「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№107

「寒さ」にこだわって
昭和52年(1977年)2月16日の寒波
 奈良市の水道局では翌朝の最低気温が-3.0度を予想したとき水道管の凍結被害を警戒して予防体制にお入ると聞いたことあります。低温の予報測については従前からあったものに改良を加えるため あらためて見直しをし 低温予報測のマニュアルを作った。詳しい内容は専門的すぎるため また現在は更に立派な計算式が出来ているが ここでは昭和52年2月16日那羅で-7.8度を観測した日の500hPa面 寒気の移動の模様を紹介します。
2月6日北極付近にあった寒気は約一週間かけて 一方タイミル半島方面からも寒気が移動してきて 13日バイカル湖上空付近で合流
-4.5度という強固な寒気塊が誕生し 4日間んも旅のすえ我が国に襲いかかってきた。

円で囲まれているのが寒気塊で 500hPa面-30度線の南下の模様も合わせて記入しています。

16日至っては北緯30度線を東西に描かれてあって如何に寒むい日であったか容易に想像出来る
 奈良では-7.8度 尾山(月ヶ瀬)-11.0度 高山-10.0度風屋-7.0度と低く寒波の余韻は19日迄続きこの年の最低気温の記録はこの4日間に集中した。18日針-14.0度 池原-7.1度 19日大淀-9.1度 大宇陀-11.5度 川上-8.8度 津風呂-8.6度 田原本-7.3度五条-8.5度となっている。
水道管の水が凍りついて水が出ないと思っていたが氷が溶け出してみると水道管自体が破裂していて凍結が解けるまで破裂に気がつかなかったという笑えない話があり この後の水道業者は大忙がしの日が続いた。最も被害の多かったのは夜間電力で温水器につながっているバルブ付近の故障だそうで 被害実態を調べた結果 思わぬ落とし穴のあることも発見した。以上の様に3日も4日も冷たい日が続いたのは寒気塊の動きが遅く -30度線が鍋底型となっていることからもお判りいただけると思います。これが -30度線がV字型の一過性の場合は概そ24時間程度で通り過ぎてゆくものの 鍋底型では底の部分が近畿地方から遠のくまで解消されず またこの様な場合 えてして 東進するスピードの遅いのが特徴である。

×

非ログインユーザーとして返信する