「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺から少し離れて
今日も「奈良昔ばなし」からです。自粛環境の中 こんなお話を読んで 少しでもホッコリして頂ければ幸いです。
「良弁杉」(りょうべんすぎ)
 むかし、近江の国の志賀の里に、信仰心の厚い夫婦がおりました。
 とても仲の良い夫婦で、大そう幸せに暮らしておりましたが、ただ一つ、子供のいないことだけが大きな悲しみでした。
それで、夫婦そろって、毎日観音さまにおまいりし、子宝にめぐまれるように祈り続けました。その祈りが観音さまに通じたのかそれからしばらくして、それはかわいい男の子がうまれました。夫婦の喜びようといったら大変なもので、おかあさんは、その子と一時たりともはなれていることができず、どこに行くのもいっしょでした。

 ある日のこと、クワ畑に出かけたおかあさんが、クワの枝が子どもの目をついてあぶないと、子どもを背からおろし、クワの葉をつんでいる時です。突然、大きなワシがまいおりたと思うと、子供をつかみ、ゆうぜんと南の方へ飛んでいってしまいました。おかあさんはただ泣き暮らすばかりでどんどんやつれていきました。

       さし絵から


それからしばらくして、とうとうおかあさんは、子どもをさがして旅にでました。三十年もたって、すっかりおばあさんになったその人は、あるとき、都のうわさを耳にすると、つえをたよりに、峠をこえて、都にむかいました。
 そのころ、都では、良弁というりっぱなお坊さんが、東大寺をたてられ、僧正という高い位につかれていましたが、その良弁おしょうは、小さいとき、ワシにさらわれて、杉の木のてっぺんのワシの巣で泣いているところを、義淵というお坊さんに、たすけられて、そだてられました。
たずねたずねて、杉の木までやってくると、そこにひとりのお坊さまが、おられます。
その横顔のなんと亡くなったおとうさんににていることか、おばあさんは、おもわず、声をかけると、つえをほおりだして、かけよっていきました。
「もしや、良弁さま・・・、おお、おまえさまは、わたしのむすこじゃ。」
良弁おしょうも、はっとしてふりむかれると、じっと、おばあさんを、見つめて、にわかに、涙をこぼされました。もう何十年もあわないのに、お互いに、親子であることが、わかったのです。
 ふたりは、杉の木の下で、いつまでもいつまでも手をとりあってないていました。
それから、その杉の木は、《良弁杉》とよばれるようになって、東大寺をおとづれる人は、かならずたちよったといいます。ワシにさらわれた良弁おしょうの話も、わすれられることはでした。ありません

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