「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺から少し離れて
「奈良昔ばなし」から「若狭井戸」
 むかし、東大寺の良弁おしょうさんのでしに、実忠というお坊さんがいました。
 この実忠おっしょうは、りっぱにほとけさまにおつかえするため、きびしい修行をはじめることになりました。東大寺に二月堂のお堂をたて、さっそく全国から一万五千人の神々をおまねきして行事が取りおこなわれました。
 二月堂の修二会とよばれるこの行事は、まい年、三月一日から十四日のあいだ、おこなわれましたが、はじめての修二会のときには、若狭の国の遠敷明神だけが、いつまでなってもやってきません。あつまっていた神さまたちは、遠敷明神が病気でもしているのかと大変しんぱいしていました。修二会の行事も、あと二日でおわるという、十二日めの夜になって、ようやく遠敷明神がやってきました。
 「今まで、なにをしておられたのですか。」神さまたちは、すこしおこってたずねられました。すると遠敷明神は、「いや、じつは、あまりさかなつりにむちゅうになったもんで、おそうなりました。」神さまたちは、くつぐちに、「なに!、さかなつりじゃと、だいじな修二会をわすれてしもうて、実忠おっしょうに、なんといっておわびをするつもりじゃ。」と、いいました。遠敷明神は、小さくなって、「いや、もうしわけない。おわびに、ほとけさまにさしあげる、あかの水を用意してまいりました。」そういって、遠敷明神は、二月堂の下にある大きな岩のまえに立って祈りました。すると大岩がわれ、そのわれ目から黒と白のウの鳥が飛び立ち、清水が流れだしました。

さし絵から

 実忠おっしょうは,たいへんよろこびました。さっそく、その水をほとけさまにおそなえしました。
 実忠おっしょうは、そのところに、井戸をほり、その井戸を若狭井戸と名づけました。
 このときより、修二会のことを〈お水とり〉とよばれるようになり、今も続いています。

×

非ログインユーザーとして返信する