「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

今日の薬師寺です
桜の季節はとても楽しくなる季節
秋篠川からの眺めです。

そして花会式のためでしょうか 門が開いています


「吉野の民話」から
「砂まきダヌキ」
昔は、家の周りにもタヌキやキツネがいっぱい住んでいました。タヌキには、しっぽの白いタヌキと茶色いタヌキがいましたが、尻尾の先が白くなると、人をだますことができるようになると言われています。だから、昔から、尻尾の白いタヌキには気をつけるように、よく言われてきました。
ある日、となり村の矢平さんの家でお祝いごとがあって、遅くなった吾作さん、お酒をいただいて、しごくご機嫌な様子で帰ってまいりました。ちょうど、村はずれの大きな一本松の下を通りかかったとき、遠くで、サラサラ、サラサラと、まるで、風が吹いて松の枝や葉っぱの先が触れ合うような音がします。やがて、吾平さんの頭のうえにその音がきたとき、吾作さんが気がつきました。
「なんだ、これは、砂じゃないか。」
そうです。だれかが、吾作さんの頭のうえで砂をまいているのです。
「だれだ、こんないたずらをするのは。」
吾作さんは、大きな声でさけびましたが、返事がありません。木のうえをのぞいてみてもだれもいません。
「おかしいな。」
そうつぶやきながら、しばらく行くと、また、大きな松の木の間から、サラサラ、サラサラと砂がまかれてきました。
「こいつは、砂まきダヌキのいたずらだな。」
吾作さんは、やっとタヌキのしわざだと気づきました。
吾作さんはやっとの思いで逃げ帰り、家の前で砂をはらおうとしました。
しかし、体のどこにも砂らしいものはついていませんでした。きっと、どこかで白い尻尾のタヌキに出会ったのでしょう。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

少しブログ休みました。また今日からです。
今日からは 当店で所蔵している 本の中から奈良 吉野の民話を紹介します。
その前に、

昨日の大池(勝間田池)からの眺めです。薬師寺双塔 その間に東大寺大仏殿 さらに微かに興福寺の五重の塔 も見るコトが出来ます。

少々古い本ですが 充実した内容です。

私の個人的な桜の標準木です。大池の向かえです。もう満開です。


「吉野の民話」から
「キツネにだまされた魚屋さん」
今から七十年ぐらい前の話です。行商の魚屋さんが、魚を荷車につんで、なだらかな坂を登っていました。途中、不動坂というたいへん急な坂にさしかかりましたので、そこに荷車をとめてひと休みしました。
そこへ、見知らぬ人があらわれて、
「おっちゃん、もし、よかったら、もし、よかったら、その魚売ってもらえまへんか。」
と言いました。魚屋さんは喜んで、
「どこで商売しても同じですさかい、どうぞ買うとくんなはれ。」
といって、いろいろと魚を取り出しました。見知らぬ人は、
「それもこれも。」
と言っていましたが、魚が残り少ないのを見て、
「全部もろとくわな。」
と言って、荷車の魚を丸ごと買っていきました。魚屋さんは、よく買ってもらったと、ありがたがってお金の勘定を始めました。
しばらくして、魚屋さんの知り合いが、不動坂を登ってきて言いました。
「おっちゃん、何しとんの。」
「いや、今しがた魚がたくさん売れたさかい、お金を勘定しとんね。」
と魚屋さんが答えると、知り合いは笑って言いました。
「キツネにだまされてんねんわ。そんなんしとったらあかんで。」
「いや、キツネなんかにだまされとらへん。これはお金や。見てみいさ。」
と、魚屋さんが言いはると、知り合いは、魚屋さんの肩をポンッとたたきました。すると、魚屋さんはハッと気がついて、正気に戻りました。
魚屋さんが、お金だと思って勘定していたものは、たくさんの木の葉っぱでした。魚はぜんぶキツネに取られてしまったということです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「川上村昔ばなし」から
「大迫のはなし」
大迫の子とまんじゅう
子どものころ、学校は柏木まで、通ってましてな。
よう、腹減らしましたわ。なんせ、一人、くせの悪い子がおって、柏木の店で、まんじゅうやら買わんと、しまいに、借りっぱなしで、親が払ろうたようなことでしたわ。
むかしは、節季にしか、賃金もらえへんだよって、払うのも、そんなことでした。
その子は、えろう、おこられとったなあ。
東熊野の本街道に近いよって、りんつ(ちりんちりんと音のするもの)が、よう聞こえてきましたわ。
わしら、子どもの時分、学校から帰ったら、りんつがするもんで、急いで茶びんに茶いれて、ほて湯のみ、三つ四つ持ていて、茶売りに行いってなあ。五銭、十銭と金くれますねんや。夏、冷えたのを持っていたら、行者さんら、喜んでな、子どものこずかいでして、それを楽しみに、日曜日は、大勢下ってくるので、せわしいせわしい。じっとしてる間あれへんでした。
あの時分になあ、柏木の朝日館や、ホテルゆうて、百人から百五十人泊まってました。
今はもう、リンの音もせへんけど。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「川上村昔ばなし」から
「伯母峰の一本足」
大和の北山谷は山ヶ岳の東側であるが、この谷は伯母峯を境に、北の川上谷と南の北田谷とに分けられる。伯母峯は高い峠で標高九九一メートルである。
ある時、峠の北八キロばかりのところにある柏木の猟師が、この山へ狩にでて一本足の化物に出あった。そして鉄砲弾をいくつもうったが、どうしてもあたらない。最後に南無阿弥陀仏と掘りこんであるイノリ弾をうつと、一本足は倒れた。その時、
「このことは他言するな。」といった。猟師がふもとまで下りてくると、茶屋の者が、さきほどしきりに鉄砲の音がしていたが、どうしたことかと聞いた。はじめのうちは何でもなかったようにいっていたが、問いつめられて、ついに本当のことをいってしまった。さて自分の家まで帰って入口をまたぐと、ばたりと死んでしまった。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

川上村昔ばなし」から
「ほうでんさんとキツネ」
安政生まれのおじいさんに昔に聞いた話ですわ。
伯母谷から大迫に行く旧道の途中にな、今でも屋敷のある「ひうら谷」いう所がありまんねんけどな、キツネやタヌキが毎晩出て、ドンドン戸を叩いてどうもしゃあないちゅうて困っとたらしですわ。おまけにそこでようキツネやタヌキにばかされたらしいわ。
まぁ古い話でな、ほうでん(橘将監)さんがな、毎晩大迫の方へ夜遊びに行っとったそうやわ。ほて、ほうでんさんが夜の十二時頃に伯母谷向いて帰ってきたらしな、その「ひうら谷」のそばで女の人がじーっと座っとんのを見つけたそうやわ。「あんた、どこへ行くん?」と聞いたら「わし柏木の方へ行きますんや」と、「こんな夜中にどうしたん?」と聞いたくらいなら「急な用事で行きますんや」言うたそうや。顔を見たら、夜に見てもえらいはっきりした顔でねえ、べっぴんさんやったと。「ははあん、これはここで悪いタヌキやキツネがおるさかい、こいつに違いない」とほうでんさんは思ってな、「どうしたんや?」と聞いたら「しゃく(急な腹痛)でよう動きませんねん」と、「そんなやったら、うちで養生したらええわ」言うて、自分の帯ほどいて女を背中へぎっちりとくくりつけて連れて帰ってんと。ほんで家へ着いても降ろさへんでな、「おまえはひうら谷におる悪いキツネやろう、このまま生け捕りにしてしまう」言うたらな「どうか堪忍してくれ、これかは伯母谷の在所でヘソの緒を切った者には、タヌキやキツネは絶対に悪さはせん。はやり病があっても必ずうつらんようにするさかいに」と約束したらしい。
わしらの小さい時分にな、はしかが流行った時、わしの母親は米と線香と持ってお参りしてましたわ。口伝えやったんやろうな。