「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「花供戦法」

桓武天皇が長岡の宮で御病気になられなした時、吉野山の宝塔院の高算上人をお召しになって、御病気平癒のお祈りを命ぜられました。
上人は急いで都にのぼり、お加持をいたしますと、さしものご病気もたちまち平癒せられました。天皇はたいへん喜ばれて、上人に、
「何なりと望むことがあれば、はばかるところなく申せ」
と仰せ羅レました。
上人は感涙にむせびつつ...、
「衣をまとう僧の身、何の望みがございましょう。ただ吉野山は歴代天皇祈とうのお寺で、
満山、桜で埋もれておりますが、この桜は蔵王権現の神木として、毎年花の神さまを供養するお金がありません。つきまして日本中の民より、一畝(約1アール)につき一穂の米の貴舎をお願いいたしとうございます」
と申し上げると、天皇はすぐこれをお許しになりました。
それから、吉野山の金峯山寺は全国の末寺に命令を下して、貴舎を集めることになりました。しかし貴舎を集める方法はほかとちがって、ただ民家の門口に立って、声高に「吉野山花供養」と呼ぶだけでした。
私の母はいあまいたら百五歳ぐらいですが、子供の時は、毎年吉野山からきて、門口で、「吉野山花くせん」というだけで、お米をあげたのだということでした。
むかしの金峯山寺には全国に十万の末寺と、百万の修験者がいたので、これらの人々で集められたお米で餅をつかれました。それが千本ぎねいって、たくさんの棒のきねでついたのだそうです。
今も四月十日に桜本坊で千本ねぎが行なわれ、十一日には花供養の法会が盛大におこなわれます。

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