「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「権兵衛坂」
牧野小学校から国道を南へ一キロメートルいきましたところに、ごんべいざかという坂がごじます。
とにかく今は、道もひろくなってほそうされ、国道とまでなりましたが、その昔は、雑木林の中をつぬいた村の通い道でございました。
権兵衛だぬきか権兵衛ぎつねか、それは私にもはっきりわかりませんが、どちらかが住んでいましたそうな。
しかし、あんまり人をだますので、だまさないようにといって、お稲荷様がまつられてありましたから、おおかたきつねだったんだろうと思います。
もっとも、今まつられてあるお稲荷さんは、最近まつられたもので、交通事故が多いという理由で、りっぱなほこらが建てられましたが、それ以前にも同じような場所にまつられてありました。
さてその昔、坂の下に小さな川が流れており、そこに土橋がかかっておりました。(その川は今もありますが)
昔のことであり、いなかのことですから、あまり人どうりがございません。まして、月のない晩などは、とてもさもしい道でした。
やはり月のない晩のことです。
夜もふけて、ひとりの若者が五條の町から田舎へ帰ってまいりました。
土橋をこえ、坂道を上りかけるころ、向こうからおりてくるひとりの女性に気がつきました。
「この夜ふけに、どこの娘さんだろう。」
と、ふしんに思いながら近づきますと、それは、夜目にも美しいまだ見たこともないきれいなきれいな娘さんでした。
「こんばんはーーーー。」
つい、若者は声をかけて、もういちど
よく娘さんを見ましたが、
すれちがうとき
何か妖気のようなものを感じました。
若者は、背すじが、さむくなるのを感じ急ぎ足で坂をのぼりきろうとしました.
と、後の方で
「バアーン。」
と、銃声のような大きな音が鳴りました。
びっくりした若者は、ふりかえりましたが、何も見えません。
今、すれちがったばかりの娘さんの姿もありません。
「そんなはずはない。いくら足の早い娘さんでも。」
と、若者は目をこらして見ましたが、そのあたりは、もうまっくらなやみで何も見えません。
「おかしいなー あんなに娘さんの顔は、はっきり見えたのに・・・・・・・・・・・。」
「アツ。」
「おれはだまされていたんだな、きっと。」
そう思うがはやいか、若者はそれこそもうものすごいスピードで、坂をかけ上がっていました。
きれいに化粧したあざやかな娘さんの顔、そして、くらやみなのに、はっきりみえた着物のかすりもよう。
しかし、若者はだれにもこの夜のことは語りませんでした。
ところが、そんなことがたびたびかさなったのでしょうか。だれいうともなく、そんな話がひろまって、これはごんべいぎつねのしわざだろう、そうにちがいないということになりました。
昔 ごんべいぎつねが住んでいたという、だからごんべえ坂という名のついた権兵衛坂のお話でございます。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「片身のじぞうさん」
むかしむかし 大深の村はずれにお地ぞうさんをお祭りしてありました。このお地ぞうさんは村人たちのねがいを何でも聞きとどけてくれるので、村の人たちのお参りしない日はありませんでした。
ところがある日の夕暮れ、人そうの悪い一人の武士が通りかかりました。お地ぞうさんは、すぐさま白坊主にばけてその場に立ちましたが、これをいちはやく知った武士はカンカンに怒り、
「この おちゃくな 地ぞうめ 思い知れ」と言うが早いか持っていた刀で地ぞうさんの頭を 真二つに切りすててしまいました。
いきおい余って地ぞうさんの左半分は紀見峠の方へ飛んで行ってしまいました。あとには変り果てたお地ぞうさんの右半分だけがころがっていました。
これを見た村人たちは、
「ああ おいしい、おしかったわぁ」
と、残念がり、「おしがたわ」の地に手あつくお祭りしました。
片身のおじぞうさんになっても、村の人たちは願をかたりしましたが、いつもよく聞きとどけてくれたので、今までいじょうにお地ぞうさんを信仰するようになりました。
今の「おしがたわ」の地名は、お地ぞうさんが災難にあったとき「おいしかったわ」といったことから、つけられた名まえであると言われています。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「笠之辻のお地蔵様」
五條駅から、東の方へ五分位歩くと、むかしの伊勢街道の」そばに、小さなお堂があります。それが笠之辻のお地蔵様です。笠之辻のお地蔵様が、どうしてここにおられるのか、ということを、お話しましょう。
今から千年位前のこと、今の五條の町に、武者所康成という武士が住んでいました。武者所康成なんて、とても強うそうな名前ですがその名前のように、とても強くて武勇にすぐれた人だったのです。それに、狩りに行くことが大好きで、毎日、野山へ行って、腕をみがいていました。今のように鉄砲がなかったので、弓矢を持って、狩りに行ったのです。
「きょうは、うさぎときじを取ったし、きのうは、鹿を取ったぞ。」
と、いうふうに、毎日、けものたちをうち取っては、みんなにじまんしていました。
それを見て、この人のお母さんは、
「かわいそうに、そんなに むやみに けものたちをころしてはいけませんよ。もう、狩りに行くのは、おやめなさい。」
と、いつも注意をしましたが、母の言葉を、少しも聞きいれようとはしませんでした。それだけでなく、もっと、もっとおおきな獲物を取ろうと、そればかり考えていました。
ある日のことです。いつものように山へ行くと、岩かげのところに、大きないのししが寝ています。
「しめた、これは大きいぞ。こんな大きないのししに、出会ったことがない。」
と喜こんで、弓をひきしぼり、矢をパシッとうちました。
康成のうった矢は、大いのししに、命中しました。
さぞかし康成は、大喜びしたと思うでしょう。でも それとは反対に、大いのししに取りすがって、大声で泣き出したのです。
それもそのはず、大きないのししと思って、自分が矢を射かけたのは、いのししの皮をかぶって、自分を反省させようとしていた、お母さんだったからです。
「お母さん、お母さん私が悪うございました。もうこれからは、決してけもの達を殺したり致しません。きょうまで、私に母親を殺された、けもの達も、今の私のように悲しかったに違いありません。お母さん、ごめんなさい。」
と、死んだお母さんにあやまりました。
そして、おわびに頭をそって、おぼうさんになり、今の大和郡山市にある矢田のお地蔵様に、毎日お参りすることにしました。
大昔で、今のように便利な乗物がなかったので、朝早くおきて、てくてく歩いて行ったのです。それを、雨が降っても、風が吹いても、物ともせず何日も、何日もつづけていましした。
すると、ある日のことです。武者所康成が寝ている時、夢の中で矢田のお地蔵様が現れて、
「お前は、毎日熱心にお参りしてくれるので、もう遠い矢田の地まで、来なくてもいいようにしてやろう。お前の家の近くの道ばたに、わしの笠をおいておくから、そこへお堂を作って、お地蔵様をまつればよい。」
と、いってパッと消えました。その笠のおいてあった所が今のお地蔵様のある所で、それから笠の辻と呼ぶようになったのです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「音無川」
栄山寺のあたりは、とても景色がいいところです。お寺の前の水かさも多く、青くよどんで流れているあたりを、もう一つの名まえで音無川と呼ばれています。なぜそう呼ばれるようになったのでしょう。
むかし、弘法大師が諸国をまわって、栄山寺へも来られたときのことです。そのころの栄山寺は、今のような建物だけでなく、大きなお寺がたくさん並んでいるりっぱなお寺でした。お大師さまは、その中の一つの寺に入って、修行をなさることになりました。
朝早くから夜おそくまで、お堂にすわって考えごとをしておられると、目の下に吉野川が、たくさんの水をたたえて流れて生きます。
「ザアザア」と昼も夜も音をたてて流れているので、やかましくて仕方がありません。考えようとしても、うまく考えをまとめることができません。困りはてたお大師様は、流れる水に向かって、
「音を立てないでくれ」
と、大きな声で言われました。
すると、あんなに「ザア、ザア、ザア」
と、音を立てていた水の音が、ぱったりとやんで、すこしも音がしなくなりました。
それから、このあたりの川の名まえが音無川と呼ばれるようになったということです。
みなさんも栄山寺へ遊びに行ったら川の音に耳をすましてごらんなさい。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「お大師さまと犬飼のお寺」
そんな、思いがけないできごとがあってか、お大師さまは、道を見うしなった。
「こんなところで、とどまっては、高野山につくのが、おそくなるばかりだ。」
つぶやいたとき、すぐまえに、狩人姿の大男が、たちふさがった。三メートルばかりもあろう、ヒスイいろの衣をきて、白と黒のいかにもたくましそうな犬を、二ひきつれていた。
左の手には、大きな弓をもち、矢羽をせおい、ひげだらけの顔のおくで、ぎょっと、黒い目が光った。
「あなたは、お大師さまではありませんか。」
狩人は、犬をひきよせ、いきなりひざまづいた。
「そうおっしゃる あなたは。」
きゅうに、ススキ原で声をかけられたお大師さまは、とまどったふうだった。」
「名まえを、もうすほどのものでは、ございません。わたくしは、犬飼、ひとびとのしあわせをまもる狩場明神ともうす。」
「こんなところで、名まえをよばれようなんて、ふしぎな、めぐりあいだ。」
「いy、あなたが、高野山にむかわれたことは、ぞんじていました。お見かけしたところ、ふつうのおかたでないことは、すぐわかりました。
「おおせのとおり、高野山をたずねるとちゅうだ。うっかり、ふみはずしてしまって・・・・・ここは、どこじゃ。」
「川さきともうす。」
「7なるほど、名まえのとおり、川の瀬音が、すぐそこに聞える。あなたは、高野山の野道を ごぞんじだろうな。」
「はい、しるも、しらぬもありません。わたしは、高野山の地主、お大師さまが、真言密教の道場をおひらきになることを、おまえちもうしておりました。高野山への道はけわしく、ひとりたびはきけんです。この、白と黒の犬を、お大師さまのおともにさしあげます。狩場明神は、そういうなり、ススキ原に姿をけした。
しばらくして、吉野川のあさ瀬をわたるお大師さまの姿が、秋の光にまぶしくかかやき、犬のとおぼえが、山なみにきえた。
その後お大師さまに、高野山をおひらきになり、この地をなんどかおとおりになった。
狩場明神とのめぐりあいをよろこび、転法輪寺をたてた。そのとき、犬の足あとを、霊石としてお祭りした社がある。