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#神社の砂掛け祭り

外部資料


廣瀬神社は崇神天皇のころの創建と伝え、祭神は和加宇加乃売命である。竜田神社は風の神とし、廣瀬神社は水の神として、尊信されて来た大和の古社である。鎮座の地河合町川合は大和川が合流する地点であり、本社はこの地方即ち廣瀬郷社であり、明治になってから官幣大社に列していた。
水の神様として五穀豊穣を祈る神さまだから、本社のお田植祭は、古くは大和六つ県(あがた)の神主がこの祭りに参加したと伝えられるくらい、重大視されており、官幣大社時代には春の列祭と秋の祭りと、この2月12日のお田植祭には勅使がたった。今でもこの社としてはこの祭りが最も大きい祭りである。
祭典は午前11時ごろ本殿においてとり行なわれるが、拝殿の両側には遠くから来た廣瀬講の人々や近隣からの参拝者が詰めかけている。この祭典の中で、拝殿の中央において氏子の青年が奉仕する水干を着た田人が現れて、苗代作りの所作ごとをする。これはどこのおん田でも行うようなことである。最後に「福種を播こう」といってシメを張った桝からからモミを播いてしまうと緋の袴に緋めたすきをかけた早乙女が二人、松葉で作った松苗をもって、早苗をとる所作をする。その時、「この苗はわがにはあらず廣瀬なる神のよさせし早苗なり」と歌う。
そこまでは殿上の儀というが、ここで休憩ということになり、午後は二時になってから、拝殿前の広場にしつらえた斎田において庭上の儀が行われる。一面の砂庭のまん中に五メートルに四方ほどを斎田とし、四方に青竹を立て、西北に入り口を作ってある。そのころになると参拝者も多くなって、広庭一ぱいになっている。太鼓がなると殿上で奉仕した田人がやって来て、まず模型の鋤をもって斎田の溝をすく所作をするが、待ちかまえていた子供たちは、この時、砂をつかんで四方から田人に向かってなげつける。田人もまたこの鋤をもって参拝の衆眺に砂をかけまわる。うっかり見物もしていられない。全く砂合戦のようなもので、砂掛け祭りの名にふさわしい行事である。田人が出てしまうとこれで第一回は終わるのだが、次には田人と牛の面をかむった牛が出て来てカラスキで田おしをする所作にかっかると、また砂をかけ合う。終わりにはマグワで田をならす所作をするが、これまた砂をかけ合って、みんな砂まみれになる。この砂は雨になぞらえているので、多く砂をかけるほど雨がよく降ると考えられている。このあとで、早乙女のお田植えがあって終わり、あとで松苗と御供まきをする。
■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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