「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺から少し離れて
本とその内容 お話を紹介させていただきます
昨日と同様の本です 大人の方から 小さい御子様には読んで頂けたらと思います。

外部資料

奈良の早起き
むかし 奈良のシカは神様のお使いだというので 傷付けたり ころしたりするとおもいばつをうけました。シカは、町の中や 家の庭先までやってきて、いたづらをするようになりました。ある時小屋にくると、子供たちの大事な習字紙をムシャムシャ食べたので、三作という男の子が、「あっちへいけ。」といって文ちんをなげつけました。その石がシカのみけんにあたって、シカはドォとたおれると、そのまま死んでしまいました。三作はとらえられ、生きたまま、シカと一緒に土の中に埋められました。その上にたくさんの石をのせたので、人々は、「石子づめ」とよんで 大変おそれるようになりました。冬の寒い朝のことです。ある家の前にシカが死んでいました。家の人が朝戸をあけて見ると 「えらいこっちゃ。」とあおくなり となりの家の前にシカをひきずっておいておくと知らん顔をしました。となりの家の人も、同じように、「えらいこっちゃ」といってシカをひきずってそのとなりの家の前におきました。そのまたとなりも、またまたとなりも、みなが同じように、「えらいこっちゃ」といってひきずっているうちに、とうとう、一番おそくまでねぼすけのところまではこばれました。ねぼすけがなにも知らずにねていると、役人がきて、「おい 起きろ シカをころしたのはおまえだな」といって、ねぼすけを起こしました。ねぼすけは、死んだシカを見るとい目をパチクリさせて、「わしはしらん」といいました。「いいわけはきかん」といって ねぼすけをなわでしばりつけていきました。ねぼすけが、三作と同じように「石子づめ」にされたので 三作の母親は、あわれな二つの墓の上にカエデの木をうえました。カエデは青々と葉をしげらせ 奈良のねぼすけがいなくなったのは、このときからだといわれています。

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