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#興福寺の文殊会

外部資料

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興福寺は藤原氏の氏寺として、藤原不比等(ふひと)が厩坂(うまやさか)にあった」厩坂寺を平城の地に移した寺である。藤原氏が隆昌におもむくにつれ、この寺も盛大になり、寺領も全国に及び、堂塔伽藍が百数十棟、僧侶も三千の多数にのぼったという。
この寺で行われた維摩会(ゆいまえ)のごときも南部の諸会式のうちで最も重要視され、僧侶の間でもこの会式に参加することを無上の光栄とした。それがいつの間にか中絶され、これにかわって、東金堂にまつわられている文殊菩薩を中心として、授福増慧(ぞうえ)を願う文殊会がさかんに行われるようになった
文殊会の歴史は天長(82tら4~833)はじめに、岩淵寺の勤操(ごんぞう)元興寺泰善が畿内一円の都邑にこの会式を設けたのにはじまるという。それが興福寺等にも文殊会の行われる行われる基になったらしく、当初は済民救世の意味が強かったが、いつの頃からか授福を願う法要となった。昭和12年、東金堂大修理の際に文殊菩薩への奉納の多数の絵馬が天井裏から発見されたが、大永から承応にいたる約百⒛年間にわたるもので、すべて授福増慧の祈願の奉納と思われるものであった。
東金堂(文殊堂ともよばれる)安置の木造文殊菩薩坐像は維摩居士像と二軀一対として、仏師定慶の作と考えられている。維摩居士坐像には像内に建久七年(1196)五月十五日、定慶が造りおわったとの銘があり、文殊菩薩坐像と共に昭和27年新国宝に指定された。定慶は運慶の子で、はじめ康運といった鎌倉時代の名匠のひとりでああった。
昔の文殊会は7月8日であったらしいが、3月25日になり 今は4月24日 25日に修せられるようになった。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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