「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺 花会式 仏足石 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

仏足石

お釈迦様は二千五百年程昔の方です。おかくれになって、三、四百年間はインドには仏像を形に現わすのは、勿体ないことであるとの考えであったからです。そのかわり仏様の足跡を石に彫ったり、菩提樹の下、石上に坐して悟りを開かれたのだからその菩提樹や天蓋を画いては、それを仏様としていのりを捧げてきました。その後ギリシャ文化の影響を受けて仏像がつくられるようになりました。
仏足石の側面にしるされている銘文によると、インドのマカダ国の仏足石を唐の王玄策(げんさく)が長安の善光寺に写し伝えたものを更に日本僧 黄文本実(きぶんのほんじつ)が遣唐使として派遣された時 日本へ写し帰ったとあります。
この仏足文には、法輪や花等が画かれ後光がしています。これは金堂本尊薬師如来像の足裏とよく似ています。
ご本尊様をお参りに行かれた際には ご覧ください。





■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺 花会式 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記


花会式 正式には 修二会花会式 といいます。
嘉承2年(1107年)堀河天皇は薬師如来に皇后の病気平癒を願われ 霊験を得られた皇后は、毎年宮中の女官たちと、造花をおつくりになって修二会にお供えされました。これが、花会式の起こりです。
梅 椿 牡丹 菊 山吹 藤 桜 桃 百合 杜若の十種1696本の造花で薬師如来様にお供えします。
この造花を作るのは 増田家 橋本家のみでつくられます。

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 叩かぬ太鼓・鳴る太鼓


叩かぬ太鼓・鳴る太鼓 吉野のお話

外部資料

丹生川沿うた宗川野の、殿の平っていうところは、殿さんがいたんで、こういう名があるんやと。
そこの殿さん、まっことわがままでな、いっつも、百姓どもにいろいろ難題を仰せつけてな、みんなの衆をこまれせたんやと。
あるときな、百姓衆あつめて、
「タタかんのに、”鳴る太鼓”作ってこい」
っていわはってん。
百姓衆は、えろう困ってんが、ひとり知恵もんがいらってな、トックリ(どんぐり)蜂を太鼓の中へ入れて、殿さんとこへさしださはってんと。
喜ばはった殿さんは、
「鳴ってみいー」
っていわはったた、蜂が太鼓の中で、わんわんさわいだんでな、太鼓をたたかんでも、
「わーんわーん」
ってな、鳴ったんやが、感心しやはった殿さんは、太鼓の中を、裂いてみやったら、中から出てきよったドングリ蜂が、
「わーん」
といってな、殿さんの顔へ、
「チクチクチク」
と、刺しよったんや。
そいで、殿さんはえろう怒ってな、こんどは、百姓衆に、
「人間を立ったなり、皮を剥いでこい」
っていいつけはってんと。
そいで、百姓衆は、こねんえげつない殿さん。生かしておいたら、どねんなめーにあうかわからんいうてな、みんなよって打ち殺してしみゃってんと。
けどなー、そのたたりを恐れて祭たったのが “薬師さん”ということや。

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 洞川のめくら蛇

洞川温泉郷は大峰山から発した熊野川の源流ともなっている山上川のほとり
洞川温泉は、修験道の盛隆とともに大峰信仰の登山基地として栄えた。
開かれた縁側は一度に山伏が旅館にあがれるようにしたもの。


洞川のめくら蛇 吉野郡のお話
むかし、吉野の洞川にひとりの山男が住んどった。女子をつれて帰って、そいで夫婦になってな、子どもできよった。女子は山男に、
「山から帰った時にゃ、必ず表から〈帰った〉と声をかけてくな」
っていうので、男はいつもそのようにしとったんやろが、ある日、
「なんで、あんなこといおんねやろ」
というて、なんにもいわずに家の中へ入ってみやってんと。ほたら、女子は部屋いっぱいにどくろを巻いた白蛇やってんが。
女子は見られたことを知ったもんやさかい、男に、
「いとまくれ」
といやってん。ほたら、男は
「お前にいとま出したら、この児をそだてられんよって、いとまようやらん」
そういうたら、女子は、
「どうでも、いとまくれ、児は育つようにしたるよって」
そういうて、自分の眼の片いっぽうをくり抜きやがって、
「これ、ねぶっとけっ」
というて出ていかってんと。
児は、それをなめずって大きうならってんけど、なめちゃある間に、だんだん小さくなってしもうて、とうとう消えてしもうてんが。ほたら、どこからか、母さんの白蛇がでてきやってな、残ってたもう一つの目玉をくり抜いて児にやらってんと。
そいで、二つとも目玉をやらったもんやさかい、とうとうめくらになってしもうたんや。そいで、昼と夜の区わけがつかんようになってしもうたんでな。
「これから朝は三つ、晩は六つ、鐘を鳴らしてくれんか」
そいいうて男のところへたのみにきやってんと。そいで、山男は一生懸命にはたらいて、とうとう、池のほとろに寺を建てやって、竜泉寺ちゅう名前つけて、境内に白蛇のために竜王堂もたててやらってんが、そいで、今でも朝に三つ、晩に六つ、鐘がなってんねと。

外部資料

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 金の橋・銀の橋

金の橋・銀の橋 吉野郡のお話
むかし、あるところに、ふたりの大金持ちがいやってんが、ふたりとも奥さんがおらんでな、良い嫁御寮をさがしてやてんと。
召使や、いろんな人にたのんで、ようやっとひとりの娘さんをさがしあてやってんが、おんなじ娘さんやってんと。
ほんでひとりの金持ちは
「わしのところへ嫁にきてくれたら、お前の家から、わしの家まで”金の橋”を掛けたる」ちゅうてさそったんやと。そいだら、もうひとりの金持ちも、負けずに、
「わしの家へきてくれたら、お前の家からわしの家まで”銀の橋”かけたる」
ちゅうて、ふたりが競争で、金の橋と銀の橋を娘さんの家まで掛けったんやが、ちょうど、娘さんの家の上で両方の橋が継がれんと。そいで、どちらへも嫁入りしやらひんかってんが。


ところがな、どちらの金持ちか知らんが、橋の継ぎ合わせのところに立ちやって、娘さんにな、
「わしは病気で死にかけたとき、この薬をもろうてのんだら生き返ったんや。そいでこれくらい元気になったんや。」
ちゅうてやったら、どこからか、
「プー」
ちゅうて、大風が吹いてきよってな、その生き返り薬がとばされてんが。
そいで、その薬が飛んで飛んで落ちたところに生えた木をヨモギというんや。なぜって、ヨモギっていうのは黄泉(死んだ人が行くところ)の木だったからさ。ほんで、ヨモギは万病に効くんやと。

ヨモギ 外部資料
自然が豊富な吉野ではヨモギをむかしから栽培して食用にしている。
ヨモギは苦みも少なく 新陳代謝を促進させ 老廃物の除去や美容効果も期待できるといわれている、

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