「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

奈良町と 明治維新

奈良町の人々は喜びあったが、徳川幕府がたおれ 明治政権の誕生となり、五箇条のご晢文が作成され、鎖国を解き旧来の陋習をやぶり、欧米の文化を採り入れ、富国強兵・文明開化を目標に日進月歩くと外国に追いつけ、追い越せと、突進また突進し、社会も政治も大きく変化した。衣服は和服から洋服、髪も断髪、ダンスの流行といった鹿鳴館時代をつくりあげる一方、神仏の分離・廃仏毀釈によって、一体化されていた神と仏とは別にし、神宮寺その他、神社にあった仏具・経文・僧侶の参集物は廃され、興福寺の僧侶は還俗し、あるいは神官となり、塔頭は空屋となるばかりか、こぼれたると言う始末、今まで手を合わせて拝していた仏像も風呂場のたき物となり、古文書は包み紙あるいはコタツのハリ紙とされ、興福寺も一時廃寺となり、眉間も廃寺、興福寺の建物は新たに生まれた奈良県の庁舎となるという状態となり、人口も減少の一途をたどった。
元興寺も平重衛の焼打後は復興ならず、わずかに奈良時代智光の描いた浄土曼荼羅を中心として庶民の信仰を集めたが、宝徳の大火に重要伽藍は焼失し、極楽坊と五重塔と観音堂を残すのみとなった。残った五重塔も文政六年(1823)の火災で焼け、東大寺の末寺となる荒れ方であり、紀寺も璉城寺と変わってしまった。

■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■Tel:0742-43-8152
■✉:honcafeunon.nara,nisinokyo@gmail.com
■https://sites.googlr.com/view/yakusijiunion

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