「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

高森重蔵

何でも明治維新前の人らしい。その人は高森重藏と呼ばれていたが、その出生地も本名もわからない。何か都合があってかくしていたものらしく、高森(地名)の巽屋(屋号)に住まわせてもらっていた。木挽き(木材を大鋸で切ること)が本職だったらしいが、動作に隙がなく剣術のたしなみもあったようだ。というのは、木挽き仲間の一人がいたずらに昼寝をしている重藏の顔の上へ、ぼくっとう(棒)をいきなり振りおろしたら、ムクッと起きあがった重藏は、サッとその棒をつかんで、ものすごい力で仲間を引き寄せてしまったという。
まだ、新宮に殿様がいたころ、重藏はたまたま鉄砲の練習をしている侍たちにいきあわせた。侍たちの稽古があまりにもおしかったのでカラカラ笑ってしまった。笑っただけでなしに、
「あれで的にあたるのかよ。あれでは役にたたんぜよ」
と、聞こえよがしに言ってしまった。これを聞いた侍たちは青筋をたてて怒り、殿様の前にひきずり出した。
「そちは、なにゆえにあのようにあざけったのじゃ。わけを申せ。」
と、殿様。
殿様の前に出ると、ちょっとは遠慮したもののい言い方でもするのか、と思ったらそうではなかった。
「わしはおかしかったら笑うたんじゃ、あんなぶざまなかっこうでは的に当たりゃせん。体が泳いでしもうとる・・・。」
「そうか、そうか。そちの言うことはもっともかもしれん。では、腰をしっかりすえて的をねらわせるとことにしよう・・・。的はおぬしにする。よいか。」



そういって。殿様は意地悪く笑った。
「元はと言えば、わしが播いた種。喜んで的になりましょう。しかし、今というわけには参りません。わしは十津川郷は高森の住人、重藏と申す者。三日の猶予をくだされ。連れ合いも子供もないが、隣近所の親しい者と、せめて別れの杯でも交わしてきたい。」
「十津川郷は猪や猿の棲まう奥深い山の中、お主が逃げ込むには、まことに都合の良い所じゃ。」
「めっそうもない。わしは嘘はいわん。恥となることは断じてやらん。」
重藏が大声で呼ばわるので、殿様はしばらく黙って重藏の顔をしげしげとながめていた。
しばらくして、
「的になるに、武器はいらぬか。」と、
たずねた。
「武器・・・。お殿様、お情けを下さるのですか・・・。ならば、槍をお貸し下さい。先は要りません。石突がついておるだけで結構です。」
重藏の堂々とした態度に、
「さすが十津川の郷士だけある。石突だけの槍を与えよう。しかし、後悔するのではないか。」
けらいが先のない槍をもってきた。重藏はそれをもらい受け、風のように高森へ戻った。
高森に戻った重藏は、心配気に取り囲む村人たちを尻目に、石突きを丁寧に研きたてた。
三日後に重藏はそれをもって新宮の射場に向ったのであった。
射場の東側に立った重藏は、鉄砲がまさに火を吹くという寸前に、持っていた槍の石突きを西日に反射させて、射手の目をくらませてしまった。いずれの弾も当たらず、鉄砲が鳴り終わったとたん相手の懐に飛び込み、鉄砲を叩き落としたという。重藏の知恵とその豪胆さに殿様は、大層感心されて、許したのである。
さて、その頃、十津川郷では、郷寄りという会合があった。十津川郷内の代表者が川津(地名)に集まったのである。
このとき猿飼い(高森は小字)の森定蔵(屋号北村)が庄屋をしていて、重藏を供にして川津へ出掛けたのである。
ここで郷寄りをしている最中、数人の浪人が剣道の試合を申し込んできた。ところが、代表者たちの中には、あいにく腕のたつ者がいなかった。どうしたものかと思案していると、森定蔵が、
「わしの供として連れてきた高森重藏と申す者だが・・・この者にそなたたちのお相手をさせよう」
と、言った。
供の者が相手とは・・・。少々不満足な顔付きであったが、定蔵は、浪人たちにおかまいなく、重藏を呼びにやった。重藏は、谷川から水を桶で汲み上げていた。浪人の相手をせよ、と言われた重藏は、水汲みのおうこ(天秤棒)で立ちむかった。たちまち浪人たちを打ちすえて、また、何事もならなかったように、水汲みに精を出していたという。
供の男でもこれほど強いのであるから、これから十津川郷中奥深く入っていけば、さぞかし強い者がいるにちがいない、と考えた浪人たちは、ほうほうの体で逃げ帰ったということである。

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