「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和の伝説」から
「宝蔵院流の槍と俊寛塚」

今の奈良の国立博物館の西方に、むかし、興福寺の一院である宝臓院というお寺がありました。ここの胤栄(いんえい)という人は、坊さんであるが槍の術を好み、武士四十人あまりと勝負をして、勝ちぬこうとしましたが、目的は達せられませんでした。
ところが、ある年、春日明神が夢に現われ、馨と鎌槍と地蔵仏の三つを与えられました。それから胤栄は、猿沢池にうつる月の影を突いて練習し、ついに宝蔵院流の槍術を感得したといいます。
奈良菩提町の旧石崎文庫の庭に、この胤栄法師が鎌槍の練習をしたという麻利支天(まりしてん)の石という大きな石があります。ここも元は興福寺の子院の成身院で、そ僧兵の棟領の寺でした。それで、むかし、宝蔵院にあったこの石を成身院へ移したのでしょう。


この旧石崎文庫を出て、少し東へ行った所に俊寛塚があります。むかしは、ここに石塔がありましたが、今はなくなっていて標木だけ立っています。
俊寛は有王丸の計(はか)らいで、鬼界ヶ島(きかいがしま)をひそかに逃がれ、奈良の正倉院にかくれたといわれています。
また、俊寛の娘は奈良の叔母のもとに忍んでいましたが、父の霊をなぐさめるために、尼になったとも伝えています。
奈良には、このほかにも俊寛に関する伝説が残っていて、本薬師町(ほんやくしちょう)に「俊寛田」とよばれている田があるが、荒地のままに残っています。なお、教育大学のあたりに鬼界ヶ島と呼ばれるところがあったともいいます。

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