「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

#大和売薬

外部資料

-大和の売薬は富山県とならんで名高い。古くから「陀羅尼助」(だらにすけ)「豊心丹」(ほうしんたん)「真土膏」(まつちこう)などが知られているが、これは薬草栽培が盛んだったためである。
大和では18世紀ごろ御所を中心に売薬業が成立したといわれている。文政年間(1818~30)に畿内での行商がはじまり、各家庭での行商がはじまり、各家庭をまわって薬を置き、半年から一年後に使用分の代価を集める、いわゆる配置売薬として発展していった。
ところが、文明開化の方針をとった明治政府は洋式医療を尊重し、売薬の良さを認めようとせず、明治16年(1883)から印紙税をとって圧迫を加えた。しかし、医院や薬局に通い各地の農山村に需要が多く、政府の抑圧にもかかわらず販路はのびた。
御所とならんで高取近辺でも薬の製造販路が盛んになった。
明治27年 大和製薬会社が設立され会社組織が生まれた。40年代に入ると生産工程に機械を導入する事業も現れた。明治末期には紡績と肩をならべる奈良の需要な産業に成長している。
明治42年、政府はそれまでの売薬に対する方針をあらため、その有効性を認めるようになった。

■住所630-8053奈良県奈良市七条1丁目11‐14
■℡0742‐43‐8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

#奈良漆器

 

外部資料
大和の工芸品のなかで奈良漆器の歴史は新しく明治20年代に入ってからである。
第一次奈良良博覧会に出品された正倉院宝物の精妙さに着目した奈良博覧会社では、県内の漆工 金工 木地師 彫刻家を集めて宝物の摸造・模写事業をおこした。
作家たちの技術を高め、伝統工芸の販路に乗せて商工業の振興をはかろうというねらいからであった。
明治21年(1888)京都で開かれた関西府県連合共進会に漆工品を出品したところ好評を得ることができた。これに力を得た奈良博覧会社は同年 温古社(おんこしゃ)と名付けた工房を設置し、正倉院宝物をまねた漆工品を生産しはじめた。
温古社の作品は、木地は檜の古材をを使い 形態や模様 飾金具は正倉院宝物を摸造し、その上に、漆塗りの段階で古色をつけたものであった。こうして生まれた製品は「奈良漆器」の名で売り出された。



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#筆と墨

大和の伝統工芸品の「筆と墨」

外部資料
社寺を中心に栄えた大和では、古くから筆や墨がつくられ、江戸時代になると特産品として全国にその名を知られるようになった。社寺参拝のために大和を訪れた人々が、みやげものとしてもとめ各地に広まったと思われる。
明治になってペン インクが入ってきたが 学校教育に習字が取り入れられることは新しい需要になった。
幕末に筆作りの名人 川勝亀藏(かわかつかめぞう)は、東京上野で開かれた 第一回内国勧業博覧会に 筆を出品し褒章を受けた。奈良毫筆協和会が設立され 筆の製造 販売にたずさわる人と人の組織が出来 奈良は筆つくりをリードしていくことになった。


墨は製墨業者44人は同は明治13年 永香組(えいこうぐみ)をつくった。このころ新しく開業する者がふえ 粗悪品が目立ち品質を守るために 奈良製墨業組合をつくりすべての製墨業者を加入させ品質保持のきまりをもうけた。
こうした努力が積み重なり奈良の墨の伝統は引き継がれてきている。

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薬師寺近くの うのん から 神無月のお知らせ

今月お薦めの本


花の名所
バラ   霊山寺 松尾寺


コスモス 喜光寺 正暦寺 般若寺


萩    新薬師寺 百毫寺 元興寺 唐招提寺 円成寺                      
     般若寺 薬師寺 西大寺 秋篠寺 


ススキ  奈良公園 佐保路 正暦寺 曽爾高原


紅葉   正暦寺 滝坂道 長谷寺 栄山寺 大沢寺 竜田大社 竜田川
     みたらい渓谷 信貴山朝護孫子寺 鳥見公園


紅葉   大台ケ原 伯母峰 大又渓谷 円生川上神社


大まかな 傾向です


今月のお休み予定
3日(月)4日(火)
10日(月)11日(火)
16日(日)17日(月)18日(火)
24日(月)25日(火)26日(水)(パーソナルカラー講座のため)
31日(月)

#奈良公園と鹿


外部資料


奈良公園を歩いてみると、樹林が密生しているところも、比較的遠くまで見通しがきくことに気がつく。下層の植物や樹木の下の方の枝がすっきりとないのである。だいたい2メートルぐらいまではきれいに刈りとられているが、これは鹿の仕業である。Dear Line (鹿摂食線)というそうでる。奈良公園のように密度が高く鹿がいないと このような景観は生まれない。
鹿たちがいなければ、 広大な奈良公園の芝生の手入れに莫大な費用がかかる。
また、鹿が食べない繁茂している馬酔木のような樹木もあるが 奈良公園と鹿の関係は切り離せないものである。

 

外部資料



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