「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

#若草山焼き
大和のトンド

西ノ京薬師寺からの山焼き

外部資料



大和には火に関する行事が各地にある。正月元旦に行われる大神神社の続道祭をはじめ、吉祥草寺の大トンド 五条市大津の鬼はしり 1月⒕日15日にかけて村落で共同の正月神の送り火の大トンド、長谷寺のダダオシ、坊城のほうらんや 東大寺二月堂のダッサン行法などいろいろあるが、その中でも最も豪快なのはこの若草山焼きである。
この山焼きの由来については種々な伝承がある。一般的には東大寺と興福寺との境界争いから宝永十年(1713)に奈良奉行所が仲裁にはいり、今後五百日間預かるということで解決し、その後、毎年この山焼きの行事を行うようになったといわれるが、元文五年(17407)に書かれた村井古道の「南都年中行事」に、
「里諺に,早春此山を焼ざる時、牛鬼という妖怪出という。依之正月丑の日を用ひて放火す。往古より誰人其事を掌るといふこともなし。毎春、行人など放火すと見えたり」
とあるように、江戸時代には妖怪を鎮めるために山焼きが行われたようである。
若草山の頂上には鶯塚と呼ばれている前方後円の古墳がる。誰の墓であるか詳かではないが、江戸時代には牛墓とよばれているので、牛鬼という妖怪はこの古墳に関係があるとも考えられる。
なお、このほか、農家では古くから農作物の豊かな稔りをと芝生を焼く風習が行われてきたが、この山の芝焼きもそうした意味から農民が誰というとはなしに放火したとも伝えられている。
古くは昼に行われたようで、明治33年(1900)に初めてこの山焼きが夜間に行われたと「奈良市現代史年表」に記されている。
現在、奈良の観光行事のい一つとして、(以前)1月15日の成人の日に行われるが(今は変更されている。今年は1月28日(土))戦前は二月十一日(紀元節の日 現在建国記念日)に行われた。
当日はアトラクションが行われ 今年は午後6時15分から花火が打ち上げあられ 30分ごろから山焼きがはじまる。
東大寺と興福寺の衆徒が浄火を山麓の野上神社にもたらし 春日大社の神官が芝生の育成と山焼きの無事終了祈願の祭典をおこなった後、市内から集まった注連縄に点火。その後、花火が打ち上げられ照明弾のあいずで、市内の消防団員により三十三ヘクタールの芝生に一世点火炎々と燃えあがる火は見る見るうちに飛竜の勢いで中央へと燃えひろがり、この間に仕掛け花火が中腹に華麗な模様を描いて暗い冬の夜空をくれないに染める。


初版が1969年の奈良の行事について記載されたものからです
注釈を加えてます。
大迫力の山焼きです

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡ 0742-43-8152
■✉ honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

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