「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くのうのんから 大和の気象歳時記

大和の自然  
豪雨も精神療法にならなかった
昭和7年8月4日、フィリピン東方に発生した台風は、北上をつづけ、11日には九州南東海上に達し、ここで15ひまで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台緒が原では9日から豪雨となり12日の雨量432㍉を最多として15日までに1900㍉を観測した。この間上市では6㍉ 八木では0㍉(上市 八木 とも大台ヶ原から近くの町)大台ヶ原山の豪雨の特異性を遺憾なく発揮した。13日降りしきる豪雨の中に異様な姿をした大男が

外部資料

あらわれた。頭からびしょ濡れで 水の中から引上げてきたような姿である。疲れているのが分かるので先ず 着替えさせた。
この大男は陸軍士官学校の秀才であった。勉強し過ぎて脳をいためて退学になった人である。頭の良いの話し方でよく分かる人であった。「東郷大将が私に婿にこいと云われている」と話をした。 荷物を整理していると勲七等桐葉章が出てきた。満州事変に出征した戦功によって賜ったという軍国主義当時のことで 東郷大将婿養子候補として優遇されて滞在した。翌も雨は止まず 16日下山した。大台ヶ原山で静養すれば頭も良くなると想って登ってきた。実際頭を休めると元の陸軍士官学校の秀才となるふしもあった。しかし 豪雨となりお気の毒な登山の面もあった。

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