「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「今井堂」



源頼朝と一戦をまじえてやぶれた木曽義仲(きそよしなか)は家臣・今井四郎兼平(いまいしろうかねひら)と共に、信楽・名張をへて、大和の田原郷隈笠(ひがさ)(今の奈良市日笠)にのがれ、ここに身をかくしていました。
頼朝におわれた義経が、奈良の興福寺へ行く途中、ここを通ったので、兼平は義経を討とうとしましたが、討つことができませんでした。
その後、頼朝が大仏殿にまいると聞き、兼平は興福寺のさむらいである衆徒の姿にかえて、一矢をはなち」ましたが、これもだめでした。
それでついに仏門にり、名を義兼法師(ぎけんほうし)とあらため六十四歳でこの世を去ったといいます。その、父、兼平のために七重の石塔をたて、義仲の霊と共に兼平の霊をまつったのが、今井堂であるということです。
また、今井兼平がここへ逃げてきた時、鏃で何か書きつけておいたという、石の手水鉢が苔むして今もあります。
また、兼平は巻物を持っていたが、それを、民家へ預けておいたそうです。しかし、それは、後に火事があって焼けてしまったそうです。
この今井堂から五百㍍ばかり東北に、義経の馬乗石というのがあります。馬のひづめがついているのだそうです。そのかたわらには、きれいな水が流れています。義経がここまで追うてきて兼平を見失い、馬に水を飲ませて、また馬に乗ったところだといいます。

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