「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞いのの歴史
一般に稲作に必要な雨の量は2000㎜と云われる。一方古代、大和は他の地方よりも早くから展け東洋では中国西安の都について多くの人口をかかえていた。「奈良の都」は五穀の一大消費地でもあった。しかし、栗や稗 稲作に必要な雨の量は決して満足出来るものではなく、多くの池が掘られ垂仁天皇35年 履中天皇4年には長い溝も造られ灌漑用水の確保に務められた。更に旱魃の年は一辺が1㍍四方位いの「かくし井戸」さえ掘られ涙ぐましい努力と自己防衛に励まされた。以上のことは浅い山からの河川水は渇水し易く皿池は底が浅く農家の人達の心痛は想像を絶するものがあった。この様な状況の下では神仏に頼む他はなく祈りを捧げ甘雨慈雨の恵みを願った。個人で、少人数で、字や御中仲間が相寄り、更に多くの人達が様々ま手法を講じて神や仏に詣った。天皇自から足を運んだ例もある。

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