#正倉院の概要 ②
外部資料
勅封と曝涼 宝庫がいつから勅封となたかは詳かではないが、宝庫の開閉は当初から頗る厳重であって、勅許を必要どし、事実は勅封である。
都が平安京に遷る頃から宝庫の曝涼と開検、つまり通風と点検が始められたが、その都度勅使が立てられている。
宝庫の品々は櫃に納めて伝世せられ、曝涼 開検 出蔵などの外は開かれることはなかったが、平安時代の末頃から上皇をはじめ貴顯の御覧、拝観があるようになり、近世に至って文運の進むに伴って調査や整理が行われ、次第に正倉院の価値が喧伝された。
ついに明治15年庫内に棚を設けて今の姿の陳列を行い、翌年、毎年曝涼の制を立て、また資格を定めて就いて見せしめ爾来に至っている。
宝物 衣類 食器類 調度の類 楽器 仏具 文具類 武器の類 その他に類別できる。
補遣
校倉 アゼクラ
聖語蔵 ショウゴゾウ
宝庫の南方約50mと位置にある一辺5m位の正方形の校倉で平安時代の建築
現在は多くの経巻を収納してある。
新宝庫 昭和28年に宝庫の南東方30m位の所へ新たに建てられた鉄筋コンクリートの
もの
仮宝庫 宝庫の南西約30mの所にある板倉
大正初期の建物
唐びつ 唐櫃 辛櫃 韓櫃 などと書き いずれも カラビッと読む。
杉 檜材の白木の箱で冠せ蓋がついている。天平時代のものやもっと新しいもの
がある。脚のあるもの ないものがあり ないものを和櫃(わびつ)とよぶことも
ある。
明治以降正倉院の宝物の調査の資料からです。
後世に遺された宝物を我々が目に出来ることは 幸わいと思います。
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