「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

#登弥(とみ)神社の粥占い 2月1日

外部資料

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登弥神社は富雄川に沿った石木町木島にあある。この辺りは農業の盛んな所で、イチゴ産地としても知られている。古くは饒速日(にぎはやい)命や長髄彦(ながすねひこ)にゆかりのあるところともいわれている。この神社は石木町・城町三大字によってまつっているなかなか立派な式内社で、高皇産霊(たかみむすび)神と神皇産霊をまつっている。高天原にお生まれになり、何れも造花の神と仰がれている。この神社では2月1日に「粥占い」7月7日・9月7日・10月8日に「湯立て」といった古式な行事が行われている。
粥占いは本年作付けする農産物の豊作を占う行事で、湯立ては稲作の育成と豊作の祈願と感謝をする行事である。
粥占いは午前四時、本当屋の人が神社に来て、諸準備をすませ、午前五時から境内にすえつけられた約二十五リットル入りの大釜(元禄八年 1695の銘)に水と米・アズキ、それに長さ約二十センチ 太さ親指ほどの節の無い女竹(富雄川から求める)を細い紐でスダレのように仕上げ、これを丸く巻いたものを釜に入れ、二時間ほど煮てアズキ粥をつくる。午前六時すぎに神官や年番三人(昨年度 本年度 来年度)その他自治会長 宮座の代表五人なども加わって祭典が催される。まずお祓いの儀にはじまり、神饌と粥占いの竹筒を釜から出して三宝に乗せて神前に供え、神官の祝詞奏上・玉串の奉奠をすませた後、占いの竹筒を拝殿に移し、包丁で割り、竹の中に入っていっる米粒とアズキ数の多い少ないによって豊作の可否を判断する。米粒とアズキが多く入っているのが上々で、米粒とアズキが入っているのが上 米粒ばかり中 また米粒ばかりで、その数が少ないのが下または下下となり、上上・上・中・下・下下の九階級に分ける。占う品目は37品目で、時には変更することもある。
こした粥占いはいつごろからはじめられたか、またなぜアズキ粥によって行われるかは明らかではないが、炊きふくれるのが赤い米で、アズキは大昔の人々が作って来たたやすくできる作物であり、十津川では神様用としてつくられていたという 古くは旧暦の11月23日の夜アズキ粥をたいて神を迎えたという故事にもとづいたのであろう
占う品目はかわることがある。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-⒕
■℡  0742‐43‐8152
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#若草山
今年の山焼きは1月28日 春日大社の大トンドも同じ日午後1時から6時に行われます。
場所は飛火野 無病息災 五穀豊穣を祈願します。この御神火は山焼きの火種になります。

外部資料

野上神社 外部資料


鶯破(すわ)見る天平雲や古都山火 青畝
山焼に移す一の火春日祢宜     白羊
若草山の頂上に鶯塚、山麓に東大寺ゆかりのある石荒神 春日大社の本地仏と言われる地蔵石仏、豊作を祈る野上神社などがあるが、この山焼行事とあわせかんがえると興味深いものとなる。

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#神事始 惣谷狂言
惣谷狂言

外部資料 地区の天神社

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旧暦の1月25日の「神事始」の日に篠原踊り 惣谷狂言これらの芸能が演じられてきたが今は新暦の1月25日に改められている。惣谷は木地屋の集落として、また焼畑を長らく続けてきた山村として知られてきたが、この山村にこれらの芸能が、どのような経路で伝わったかよくわからない。
惣谷の狂言は大正天皇御祭典祝賀に演じたあと、ずっと途絶えていたが、昭和32年の大塔村史編集の機会に復活の機運がおこり、狂言に詳しい辻本可也氏を中心に惣谷狂言保存会が結成されて鬼狂言・万才・鐘引・かな法師・壷負・鳥刺・狐釣は完全に再演できるまでになった。ほかに田植狂言・豆いり狂言・舟こぎ狂言・いも洗い狂言・花折り狂言・米つき狂言もあったというが、狂言の言葉が完全に記録され、上演までに至っていない。
年寄りの中には惣谷の狂言を地狂言という人があり、隣りの中井傍示には「俄狂言」と表題をつけた狂言の記録がある。また狂言に用いる鬼と狐の面が惣谷に残っている。
無形文化財の県の指定を受けている。

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#大安寺 笹酒
大安寺 光仁会(こうにんえ)

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桓武天皇が文武百官を引きつれて 平安京より南都に赴き、先帝光仁天皇の御忌を大安寺で営まれたという「続日本記」の故事の恒例として、毎年1月23日に光仁会が行われる。
この法会は、風雅な青竹づくしの祭儀で、”笹酒”の接待が行われ、「大安寺の笹酒」といって近年とみに有名である。法楽は午後一時からはじまり、そのあと光仁会にちなんだ講話があり、つづいて笹酒の接待が始まる。光仁天皇が久しい不遇な白壁王時代に、しばしば大安寺境内の浄竹を伐り林間酒をあたため、無病息災・健康を保たれ、六十二歳で初めて開運、皇位につかれたという寺伝にもとづいて、続けられてきた行事である。
境内のあちこちに焚き火がたかれ、それに青竹の三本足を組み、太い青竹の筋の抜いた竹筒には酒を満たし、底を火につけ、上部を三本足に吊るして酒を暖める。一方参拝者は、小笹の一枝ついた青竹の盃を手に、暖まった筒の酒をこれを注いであるとともに、酒を注ぐときコロコロ・・・コロコロ・・・とちょうど掛け桶の水が桶にしたたるときのような音色を出し、注ぎ終わって竹筒を立てるときは、またゴロゴロ・・・ゴロゴロ・・・と鳴り、その音色はひときわ風雅なものである。そのうえにこの酒は竹の甘味が溶けこんで、実に美味しくまろやはかな風味がただよう。
笹酒はがん封じに薬効があるとされ、「癌封じで名高いの笹酒」ともいわれ、他府県からもこの酒を頂きに参る人が多い。千四百年も昔から中国山西省には竹葉青酒があり、薬種として著名であり、古来漢方薬に竹瀝・竹茹・竹黄など多様に使われているし、現代薬学から見てもビタミンC・K・Eはじめ、カルシウム・クロロフィルを含有しているという。
笹酒接待のかたわら、詩吟、奉詠、俳句、俳画の即席揮毫の催しがあり、風流人がそれぞれ一句一筆をふるう。
なお、笹酒行事は6月23日の竹供養の行事に通じている。この日は古来、”竹酔日”といい芭蕉をはじめ著名な俳人も、竹酔にちなんだ句を詠んでいる。中国でも昔からこの日は竹を植える日とされ、この日に植えた竹は必ず根付いて見事に成長するという。
大安寺では笹酒に多くの竹を使うので、ことに竹供養は丁重に行われる。浄竹を一本切ってきて花を供え、竹藪に撰米を供え五色の切紙をまいて供養する。そして、竹で名高い京都深草の瑞光寺元政庵をはじめ、各地の名竹を二、三本ずつ竹藪に植え、その生育を祈念し、また、茶筅 竹花篭その他竹製品を謹製し、それを奉納する儀礼が行われる。大安寺では故事にちなみ竹を大切にし、笹酒の竹以外は絶対に切らないし、たくさんあがるも筍も禁食する寺風を守っている。
 
「大和の年中行事」からです 初版が1969年発行です
今年も23日 午前8時から午後4時まで行われる予定です



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#若草山焼き
大和のトンド

西ノ京薬師寺からの山焼き

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大和には火に関する行事が各地にある。正月元旦に行われる大神神社の続道祭をはじめ、吉祥草寺の大トンド 五条市大津の鬼はしり 1月⒕日15日にかけて村落で共同の正月神の送り火の大トンド、長谷寺のダダオシ、坊城のほうらんや 東大寺二月堂のダッサン行法などいろいろあるが、その中でも最も豪快なのはこの若草山焼きである。
この山焼きの由来については種々な伝承がある。一般的には東大寺と興福寺との境界争いから宝永十年(1713)に奈良奉行所が仲裁にはいり、今後五百日間預かるということで解決し、その後、毎年この山焼きの行事を行うようになったといわれるが、元文五年(17407)に書かれた村井古道の「南都年中行事」に、
「里諺に,早春此山を焼ざる時、牛鬼という妖怪出という。依之正月丑の日を用ひて放火す。往古より誰人其事を掌るといふこともなし。毎春、行人など放火すと見えたり」
とあるように、江戸時代には妖怪を鎮めるために山焼きが行われたようである。
若草山の頂上には鶯塚と呼ばれている前方後円の古墳がる。誰の墓であるか詳かではないが、江戸時代には牛墓とよばれているので、牛鬼という妖怪はこの古墳に関係があるとも考えられる。
なお、このほか、農家では古くから農作物の豊かな稔りをと芝生を焼く風習が行われてきたが、この山の芝焼きもそうした意味から農民が誰というとはなしに放火したとも伝えられている。
古くは昼に行われたようで、明治33年(1900)に初めてこの山焼きが夜間に行われたと「奈良市現代史年表」に記されている。
現在、奈良の観光行事のい一つとして、(以前)1月15日の成人の日に行われるが(今は変更されている。今年は1月28日(土))戦前は二月十一日(紀元節の日 現在建国記念日)に行われた。
当日はアトラクションが行われ 今年は午後6時15分から花火が打ち上げあられ 30分ごろから山焼きがはじまる。
東大寺と興福寺の衆徒が浄火を山麓の野上神社にもたらし 春日大社の神官が芝生の育成と山焼きの無事終了祈願の祭典をおこなった後、市内から集まった注連縄に点火。その後、花火が打ち上げられ照明弾のあいずで、市内の消防団員により三十三ヘクタールの芝生に一世点火炎々と燃えあがる火は見る見るうちに飛竜の勢いで中央へと燃えひろがり、この間に仕掛け花火が中腹に華麗な模様を描いて暗い冬の夜空をくれないに染める。


初版が1969年の奈良の行事について記載されたものからです
注釈を加えてます。
大迫力の山焼きです

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