「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

#大神神社のおんだ祭 2月6日

外部資料
もともとは正月卯の日に行われていたが明治になって旧正月6日となり、更に新暦の2月6日に改められた。同社の『神事勤行日記』(明治3年=1870)には正月9日惣番・今月卯之二値二付御田也」とあって御田(おんだ)の呼び名で伝ているが御田植祭のことで、年の初めに五穀の豊穣を祈る重要な祭典の一つである。
当日は早朝に籾種・苗松・御鈴・斎鍬一丁・錬棒一つ・牛形一面・苧(かなびき)などを拝殿の御棚の上に安置する。籾種は三宝にもり、苗松は三輪山の若枝を三本合わせてワラでくくる。牛形は先端で二本の枝が出て角のようになった長さ1、2メートル(4尺)あまりの自然木にサラシ木綿のツナをつける。角には赤の布をつける。斎鍬は木製の実物大で鍬の先は黒く塗ってある。錬棒はナラシ棒のことで長さ1,5メートル(約5尺)に近い竹筒で太さは直径十センチ(約4寸)ある。
午前10時、神鼓を合図に斎館から拝殿に参進して来た宮司以下の神職が、修祓・献饌・祝詞秦上まですむと、拝殿向拝の間を田になぞらえ、拝殿南側に着座している鳥帽子に白丁姿の田作男が一人、拝殿御棚の上の苧をとって神前で拝礼ののち、これをタスキにかけ、ついで斎鍬を持ち出し神田に擬した拝殿向拝中央に来て、先ずアゼの草けずり、アゼ草取り、アゼこねをするまねをし、最中に足のヒルをとるまねをする。斎鍬をもとの所へもどしてから、アゼにすわってキセルを出してタバコを一服すう。それから牛を迎えにゆく。「モーモー」と牛形が元気よくあらわれる。牛形にサラシ木綿で頭をしぼってそのはしを右手にとり、左手で牛形の尻を持ち上げ牛使いのまねをして「今の牛は若牛で、ようホエルホタエル」といってその牛形を何べんも倒して牛が暴れている所作をし牛耕をくりかえす。牛形をもとの位置にもどしてから田作男の朝のお茶の食事がはじまり、黒くなった茶瓶の口から茶湯をのむまねをする。
次に斎鍬と錬棒と取り替えて田ならし、あぜつくり・水口つくりの所作をする。こうして田作男の種々の農作の行為によって神に棒ぐる形なき苗代ができあがると、権宮司が三宝に乗せて神前に奉納した籾種を御棚に移し祢宜はこれを田作男に捧げる。田作男はそれを棒持し、片手で腰にさした扇をひろげ
「若苗とりて、おなごの手をとる。右手をとるやら、左手をとるやら、京から下る、藤室の稲は、稲三把とやら米八合、吾田に咲いたりや、咲いたりや、三輪へ参ろ」と神楽歌をうたって神田を左から三週する。
「よい種まいて、よい米とれよ」と籾まき歌をうたいつつ籾種を神田になぞらえた床の上にバラバラとまく。この時、早乙女が太鼓を乱打する。田作男は
「東八百、西八百 合わせて千六百」といいつつ腰の日の丸扇をとって「みかんじゅう(巫女のこと)」というと紫のタスキの赤のタスキをかけた舞衣装の二人の早乙女が両手に大きい苗松を一本ずつ持って出て来て苗取り・田植えのしぐさを奉仕する。この間、他の早乙女が太鼓を打つ。次に鈴を手にして鈴神楽を舞う。つづいて拝殿で「奇し魂(くしみたま)の舞」を行う。
次に宮司の玉串拝礼・権宮司以下の列拝があって祭典がおわり、拝殿前に雲集した参拝者に籾種を頭上にまく。「まこうよ、まこうよ、よい種まこうよ、白銀黄金の種まこうよ」と田作男が歌う。
この日は豊年講の春の大祭もあるので、全国から講員が参集する。六、七千本の苗松を参拝者に授与し、農家はこれを苗代の水口にさして稲の豊作を祈るのである。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡ 0742-43-8152

×

非ログインユーザーとして返信する