「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

松永久秀 と 豊臣秀吉 と奈良町

戦国時代、松永久秀がふたたび東大寺大仏殿に陣取った三好氏と戦い、大仏殿を焼いた。それ以来大仏さまは百四十年間露坐となっていたのである。なお、そのうえ奈良に大きな打撃を与えたのは、天下を統一した豊臣秀吉であった。
大阪城を築いた秀吉は、この城を関東の豪族から守るため、郡山城に弟秀長を百万石の大名として任じ、奈良の商人を郡山に移して城下町を造成した。現在、大和郡山市には、奈良口
材木町 傘屋町 塩町 紺屋町 豆腐町 鍛冶屋町 といった当時の町名をのこしている。
そればかりではなく、全国の土地を検査し、いままで寺領となっていた土地を取上げたのである。一番打撃をうけたのは興福寺と春日神社であろう。鎌倉時代に大和一円(吉野を除く)はじめ各地に寺領を持っていたのを取上げたのである。大和一円の主として君臨していた興福寺の寺領をわずか一万余石に減じ、奈良奉行所をおいて東大寺 元興寺 その他の寺々をその支配下においたことであり、秀吉の後をつおいだ徳川幕府もこれにならったからである。

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