「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2020年10月のブログ記事

  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 赤膚焼きは 天正2年(1574年)豊臣秀吉の弟豊臣秀長が大和郡山の城主となった。秀長が家来には、後の茶道遠州流の祖となった小堀遠州の父、小堀正次いた。茶器にも明るく五条山の土の優秀さを知ると、常滑から、「与九朗」という陶工を招いて窯を開かせたのが赤膚焼きの起源となった。 外部資料

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「川上村の昔話」から 「炭焼きと蛇」 炭焼きに行って、二人の兄弟が奥の方で、もうこれで大分頼まれた山ほとんど切って、まあこれでよか思うとるときに、大きな蛇が出てきてね、こらかなんと思て、しばらくにらみあいしとってんけど、もうこらかなわんと思て、走って帰って、炭の中へ隠れたんやて。すると炭がまが開い... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から 霜月(11月)の予定

    今月お勧めの本 正倉院展 龍田古道 の紹介されています。 11月のイベント予定 3日(火) ちぎり絵やってみませんか 初歩の手ほどきです。 6日(金) パーソナルカラーセミナ-  お休み予定 7日(土)8日(日) 9日(月) 11日(水)14日(土)15日(日)16日(月) 22日(日)23日(月... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 野見宿禰が 埴輪を考案しそれが垂仁天皇にみとめられ 土師氏となり 今の菅原の地で居を構え五条山の土を使って 埴輪焼きました。 その後土師氏は天皇より「菅原」の姓を賜り以後 菅原姓となりました。 野見宿禰は菅原道真の先祖と考えられています。 外部資料 垂仁天皇の御代、瓦などを焼く土は各地で... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「川上村の昔話」から 「河太郎の話」 その 中の街道でんねや。あこで、中粉ていう家でな、むかし馬飼うとって、ほいて、下の川に洗いに行きましてんと。そしたら河太郎が尻抜きに来てんて、馬の。ほんでんな、 「どうぞ、もうきゅうりを作れへんさかいに、馬の尻抜くんだけこらえてくれ」て。ほんでいまだに抜けんが... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 現在の赤膚焼き窯元 外部資料 野見宿禰に由来します。 垂仁天皇の時代 弟である倭彦命が亡くなり葬った時 その陵域に近習のひとびとが 生きたまま埋められていくのを あまりにも悲惨であった。それを目にした垂仁天皇は心を痛められました。そんな折り 皇后葉酢媛がお亡くなりになった。かねてから垂仁... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「川上村の昔に話」から 「伯母峰の一本足」 あれは義経の馬でねえ。ほいで馬が戦争に足二本いためて、二本足になってもてね。ほいで、あこでほかしたていいますねんな。伯母峰でね。義経が吉野へ来たときにね、まあこっちへ来て、あこでほかしたいいますねんさ。 そのほかした馬がね、悪いことしてしゃないってね。畑... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和気象歳時記

    「川上村の昔話」から 「伯母峰の一本足」 義経がな、ここをおう この山越えてな、はいで、熊野に行くときに、果ての二十日いうたら十二月の二十日やわな 昔の、そのとき通ったら、一本足がでたんやとう。 おなじ話やテーマがおなじでも語り部により少しづつ 話がちがいます。これも伝えていくべきことと記載され、... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「川上村の昔話」から 「伯母峰の一本足」 まあ、いろんなことを言うてますけども、やっぱりあの伯母ヶ峰峰にもう毎日のように怪物が、まあ、出没して、そして、その、、通行する人を悩ましたと。それで、猟師がこの鉄砲でも、てうちに行ったけえども、弾がはねかえってきて、どうしても、その、弾があたらなんだと。そ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 外部資料 赤膚焼きの窯元 大塩昭山 があります。陶芸体験もできます。なかなか興味深いものです。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「川上村の昔話」から 姥捨て山の話 6 むかしむかしな、お爺な、長いこと長いこと病めとって、もうそそうは出るし、どうもかなわんからな、ほかしに行こなちゅうて、モッコ入れてな、ほいで、そのお爺を、もう足腰立たへんし、長年寝とるし、まあ、半死みたいになとんて死なんだんやろうか。ほんでまあ、昔話やけど、... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 外部資料 赤膚焼きは土が良いとのことで、今の赤膚山にて作られるようになりました。そして安土桃山時代に豊臣秀長が大和郡山城主になって お茶に親しんでいたことから 赤膚焼きは高級なものとなっていきました。薬師寺から西に徒歩20分ぐらいでしょうか 窯元さんがあります。

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 赤膚焼きは奈良を代表する焼き物です。始りは垂仁天皇の弟が亡くなった時に殉死する人々に大変心を痛められました。それを知った 野見宿禰(のみのすくね)の発案で人の代わりに埴輪を提案。その埴輪作りが赤膚焼きの初めです。 外部資料 美しい形の垂仁天皇陵です 天皇陵は垂仁天皇が政を行なった纏向珠城... 続きをみる

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    「川上村の昔話」から 姥捨て山の話 5 息子がなあ、あの、お婆さんを捨てに行くんでしょう。もうな、こんな年寄ってな、なんぼ生きたってなあ、もうお婆さんはもうあれやから、 「わしはな、姥捨て山に捨ててくれたらええさかいに、ほんでもう、わしはもうこの世に何にも未練がないから」と言うてな、でまあ、無理や... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    赤膚焼き 赤膚焼きは奈良を代表する焼き物です。 垂仁天皇の時代に始まった埴輪作りからです。その窯跡が残っています。近鉄西大寺駅から徒歩10分ほど南です。 当時の窯跡がそのまま保存されています。住宅地のなかにある公園のようにだれもが行きやすく しかしあまり知られていないのか 観光の方は見かけたことは... 続きをみる

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    「川上村の昔話」 姥捨て山の話 4 親を捨てかねて、連れて帰って隠してあったと。そして、殿様が難題を出したと。それがなんであったかというと、あの、灰でもって縄をのうて持ってきたら、その、許してやろうということで。息子が悩んでしておったところが、母親が、 「ああ、その、何を悩んでおるんや」と。 「実... 続きをみる

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    「川上村の昔話」から 姥捨て山の話 3 背負うてもとうて行って、息子も泣き泣きお婆さんを連れていったら、その、背中に負われたたお婆さんが、あの、木の枝を一つずつ折って、そして、往き道のところへ落としていったと。それで、 「わしはもうこれで、もう捨てられて山で死んでしまうけえど、息子が帰る道がわから... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    市販されていない本です。 「川上村の昔話」これは地元の方に聞きながら書かれたものです。岡節三様が中心にまとめられたモノです。私が所蔵いたすものはゲラ刷りのものです。同じ話が語り部にの方により表現が違うことも非常に興味深いものです。 「姥捨て山」 お婆さんが年寄って、姥捨て山へ負われていかれかけたら... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和伝説」から 「玉置の神さまの水浴」 吉野群十津川村の玉置山に鎮座される玉置神社は、十津川村で一番尊ばれている神さまです。 私も環山に登ったことがあります。玉置神社には樹齢三千年という神代杉など大杉が何本もあって、大むかしそのままのような神々しい所でした。 この玉置神社から1㌖半西... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「叔母子岳の一本足」(おばこだけのいっぽんあし) 十津川村の西の方み、叔母子岳という標高1347㍍の高い山があり、高野山から、熊野街道がここを通って、上下20㌔の叔母子岳という難所になっています。 むかし、この峠に一本足という化け物がいて、美しい女に化けて出て、わざわ... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「腰抜田」 吉野郡十津川村五百瀬(いもせ)は、五百瀬の荘司の宅があった跡と伝えられていますが、この田を一名腰抜田ともいわれています。 元弘元年十月、護良親王が熊野へ落ちて行かれる時、従者数人を従え、芋瀬の庄司が守っている関所をすぎようとされましたところ、荘司はこれをこ... 続きをみる

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    薬師寺 東院堂 外部資料 薬師寺境内 南東にあります。 東塔と同じく国宝です。 入るのには靴を脱ぎ静かに入って お詣りできます。

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    「子供のための大和伝説」から 「五百瀬の淵の河童」(いもせのふちのかっぱ) 牛はハチ人力だが、河童は七人力で、一人力弱かったが、牛をひっぱりこんだという話が十津川村の神納川にあります。 また、五百瀬の淵のまわりで、十津川村中南の人が仕事をしていて、鎌か斧かを落としました。すると、夜になって河童が夢... 続きをみる

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    薬師寺から少し離れて 吉備姫王墓、猿石 皇極天皇 孝徳天皇の御母吉備姫王の墓で、はじめ真弓の岡に葬られたが、のち現在地に改葬されたといわれる。墓城内に猿石と呼ばれる石が置かれている。元禄15年(1702)10月5日平田字池田から発掘したもので、4体9面とも見える男女猿法師を型どり、ユーモラスである... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「泣き坂」 吉野郡迫川今井の近くに泣き坂という坂があります。 むかし、弘法大師が、高野山に水が少ないので、よい水を得たいと思って、天川村坪の内の弁財天社へお通いになりました。 それは、この坪の内の弁天さんは水晶の玉を持っていらしゃるので、それがあると、よい水を出すこと... 続きをみる

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    薬師寺から少し離れて 鬼の俎 鬼の雪隠 鬼の俎  鬼の雪隠 外部資料 鬼の俎は道路より高い方にあり、雪隠は道路より低い方にすべり落ちた姿になっている。 横口式石と呼ぶもので、俎の石槨の上に雪隠のカマボコ型が上にかぶさっていたものである。鬼がこの道を往来する人々を捕らえ、俎の上で料理し、雪隠で用をし... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「明神池の浮木様」 吉野郡下北村の海抜六百メートルもある高い山の上に、池峯という村があります。この村には池の神様をまつる明神池という池があります。 この明神池に浮木様といわれる一種の浮島があります。古い大木の末木のようなもので、苔むして、いろいろの小さい木がその木がそ... 続きをみる

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    薬師寺から少し離れて 欽明天皇陵 外部資料 欽明天皇は継体天皇の第3皇子磯城島金刺宮で天下を治められた。治世中仏教が百済から伝わり、蘇我氏、物部氏の対立が激化した時代である。在位23年で崩御、皇太夫人堅塩媛を合葬。推古天皇28年(620)砂磯を以って陵上を築く。 近鉄飛鳥駅から近くです 歩いて約5分

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    「子供のための大和伝説」から 「篠原殿」 足利時代のこちょだといいますが、篠原という武士が吉野郡大塔村の篠原へやってきまをした。 村人は、おとなしい彼を篠原殿と呼んで尊敬していましたが、やがて傍若無人なふるまい、人を人とも思わなぬ悪いことをするようになりましたので、たまりかねた村人は、川相撲を催し... 続きをみる

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    今日夕方大池(勝間田池) 昨日はパソコン不具合のためブログお休みしました。 本日復旧しました。 天武天皇と皇后の持統天皇を合奏した陵墓である。天武天皇の御名は大海人皇子、天智天皇の弟、朱鳥元年(686)正殿にて崩御。持統天皇は天智天皇の第2皇女、大宝2年(702)崩御。翌年飛鳥の岡に火葬され、大内... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「源十朗橋」 西吉野村和田の中ほどに、南の山腹から丹生川に流れる小川があり、そこに源十郎橋という石橋がかかっています。 むかし、この村の辻内家の先祖に、源十郎という強いえらい人がありました。生まれつき大力と豪快のような勇気のある人でした。 ある年(明和三年という)のお... 続きをみる

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    薬師寺 南門 薬師寺南門から東へいくと すぐ池があります。少し南門から歩いて ご覧頂きたい風景です

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    「子供のための大和伝説」から 「黒淵と乙姫淵」 西吉野村の黒淵は、丹生川(にうがわ)の流れにそい、「淵は四十八淵、森は四十八森」といわれ、たくさんの淵があります。そのうちに乙姫淵というのがあります。 むかし、大日川の音右衛門という人が、この淵へナタを落としましたので、すぐ飛びこみましたが、それきり... 続きをみる

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    薬師寺南門前道路 外部資料 薬師寺南門 歩いて 駐車場からお詣りされる方はこの門から入られることでしょう。この前車で通られることも ただ道が狭く一台は通行離合出来にくい道 部分的にはできますが いぬい川が横にはしり雰囲気がいいと思われますが 車の通行には互いに譲り合いがスムーズに動くことができます。

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    「子供のための大和伝説」から 「五郎宗とユルギ岩」 大和と伊勢の境に立つ高見山に、国見岩という大きな岩があります。神武天皇が大和平定のはじめ、親しくハ方を望まれた所だといいます。 また、ユルギ岩といって、誰かがここへ持ってきて置いたかと思うような、不安定な岩があります。大きなものであるのに、ひとり... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    外部資料 法相宗大本山薬師寺の末寺で養老五年(722)に行基菩薩によって創建された寺です。菅原寺ともよばれています。聖武天皇がご参詣になられた時に 不思議な光明が放たれていることで 喜光寺 と改められました。 北側近くに 菅原神社があります。

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    「子供のための大和伝説」から 「蟻通明神」 吉野郡東吉野村の小村というところに、丹生川上神社の中社があります。もとの名を蟻通明神といって、こんな伝説があります。 むかし、曲がりくねった細い穴いのある七つの王を造って、これにひもを通してくれと申しこんできました。 わが国では、いろいろ相談しましたが、... 続きをみる

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    仏足石 外部資料 仏足石歌碑拓本 薬師寺の仏足石には、後方の粘板岩に宗教歌が万葉仮名で陰刻されている。 五 七 五 七 七 七の形をとる歌体を仏足石歌体というのは ここに由来する。 みあとつくるいしのひびき あめにいたりつちさえゆすれ ちちははがためにもろひとのために 足跡に託す仏教徒たちの思いが... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    「子供のための大和伝説」から 「投げ地蔵」 むかし 役の行者が大峰山を開かれた時に、金峰山にこもって、末世の衆生を利益する尊像を作りたいと三世諸仏に祈願されますと、満願の日にお地蔵さんが出現されました。ところが、役の行者は、こんな柔和忍辱の相といって、やさしい顔や姿では、末世の衆世を彩度できない(... 続きをみる

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    仏足石 仏足石は日本にも将来され そのなかでも天平勝宝元年(749年)と記された薬師寺のものが最も古く有名である。いい伝えによると、この仏足石は唐の貞観年間(627~649)に王玄策がマガダ国のパータリプトラに赴いて仏の足跡の図様をうつしとったものを長安に持ちかえり、それを日本から入唐した黄書本実... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「金峯山上本堂の鐘」  金峯山上の鐘は、もと鐘掛岩という絶壁にかかっていたのだといいます。この鐘が鐘掛岩へきたことについて、次のような伝説が伝わっています。 むかし遠州佐野郡田村(愛知県)に長福寺という寺がありました。その門番をしていた山伏が役行者の熱心な信者でした。... 続きをみる

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    仏足石 外部資料 東南アジアの仏教徒の間には、仏足石の崇拝は今なお盛んに行なわれている。 仏足石には、三十二相という、仏や転輪聖王(てんりんせいおう)にみられるとされる古代インド人が考えたすぐれた身体的特徴のいくつかが現れている。まず、千輻輪(せんふくりん)相といって、中心に千の車輻のある車輪の模... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「百貝岳と餅飯殿町」 吉野山の南方八㌔、百貝岳の中腹、黒滝村鳥住に、大峰山を中興した理源大師の開かれた鳳閣寺(ほうがくじ)という真言宗のお寺があります。 役行者が大峰山上ヶ岳を開かれてから、二百年ほどたった時、山中の滝に大蛇が住んで人に危害を加えますので、大峰へ登山す... 続きをみる

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    仏足石 仏足石のような 足跡に対する信仰は、仏教独自のものとはいえない。聖者や神格の足跡に対する崇拝はインドでは仏教以前から存在する。ヴェーダ聖典においてヴィシュヌ神は、三歩で天空地を闊歩するというので、その足跡は特別の意味が付されてきたし、シヴァ神の連れる神牛ナンディンの足跡の崇拝が行なわれたこ... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「花供戦法」 桓武天皇が長岡の宮で御病気になられなした時、吉野山の宝塔院の高算上人をお召しになって、御病気平癒のお祈りを命ぜられました。 上人は急いで都にのぼり、お加持をいたしますと、さしものご病気もたちまち平癒せられました。天皇はたいへん喜ばれて、上人に、 「何なり... 続きをみる

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    仏足石 仏塔を装飾美化することからいわゆる仏教美術が芽生えてきたと考えられる。パールフトやサーンチーにみられる欄楯や門の浮き彫りのなかに、仏陀にまつわるジャータカや仏伝などのエピソードが描かれている。 それは 菩提樹 仏陀が坐した台座 輪宝 笠蓋 足跡が仏陀自身を暗示するものとして描かれている。仏... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「蛙飛び行事の由来」 白河天皇の延久年間のことだといいますが、吉野の金峯山へ参詣する山伏姿の修験者のなかに、平生から神仏をあなどり、人の苦しみを見て喜ぶつまらぬ男がありました。 「行者とおれと、どちらが尊いか、悪いことしつづけたおれが、この山上へきても何のさわりもない... 続きをみる

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    仏足石 仏塔です 釈迦が入滅したとき、あとに残された仏教徒たちの動揺は相当なもであった。彼らの疑問にたちどころに答えてくれる師はもはやいないし、なによりも精神的支柱がなくなってしまった不安は大きかったことであろう。そこで釈迦に代わる崇拝の対象がほしかったと考えられる。その対象としてもっとも代表的な... 続きをみる

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    「子供のための大和伝説」から 「鳥栖地蔵」 吉野郡黒滝村鳥住峠の頂上、堀割の北側に、南面してお地蔵さんをまつった小さいお堂があります。この本尊は弘法大師が三国の土を集めて作ったというありがたい像で、次のような物語りがあります。 鎌倉時代の末、正応年間洞川村に皿屋佐平次という人が、夫婦仲もむつまじく... 続きをみる

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  • 薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

    薬師寺 仏足石 外部資料 仏足石は釈迦を亡した後 仏陀を慕う仏教徒たちによって崇拝と礼拝の対象として制作されたもである 薬師寺 大講堂にある仏足石は現存するなかで最も古いものといわれています。

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