「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

コロナ時間が多くなっていませんか?
皆様方におきましては ご自愛くださいませ。
「てんりのむかしばなし」から
「九頭神社の鎮守の森」

天理市の芦原町の氏神様は、九頭神社(くずじんじゃ)といいます。そのお宮に伝わる話です。
山深いこのお宮の森は、鳩の声が聞こえ、雉のきわだった声も、静かな山にひびき、山兎、りす、むささび、そしてふくろう等、沢山の動物も住んでいます。
この鎮守の森に住んでいる動物をとると、大変な事がおこるから絶対にとってはいけないと、昔から言い伝えられていました。
「神社のあたりに住みついている動物をいためると、神の罰があたる」という事で恐れて、誰も言い伝え通り猟をする者はいませんでした。
しかし本当にそんな事があるのだろうか、もし猟をしたら、どんな異変がおこるのだろう。と、言い伝えを不審に思った狩人が明治の初期に鉄砲を持ち、まだ夜の明けない暗いうちに、この森へ入っていきました。
明るくなって動物が出てくれば自分の腕の見せどころ。一発のもとに獲物を撃ってやろうと、鉄砲をかまえて持っていました。
いくら持っても夜があけないのです。何時間待ったのでしょう。真っ暗なので仕方なく猟師は社の松並木のあたりへ出て来ますと、白い着物を着て冠をかぶった人が、白馬にまたがり社の方からこちらへ向かって来られるではありませんか。猟師は真っ暗だった森の中に、一瞬、光のさすような神々しい白衣の姿に自分の眼をうたがい、「ハッ」として立ちすくんでしまいました。「一体今見えたものは何であろう。神というものだろうか」と、じっと眼をすえて見つめていると、その白衣の姿はだんだん薄くなり、そのうちにあとかたもなく森の中に消えてしまいました。途端にあたりが明るくなり、もう正午近くを示す太陽が高く頭上

に輝いておりました。猟師は目がくらむような気持でその太陽を仰ぎ、真っ暗だった森の中を見まわしました。そして思ったのです。「私が猟をしようと思ったために、目が見えなくなり、何時までも暗かったのだろう。鎮守の森は神がお守りになっている。私は大それた事をする処だった。神の森をけがそうとしたのは申しない事であった。よくまあ眼がつぶれなかった事よ」と、神社におまいりをしておわびをし、二度とこの森では猟をしない事をちかいました。それからはこの森に銃を持って行く人は無く、言い伝えが守られ、今でも鳥の声が優しく森の中から聞こえてくるのです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

明日から三度目の緊急事態宣言 日々行動が難しい時間に ご覧頂ければ幸いです。
「てんりのむかしばなし」から
「かみなりごろ吉」

むかし、むかし、或る晴れた日に雷の子ども達が曇の上で、竹とんぼを飛ばして楽しく遊んで遊んでいました。雷の子ども達は、父親から人間の子は竹馬というのに竹馬というのに乗って遊ぶことを聞いて、曇の上から下界をのぞいて見ました。曇から落ちないように、うしろをつかんで、かわりばんこに下界をぞいていているうちに、曇からあまり身をのり出して下をのぞいたので、とうとう地上へ落ちてしまいました。
天から落ちてしまった雷の子どもは、天王神社の〆縄にひっかり、宙ぶらりになり苦しんでいました。もがけばもがく程、からみついて〆縄はきつくしまっていきます。「助けて、助けて・・・・」声も次第にとぎれになりました。
そこへ芦原城の殿様が大勢の家来を連れて通りかかり、「あれなる声の主は何者であるか」と、供にきかれました。「見た事のない姿をしています。危険ですから近寄らない方がよろしいかと存じます。」
「なるほど不思議なかっこうをしているから助けてやろう。見捨てるわけにゆかぬ」と、家来に命じ、〆縄を解いて助けてやりました。「お前は一体何者だ」「は、はい、雷の子、ゴロ吉といいます。この村の上の雲の仲に住んでるんです」「ああ、雷の子どもか。雷の姿を見たのは初めてじゃ」「雷の子どもは助けてもらって、何ども両手をついてお礼を言いました。」
長い間もがいて疲れがひどいので、お城へ連れて帰りおやつを与え、休ませてやりました。
一方、曇の上では上を下への大騒ぎ。一策を講じ、大きな雷の音を出して地上の者をこわがらせて、子どもを助けようと、雷の父親が大雷光と共に地上へおりました。お城の門前で、「子どもを返してくれないと、この村を雷攻めにするぞ」と、どなりました。

殿様は「お前も子どもが可愛いのか。へそを取られた人間の子の親の気持もわかるだろう」「いや、へそはわしらの大好物だ」「何と大好物じゃと。へそを取られた女の子は嫁にも行けず、どんな思いをしているかよく考えてみるがよい。二度とこの村へはへそを取りにこない事を約束するならば、子どもを返そう」は、はい、わしも子の親、固く固く約束を守ります」奥で寝かせてあったゴロ吉の手をとり、雷の親子は喜んで雲の上へ帰りました。殿様との約束を守り、それ以来、雷が落ちなくなりました。「雷の落ちない村」これは今の天理市吉原町に伝わる話です。

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日々コロナの感染者が増え厳しい状況が伝えられています。
そんな時 当店で所蔵のむかし話でひと息していただいたら幸いです
「てんりのむかしばなし」から
「天武帝の笏指池」

今から約千三百年ほど昔、天武天皇が伊勢神宮にお参りのために福住を通って行かれました。峠を越えて、なだらかな道をしばらく行くと、山すところにいだかれて清らかな水をなみなみとたたえた美しい池が目の前に広がっているではありませんか。
天皇さなは、おもわず笏をもって池をおさしになり、「何と美しい水じゃ」と、しばらく感じいたれたようすでした。さっそくおともの者が清らかな水をくんで天皇にさしあげました。
こうしたことから、この池を笏指池といい、池の在る所を皇奉下(福住町南田字コホシタ・・・コホンダ)と呼ぶことになったそうです。村人たちの間では、シャクシャクと呼び伝えられています。

その後、池は堤を残して五分の一ほどに小さくなり、一面に水草がおいしげって、見るかげなくなりました。また、泥が深まって底なし池とも言われ、ここにはまると奈良の猿沢池に出るという話です。
天皇の通られた道も、いまではきれぎれになって、お百姓のほかは通る人もないありさまですが、昔は池のほとりで、花火の打ちあげもあったそうです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」から
「弁天地蔵」

天理市の市街地から東へ山を越えていく奥深くに山田という静かな山村があります。そこの永楽寺といお寺から田んぼづたいの小道を200メートルばかり登っていくと、清らかなせせらぎと小鳥の鳴き声がこだまする静かな山は、とてもすがすがしく思われ、そこの暗い谷間にそった小道にまつわれている地蔵さんにまつわるお話です。
その昔、子供がこの地蔵の前で小さな鏡を拾いました。鏡は土で汚れていて子供の顔は映りませんでした。すると、とても美しくきれいに映りました。「わたしの顔はこんなに美しいのやろか」と子供はうれしくなって地蔵さんに聞いてみました。地蔵さんは「今、あなたは鏡を洗ったでしょう。だから美しく映ったのですよ」と、申されました。子供は喜んで地蔵さんおのお顔を映したり、自分の顔を映したり、目を上げたり、下げたりして遊んでいました。間もなく子供のお母さんが心配して呼びにきました。
お母さんは子供が地蔵さんに悪いことをしてはいけないと思ったのでしょう、「こんなところで遊んだりしたらあかんで、お地蔵さんがおこらはるで、はようその鏡をここへ返しとき」と、連れて帰りました。
二、三日して子供は、あの美しい鏡のことを思い出し欲しくて欲しくてたまらなくなりました。とうとう熱をだして病気になってしまいました。お母さんが心配してきっと地蔵さんのところでいたづらをしたばちがあたったのではないかと、お地蔵さまにおわびのおまいりをしました。

すると、その夜お母さんの枕元にきれいな美しい弁天さんが現れて「わたしは、子供が大好きなのです。わたしの大切な鏡を与えたら子供と仲よく出来ると思っていたのです。あなたは連れて帰ってしまいましたね。わたしはとても寂しいのです。」と、おちげになりました。お母さんはびっくりしました。そして子供を連れてお地蔵様のところへ行きました。鏡はもうありませんでした。でも子供はすっかり元気になって地蔵様と遊びました。
それから村の人はこの地蔵さんを弁天地蔵さんと呼び、一そう親しく思うようになりました。
前の小川で手を洗うと手がきれいになり、顔を洗うと顔がきれいになると誰言うとなく言うようになりました。弁天地蔵様はこうして村人と仲よくしながら見守ってくれているのです。
今もなお清水垣内では弁天講があり、おまつりをしてお供えを絶やしません。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

今日もコロナウイルス感染者数 更新 
外で活動も制限 
そんな時間に 当店で所蔵しております
本 その中で 奈良の民話を紹介しています。
今日からは 「てんりの むかしばなし」です

「金竜寺の観音さま」
天理市の山田の村里離れた山奥に、梨の木谷という、深い谷があります。
昔この谷にささやかなお堂がありました。そのお堂には、山の人びとの安全を守ってもらうため、観音さまがおまつりしてありました。
ある日、一人の狩人が大雪の日にここで、一匹の男鹿を討ちとりました。このえものを持って山を下ろうとしましたが、大雪のために道もわかりません。とほうにくれた狩人はその鹿を夕食にして、お堂で夜を明かそうと泊り込みました。すると夜中におなかが大変痛くなり、とても苦しんでおりますと、観音さまが現れて、「私のかわいがっていた鹿を殺して食べてしまったために、それほど苦しまなければならないのじゃ」と、いわれました。
狩人は「もうこれからは決して殺生はいたしません。申しわけない事をいたしました。どうぞお許し下さいませ」と、観音さまにお誓いしました。すると観音さまのお姿は、ずうっと頭の上から消えてしまいました。そしてあれほど苦しんだおなかもすっかりよくなり、無事家に帰る事が出来ました。この事があってから、この狩人は、その観音さまを信仰し、朝夕お祈りする様になりました。
ある日、また観音さまがお姿を現わして、「おそろしや、梨の木谷の夜ふけて、梢にさけぶ声は何鳥」とうたわれ、わたしを高山へ連れていってほしいとお告げになりました。それでこの男は、観音さまを背負って、隣村の馬場の高山へ、お移ししました。
そこは、今の山辺郡都祁村大字馬場の高山という所で、高い所に金竜寺というお寺があり、高さ五十センチに満たない小さな木彫の観音菩薩がまつられています。これがこの梨の木谷からこられた観音さまだと言われております。千三百年も昔の、飛鳥時代の作だそうです。狩人をしていた男の人が、背負ってきた観音さまにはこのようないわれがあります。