「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

#東大寺 二月堂お水取

外部資料 松明を待つ人々

外部資料 松明を眺める人々
大松明とお水取り
3月1日から14日にわたり二月堂で行われている修二会のなかで一般に親しまれているのは12日の大松明とお水取りであろう。当日は全国から多くの人が来られる。


大松明
当日練行衆が初夜の練行に上堂する際、「籠松明」とよばれている径1メートルもある大きな松明が道案内する。燃え上がる大松明を童子がかついで石段を一つ一つあがっていく光景はまことにみごとである。特に回廊から外へ大松明を突き出し、これをふりまわす。その度ごとに群集は歓声をあげ、火の粉を四方に飛び、火の滝となって落ちる景観は実に壮観である。練行衆と同数の十一本の大松明がある。
なお この日以外は十本あがる。


お水取り
初夜と半夜の練行がおわるといよいよ「お水取り」の行事がはじまる。これは本尊のお供えする香水を若狭井からくみとる行事で、十三日の午前一時半すぎ後夜の悔過の途中で行われる。一抱えもある大松明を先頭に咒師が青衣・赤衣をつけた神人をしたがえて、二月堂の石段を秦楽にあわせて静かに下堂し、良弁杉の下にまつっている興成明神にお詣りした後、若狭井にはいり二荷 ずつ三回香水をくみ取る。ると
この香水は若狭国(福井県)の小浜から送られる水であるという。実忠和尚が二七日の行法の中で全国の一万三千百余の神々を勧請におくれくれられたので、その罪ほろぼしのために本尊に香水をさし上げるとおっしゃっるのと、現在若狭井のあるところからから二匹の鵜があらわれ、そこから香水が湧き出たという。現在、若狭国の小浜市にある遠敷神社の下を流れる音無川から三月二日夜「お水送り」が行われる。


ダッサン
このお水取り行事に続いて堂内でダッサンと呼ばれる妙法がある。
袈裟衣を紐でしばり、頭に金色の鏡が何枚もついている金襴の帽子「ダッサン帽」をかぶり、足袋はだしとなり袴をしばりあげるといった勇ましい姿の練行衆が内は陣西正面にあらわれ、火や水、芥子(前麦)楊子などを投げ、太刀、錫杖、金剛鈴などをふり、法螺貝を三度ふくと、内陣に用意された大松明を持った練行衆(火天)は内陣をかけまわる。漉水器(しゃすいき)をもった水天がこれにつづいてまわる。内陣はもうもうとたちあがる煙と燃えあがる火で行法は最高潮に達する。寺の縁起によると、この行法は天人がこの堂におりてふしぎな舞いをまったのをうつしたものであるといわれているが、一説によると古来インドで行われた火法とも、またダッサン人の踊りともいわれている。
この行法に女性の内陣入りは許されないが、鎌倉時代に過去帳を読み上げていると、一人の青衣の女人が現れ、女性の名がないのを歎いたので、それ以来「青衣の女人」との名を読み上げるようになったといわれている。修二会は十四日で終わるが、十五日には、ダッサンに使用されたダッサン帽を幼児にかぶせると健康に育つという風習が今も残っており、当日は早朝から幼児をつれた親たちで二月堂は賑わう。



■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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東大寺 二月堂 お水取り

外部資料 若狭井

松明の竹
修二会
3月1日からいよいよ本行がはじまる。1日は特に午前2時から食堂で行事の戒律を守るために授戒作法があり、その後、二月堂にあがって堂内を荘厳し、火打ち石で浄火をおこし、宝前の常灯に火を点ずる一徳火の作法がある。
本行は毎日正午から夜の零時過ぎまで、日中 日没 初夜 半夜 後夜 晨朝の六回にわたり行われる。各時の練行は多少の相違はあるが、惣礼に三礼文が唱えられる。供養文 如来唱があった後、冷たい堂内を練行衆が散華しながら行道する。その後、十一面観音の功徳をたたえる十一面観音悔過がはじまる。南無観自在菩薩・南無観自在・南無観といろいろの節で一称一礼しながら何十回も唱える。この間に代表者が礼堂に出て五体板に膝をなげかける。その後、五仏の称名・大懺悔・小懺悔・発心・心経・廻向文などがあって日中の練行はおわる。
こうした 練行が日没・初夜・半夜・後夜・晨夜にも行われ、初夜には全国49か所にいます明神と一万三千七百余所の諸神を記した神明帳をよみ諸神を勧進する。その後、大導師の祈願が行われる。
この練行が十四日間,繰りかえし繰かえしおこなわれるが、五日は実忠和尚の忌日にあたるので特に天平の昔から現在に至るまで東大寺に関係の深い方々や、この練行に参加した練行衆たちの名を記した過去帳を読み上げる。十二日にも行われる。なおこのほか走りの行法というのがある。この行法は仏面を念じつつ「南無頂上」「南無最上」と唱えながら内陣を走り回る行法で、はじめは差縣(さしかけ)をはいたまま内陣を回るが回を重ねるにつれ、だんだん早くなり、ついに差縣をぬいではだしとなり、ケサを巻き上げ咒師の定めた回数だけ内陣を走り回り、最後に礼堂に出て五体板に膝をつく。
この行法は実中和尚が弥勒菩薩のおられる兜率天で行われている聖行を拝し、これを人間の世界に伝えようとしたが、兜率天の一日は人間の四百年にあたるもので、これを走って行う
ようになったという。
七日に小観音を礼堂に安置する儀式がある。二月堂には大小二体の十一面観音(秘仏)が本尊としてまつられているが、そのうちの小観音は実忠和尚が生身の十一面観音を祈請され、浪速で迎えられたという一寸八分の観音像で、この漢音を内陣から礼堂に再び移す儀式である。小観音を安置した厨子を秦楽のうちに礼堂に移し、後夜の悔過の間に再び内陣の本尊の正面にかえすのである。この日にも走りの行法がある。
なこのほか十二日の初夜には、「かご松明」と称する大松明を道案内として練行衆の上堂する大松明と、過去帳の朗読、若狭井から香水をくみとる「お水取り」の儀式や「走り」「ダッタン」の行法、といった大行事がある。この日は午前四時頃に行が終わる。
十三・十四にも同様の「走り」「ダッタン」の行法があり、最後に涅槃講があって十四日間にわたる本行がおわりをつげる。


■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-⒕
■℡  0742-43-8152

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東大寺 二月堂お水取り
お水取の行法に参加する練行衆は十二月十六日、開山堂での法要の前に発表される。決定後はいかなる事があっても変更されないことになっている。練行衆にえらばれた僧は、二月二十日から戒壇院の庫裏を別火坊とし、ここに練行衆は入る。別火というのはここで使用する風呂やかまど、火鉢などの一切の火を外界と別にし、二月堂の宝前灯明から火をうつしかけ、精進潔斎することで、試別火(ころべっか)と総別火にわかれている。総別火は三日間と決まっており、平年は二月二十六~二十八日、閏年は二十七~二十九日、したがって試別火は二十日から二十六日までで、平年より一日多い。試別火の期間中、各自の室で本行に使用する紙衣(かみこ)絞りや牛玉包紙の作成や、本尊に供える椿花・南天の造花をつくったり、灯心をそろえたり、お供えの壇供餅などをつくる。二十七日から練行衆は戒壇院の大広間に集まり、昼は牛玉紙の裁断や、紋つくりなどし、夜は別室で悔過の声明・神明帳・読経・過去帳読などのけいこや法螺貝の拭き合わせなどを行う。大広間では無言の行で談話は許されないといった厳重さである。
諸準備は二十八日に終わり午後行水と香で身体や持ち物を清め、戒壇院の別火坊から二月堂下参籠宿所に入る。参籠所に入った練行衆は入浴のあと、咒師から祓いを受け、さらに和上から戒をさずかり、三月一日から本行にはいる。

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東大寺 二月堂修二会 2月20日から28日 別火
           3月1日から⒕日 本行

外部資料

外部資料法要

別火
この行法は東大寺の二月堂の本尊十一面観音に東大寺の僧侶(練行衆)がおのが犯した罪・けがれを懺悔して、国家の安泰と人々の豊楽を祈る法要で、東大寺の憎実忠(じっちゅう)和尚によって天平勝宝4年(752)にはじおめられた。正しくは「修二会」といい、詳しくは「十一面悔過法」・「二七日(にひちにち)六時の行法」という行法で、一般に「お水取り」と呼ばれている。これは、十二日夜、本尊にお供えする霊水を汲み取る行事があるからである。また「大松明」とも呼ばれているのは、練行衆(この行法に参加する僧侶)が二月堂に上堂する際、道案内として松明を用いるところからおこった名である。
この行法の起源については「二月堂縁起」によると、実忠和尚が笠置の竜穴に入り、常念観音院で菩薩たちがおこなっている行法を目撃し、これを人間の世界にも伝えようとして二月堂を建てて始められたのである となっており、それ以来、今日まで継続されている行事で、東大寺の年中行事のなかでも重要な行事となっている。
この行法は十四日間にわたる行法であり、毎日正午から夜の零時過ぎまで一滴の水さえも許さない厳粛な行法であるだけに、本行に入るまでにいろいろの準備がおこなわれる。東大寺ではこれを前行(別火)とよんでいる。



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松尾寺の厄除

外部資料

外部資料


松尾寺は、天平の昔、元正天皇の勅願により開創されtらこさつで、大和盆地一望に見おろす松尾山の中腹にある。元正天皇が「日本書紀」の編纂を舎人親王に命じられたとき、親王は四十二の大厄であったので、松尾山に籠り大業成就を祈願された。養老2年(718)2月、初午の日、にわかに東の山に紫雲がたなびき、厄除観音が現れたと伝承され、。その由諸をもって、毎年二月・三月初午の日には厄除漢音出現記念法要が盛大に営まれる。そして年中ま厄除の祈祷法要が行われ、松尾寺は厄除の寺として広く信仰されている。
重要文化財に指定されている本堂の本尊は珍しい先手洗眼世音簿雑で秘仏になっており、十一面漢音と不空羂索観音が脇侍としてまつられている。
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