「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和の伝説」から
「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)とおふじの井戸」

柳生の殿様、柳生宗矩が、柳生藩の中にあった興福庵という小寺へまいった時でした。
ふいに一匹のネズミが宗矩の前にあらわれました。宗矩はすかさず鉄扇で打ちたたいたので、ネズミはそのまま影をかくしてしまいました。その翌朝になって見ると、なま血のしたたりが、伊賀街道につづいていました。
そのころ、柳生藩と伊賀の国とは境界のことで、いつも小さい争いがたえませんでした。
このネズミというのが、伊賀の忍術者であることを宗矩は見ぬいていたからだといいます。
そんなことがあってから、伊賀の関所では、柳生の者といえば、町人百姓にいたるまで、その調べが厳重になったといわれています。


その柳生の殿様、柳生但馬守宗矩が、ある日、柳生からむかしの柳生街道を通って、奈良へ行こうと思って、馬に乗って坂原という所を通りました。
村の娘のおふじという者が、井戸ばたで洗たくをしていましたので、宗矩はいきなり馬をとどめて、
「これ娘、お前はいま洗たくをしているが、そこの波の数はいくつあるか」
と出しぬけにおたずねなりました。おふじはすかさず、
「ハイ、二十一波でございます」と答えておいて、すぐ
「殿様、柳生からここまで、馬の足跡は、いくつほどございました。」
と聞きかえした。もちろん、殿様はグッとつまってしまいました。そして、大そうその娘の才気に感心し、お側に召し入れることにして、馬の尻に乗せて柳生へ帰ってしまいました。
おふじが洗たくしていた所は、おふじの井といって、今も奈良市坂原に残っています。
おふじはそれから柳生の殿様の妻になり、一人の子を産みましたが、この子がおおきくなり、柳生氏の菩提所の芳徳寺第一世の列堂和尚という、えらい坊さんになりました。

×

非ログインユーザーとして返信する