親しい者と、せめて別れの杯でも交わしてきたい。」
「十津川郷は猪や猿の棲まう奥深い山の中、お主が逃げ込むには、まことに都合の良い所じゃ。」
「めっそうもない。わしは嘘はいわん。恥となることは断じてやらん。」
重藏が大声で呼ばわるので、殿様はしばらく黙って重藏の顔をしげしげとながめていた。
しばらくして、
「的になるに、武器はいらぬか。」と、
たずねた。
「武器・・・。お殿様、お情けを下さるのですか・・・。ならば、槍をお貸し下さい。先は要りません。石突がついておるだけで結構です。」
重藏の堂々とした態度に、
「さすが十津川の郷士だけある。石突だけの槍を与えよう。しかし、後悔するのではないか。」
けらいが先のない槍をもってきた。重藏はそれをもらい受け、風のように高森へ戻った。
高森に戻った重藏は、心配気に取り囲む村人たちを尻目に、石突きを丁寧に研きたてた。
三日後に重藏はそれをもって新宮の射場に向ったのであった。
射場の東側に立った重藏は、鉄砲がまさに火を吹くという寸前に、持っていた槍の石突きを西日に反射させて、射手の目をくらませてしまった。いずれの弾も当たらず、鉄砲が鳴り終わったとたん相手の懐に飛び込み、鉄砲を叩き落としたという。重藏の知恵とその豪胆さに殿様は、大層感心されて、許したのである。
さて、その頃、十津川郷では、郷寄りという会合があった。十津川郷内の代表者が川津(地名)に集まったのである。
このとき猿飼い(高森は小字)の森定蔵(屋号北村)が庄屋をしていて、重藏を供にして川津へ出掛けたのである。
ここで郷寄りをしている最中、数人の浪人が剣道の試合を申し込んできた。ところが、代表者たちの中には、あいにく腕のたつ者がいなかった。どうしたものかと思案していると、森定蔵が、
「わしの供として連れてきた高森重藏と申す者だが・・・この者にそなたたちのお相手をさせよう」
と、言った。
供の者が相手とは・・・。少々不満足な顔付きであったが、定蔵は、浪人たちにおかまいなく、重藏を呼びにやった。重藏は、谷川から水を桶で汲み上げていた。浪人の相手をせよ、と言われた重藏は、水汲みのおうこ(天秤棒)で立ちむかった。たちまち浪人たちを打ちすえて、また、何事もならなかったように、水汲みに精を出していたという。
供の男でもこれほど強いのであるから、これから十津川郷中奥深く入っていけば、さぞかし強い者がいるにちがいない、と考えた浪人たちは、ほうほうの体で逃げ帰ったということである。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152